10 これが私の救済活動
聖純セインは、異世界『聖律界』にて神の掲示を受け、現代日本へと召喚された聖女である。
堕落と迷いに満ちた人々を救済する使命を帯び、「配信」という文化を神聖なる布教活動手段と捉えて活動中。
しかし、本人は『清く高潔な聖女』であり続けているつもりが、日本の文化にどっぷり浸かるうちにミイラ取りがミイラになっていく――が、それでもセインは頑なに否定する。
「私は堕落なんてしていません!」
これが、Vチューバー・聖純セイン――通称ひじりんの公式プロフィールである。
Vチューバー好きを自称するなら、ひじりんの名を知らぬはモグリも同然。登録者数三百万人超えで、昨年までは堂々たるナンバーワンの座を誇っていた。
人生で一番辛い時期、たまたま見たひじりんの切り抜きが、すべての始まりだった。
どれだけ心が荒れても、気持ちが沈んでも、彼女の配信を見れば自然と笑顔になれた。僕にとって彼女は救いであり、希望であり――まさしく、聖女だった。
他のファンと比べれば、推し活に投じた額など雀の涙にも満たない。それでも、僕にとってひじりんは唯一無二の存在で、人生の生きがいであった。
「おぉ……」
そんな推しの――ひじりんの聖域に招かれた感動は、言葉にならなかった。ただただ、胸の奥から込み上げてくる熱が喉を振るわせるばかりだ。
十畳ほどの洋室。まず目を奪われたのは、壁一面に並べられたグッズの数々だった。
ポスターやタペストリー、アクリルスタンドにぬいぐるみやフィギュアなどずらりと並び、まるでひじりん一色のミニギャラリーといった風情だ。
けれど、視線を少し右に移すと、そこから先の空気はがらりと変わる。
L字のデスクに備え付けられたふたつのモニターは、こちらに背を向けたまま無言で構えている。その前に立ったユエさんが「わっ、司令室みたい」と呟くので、それに続いて歩み寄ると、なるほどと頷いてしまった。
机の上にはキーボードやマウスの他に、操作パネルのような機械や、用途不明のつまみの多い装置が置かれ、見るだけで軽く圧倒された。
そして、そんな配信環境の真正面には、まるで夢のようにキラキラ輝くひじりんギャラリーが、堂々と鎮座している。
「これが……ひじりんがいつも配信してる部屋かー」
感嘆混じりの独り言に、デスク越しでサチさんが得意げに言った。
「なかなかのもんでしょ?」
「はい……なんかもう、胸がいっぱいです」
「そう素直に喜ばれると、招いたかいがあるわ」
サチさんが満足げに微笑んだ、その背後。
いつの間にかユエさんが移動していて、ギャラリーを見渡したあと、ぽつりと呟いた。
「これがさっちゃんのVチューバーかー。本人に似て、おっぱい大きいね」
「そこは寄せたからね」
軽い調子で応えるサチさんに、つい「寄せたんだ……」と静かに漏らしてしまった。
二次元における胸の表現は、現実のバストサイズと比べて、過剰に大きく描かれることはままある。それでも、ひじりんの中の人たるサチさんは、「寄せた」と言っても納得できるものをお持ちであった。
「サイズはー?」
「Gー」
ユエさんの問いかけに、サチさんが迷いなく答える。
「ユエちゃんはー?」
「Eー」
サチさんの問いにも、ユエさんは渋ることなく答えた。
ユエさん……Eだったんだ。
温泉旅行で見てしまったものの大きさが、ここで記号になってハッキリした。
聞いてはならないものを聞いてしまった気まずさ。男がいるのを忘れたかのような女子トークに紛れ、機械を見るふりをしながら、会話の行く末をそっと見守った。
「でも思ってたのと、全然違うなー」
「思ってたのって?」
「さっちゃんのイメージ的に、もっとお姉さんキャラをやってると思ってたから。ちょっと意外だった」
「前世とは決別して、ど真ん中を狙いにいったからね。清く高潔な聖女として、堕落と迷いに満ちた人々を救済してるの」
「聖女? いやいや、このおっぱいで救済は無理だよ。余計堕落と迷いを招くだけだって」
「ツバメくーん」
おかしそうに笑うユエさんに、サチさんはしたり顔で話を振ってきた。
「ユエさんの言うこともはごもっともで。初配信でも似たようなコメントがあって、トレンド入りしましたからね」
「トレンド入り?」
ユエさんは小首を傾げる。
「ひじりんが自己紹介してるとき、『そのおっぱいで聖女は無理でしょwww』ってコメントされたんです。ユエさんが言ったように、余計堕落と迷いを招くだけだって。そのときの一幕が面白すぎて、ツイッターでもバズって凄かったらしいですよ」
あのときは、まだ僕はひじりんの存在を知らなかった。けれど、聖徒なら自然と知ることになる、ひじりんの歴史である。あのバズりが、デビュー間もないひじりんの認知度を、一気に広めた結果になったらしい。
「へー、デビュー戦でそれは、いい追い風になったね。おもしろコメントをしてくれた視聴者は勲章ものだ」
まるで自分を褒め立てるかのように言うユエさん。
それにサチさんは、したり顔で応じた。
「なら、その勲章は私のものね」
「私のもの?」
僕がそう聞き返すと、サチさんは惜しみなく真実をもたらした。
「あれ、スマホから自分でコメントしたものだから」
「え……えー!?」
思わず叫んだ。マンションでこんな大声を出すのはご法度だが……いや、ここはトップVチューバーの配信部屋だ。防音もしっかりしてるだろうし、多分大丈夫だろう。
「あれ、自作自演だったんですか……?」
「そうよ」
サチさんは悪びれる様子もなく、さらりと言った。
「男ってほら、下に見た女の子にはセクハラしたくなる生き物だから。このくらいの下ネタなら、弄りとして許容してやるぞって空気を作ったのよ」
「攻めるねー、さっちゃん」
「最初の取っ掛かりとして集めるべき視聴者は、ちゃんと想定していたからね。現実世界に、下がいない迷えるものたちの下手に出たのよ」
サチさんは冷静に戦略を語る。
「そうやって、下品を交えたじゃれ合いに応じて、日々満たされない自尊心や承認欲求を満たしてあげてさ。現実には救いがないかもしれないけど、せめて心だけはね。救ってあげたかったのよ」
「さっちゃん、ほんとに聖女みたい」
「役に入るには、まずは心がけってね。これが私の救済活動よ」
拍手するユエさんに、得意げに胸を張るサチさん。
いい話風にまとまっているが、聖徒としては複雑だった。
あれだけ面白かった『そのおっぱいで聖女は無理でしょwww』の一幕が、すべては仕掛けられた計算だった。
今までのような純粋な目で、もうひじりんを見ることはできないかもしれない。この短い間で知ったサチさんという中の人のアクが、あまりにも強すぎた。
「さーて、そんなわけで」
場を仕切り直すように、サチさんが手を叩き、こちらを向く。
「今日は頼らせてもらうわね、ツバメくん」
「はい。宝石のようなお肉をご馳走になった分は、張り切ってやらせていただきます」
気を取り直したように僕は応じた。
そもそも今日招かれたのは、聖徒たる僕へのファンサービスではない。実務的な役割を求められて、こうして朝から呼ばれたのだ。
「それじゃ、張り切って掃除してきましょー!」
サチさんが大きな身振りで、拳を高く掲げた。




