09 本物の大人のお姉さんは凄かった
「だってさ、秘密と趣味の共有者となったツバメくんを、一番のお友達にしちゃうような子だよ? 同じような理解のある大人に出会って、気を許しちゃったんじゃない?」
「たしかに親の顔より見たちょろインっぷりだもんね。理解のある大人さんと真剣な交際に発展しても、おかしくないか」
サチさんは肘をつき、ジョッキを置きながら頷いた。
「年頃の女の子って、一緒にいて楽しいお友達くんより、頼りがいのある大人さんに惹かれがちだし。先輩ちゃん、見た目はギャルでも、自己肯定感低そうだから。なおさらハマりやすいか」
僕とその大人を天秤にかけるような言葉だった。でも、感情的に否定する気にはなれなかった。
もし僕に、もっと男として頼りがいがあったら。カグヤ先輩があんな歳の離れた相手と関係を持つことは、なかったのかもしれない――そんな無力感が、じわりと胸を占めていく。
だからこそ、次の言葉は、自分の気持ちではなく、ただ事実を確かめたくて出た。
「……その相手は、誠実な人だと思いますか?」
「女子高生に手を出すような大人が、誠実なわけないじゃん」
ユエさんはやれやれと肩をすくめてみせた。
「しかも、顔を売ってる子を、日の高いうちからホテルに連れ込んでるんだよ?」
「先輩ちゃんの未来のことなんて、なーんにも考えてない。身体目的で、都合よく扱ってるだけのろくでもない大人に決まってるわ」
サチさんは両手を軽く広げながら、首を横に振った。
否定の余地はそこにはなかった。
胃のあたりに、鉛のように重たいものが沈んでいく。
「……どうしたら、いいと思いますか?」
小さく絞り出した僕の問いに、サチさんはあっさりと返した。
「どうしたらもなにも、どうでもいいわね」
手元のビールを軽く揺らしながら、平然とした口ぶりだった。
「普通、そこでそんな風に突き放します?」
「だってツバメくんの見たものだけで、想像に憶測を重ねてるだけだから。真実は突付いてみないとわからない。話を聞いて楽しむくらいはしてもね、そこにお節介や野次馬根性で首を突っ込んで、どうこうしたいって気持ちはないのよ」
「そうだねー。わたしたちにとって、先輩ちゃんってただの他人だもん。ツバメくんをラジコンみたいに動かして、導きたいって気持ちは湧かないなー」
ユエさんが同調するように言うと、サチさんがこちらに向き直った。
「そうやってこのまま突き放すのも、可哀想だからね。ここは大人のお姉さんらしいことをしますか。
――それで、ツバメくんは、どうしたいの?」
「どうしたいのって、それは……」
胸の内に答えがあるはずなのに、言葉にしきれず詰まってしまう。曖昧に視線を落とした僕を、サチさんは見抜いたように微笑んだ。
「いい? 大事なのは、自分がどうしたいかよ。それを言葉にできないまま『どうしたらいい?』って聞いちゃうとね、本当にやりたいことが、どんどん見えなくなっていくの」
その言葉が、胸の奥で反響する。それが共鳴するように、呼び起こされた記憶があった。
『だからな、ワカ。なにをするにしても、『普通は』なんて理屈は絶対持ち出すな。大事なのは、自分がどうしたいのか、その気持ちを言葉にすることだ。そうしないと、上辺、見栄えで整えた言葉に行動と感情が引っ張られて、本当の気持ちってやつを見失うぞ』
コウくんの言葉だった。
「今すぐ答えは出さなくていい。その代わり、時間をかけてでも答えは出しなさい。『どうしたらいい?』って聞かれたら、『どうでもいい』としか言えないけど――その答えが出た後、『どうやったら上手くいく?』って聞かれたら、一緒に考えてあげるから」
サチさんは軽く笑って、手のひらをひらりと振ってみせた。それだけの仕草なのに、なんだか肩の力が抜けた気がした。
自然と頬が緩んでいた。
「さすがというか……迷えるものを導くのは、お手の物ですね」
「なにせ、堕落と迷いに満ちた人々を救済するために召喚されたからね」
「でも、当人はミイラ取りがミイラになってませんか?」
「私は堕落なんてしていません!」
キャッチコピーにも使われているフレーズを、ひじりんの声音で惜しみなく披露された。それがおかしくて、そして嬉しくて、思わず吹き出してしまった。
あの日からずっと、カグヤ先輩への迷いや想いなど、気持ちの整理ができずにいた。それがすべてとは言わないが、心の中で絡まっていたわだかまりが、ほどけていく気がする。
どうすれば、ではなく。どうしたいのか。
まずは、自分自身の言葉で。ちゃんと形にすることから始めよう。
「……スッキリした顔を見せてくれて嬉しいわ。どう、大人のお姉さんって、やっぱ凄かったでしょ?」
サチさんは下ネタすれすれのトーンで口端を吊り上げる。
今更そのくらいでたじろいだりはしない。僕は軽く受け止め、そのまま流した。
「はい。本物の大人のお姉さんは凄かったです」
「本物ってどういうことかなー?」
ユエさんは楽しげに身を寄せてくるが、その目は笑っているようで笑っていない。
「ユエさんはほら、なんちゃってだから」
「なんちゃって!? ツバメくんのくせに生意気ー!」
なんちゃって大人のお姉さんが、僕の肩をぼこぼこと両手で叩いてくる。酔いのせいで加減がきかず、なかなかに痛い。
「ほら、他にお客さんがいるんだから暴れない」
面白がりながらも、サチさんは手を叩きながらたしなめてくる。その手が急に、思い出したようにバチンと鳴った。
「あっ、そうだ、ツバメくん。明日って暇?」
「暇ですけど……どうかしました?」
「ちょっと家に来てくれない?」
「サチさんの家……って――」
その意味を思い当たった瞬間、僕は息を飲んだ。
サチさんは意味ありげに微笑むと、ひじりんの声音で告げてきた。
「おめでとうございます、若井燕大くん。あなたは、私の聖域に招き入れられる、記念すべき最初の聖徒です」




