08 ギャルの仮面
「今更、わたしはギャルじゃないです。ただの陰キャでヒィ担なんですって、言えるわけもなくてさ……その日から、ギャルの仮面を被る日々が始まったの」
遠い目をしながら、カグヤ先輩は小さく息をついた。
こうしてカグヤ先輩は、性格とは裏腹のクラスの一軍女子――ギャルとして生きることになったのだ。
「楽しいことも、もちろん沢山あるんだよ。今までの自分じゃ絶対できなかったキラキラ女子高生ライフは、それなりに満喫してるし。でも……仮面の裏ではいつも、正体がバレたらどうしようって震えてるの。『よくも今まで騙してくれたな』って責められる夢で、飛び起きることは何度もあった。今朝もそうやって起きたくらい」
両手のひらを広げながら、カグヤ先輩は伏し目がちに、それを見つめた。
僕はふと思いついた疑問を投げかける。
「じゃあなんで、モデルなんてやってるんですか? そんなの、わざわざ死地に飛び込むようなものじゃないですか」
「街でスカウトされて、みんなに持て囃されて、貰った名刺を従姉妹に見せて……気づいたらこうなってた」
「気づいたらでこうなるもんですか?」
「なっちゃったんだ……」
カグヤ先輩は力なく項垂れた。
どうやらギャルの友達たちが「モデルデビューしたカグヤをみんなでバズらせよう!」という軽いノリで、色々と画策していたらしい。その遊び心はどんどん広まり、学校内での名声が雪だるま式に膨らんでいき、やがてネット上にまでその勢いが波及。そこに運が味方にしたのか、それともツキに見放されたのか――カグヤ先輩は、ギャルモデルとして売れてしまったのだ。
あの『ギャルザベス』の異名も、友人のひとりが「カグヤが売れたとき、普通のカリスマギャルじゃつまらんよね」と言い出したのが発端らしい。彼女たちが、SNS上でギャルザベスギャルザベスと持て囃す内に、そのまま雑誌に採用されてしまったそうだ。
そうやって、正体がバレるのが怖くて続けてきたギャルの仮面が、期待と羨望によってどんどん高みに押し上げられて、ついには引き返せないところまできてしまった――というわけだ。
「すごい話だなぁ……」
呆気に取られながら僕は言った。
「でも、ここまで来たら、もう本物ですよ。もっと、自分に自信を持っていいと思いますよ」
「ううん、わたしの中身は、地元にいた頃からちっとも変わってない。ただね、みんなが神格化した理想のカグヤ像に追い立てられているだけ。それに捕まったら、『よくも今まで騙してくれたな』って裁かれるのが怖くて、足を止められないだけなの」
ため息混じりにそう語る姿には、どこか擦り切れたような儚さがあった。
話を聞き終えたサチさんが、悩ましげに顎に手を当てた。
「オタクギャルのテンプレラブコメものかと思ったけど……前日譚の構造が、ヤンキー漫画の成り上がりものね」
「ヤンキー漫画?」
ユエさんは不思議そうに首を傾げる。
「こう、高校デビューした主人公がね、不良に絡まれるんだけど、ハッタリと機転、そして運で乗り切っていくうちに、気づけば界隈のトップに立っちゃうの。タイトルは、『最強ギャル伝説カグヤ』で決まりね」
「その作品、主人公が打ち切りを望んでますよ」
「ジャンプで連載したのが運の尽きね。人気作品の引き伸ばし、ほんと酷かったから、昔は」
サチさんは他人事を肴に、美味しそうにビールを飲んでいる。
「うーん……」
「どうしたの、ユエちゃん?」
ユエさんがまた唸るような声を上げているので、サチさんが尋ねた。
「実はさ、その先輩ちゃんのパパ活、本当は違うんじゃないかなって、ずっと思ってたの」
「ほう、それはまたどうして?」
「ツバメくんが貰った誕生日プレゼントの財布。先輩ちゃんとお揃いブランドらしいんだけど……ちょっと、さっちゃんに見せてあげてくれる?」
ユエさんに促され、僕は財布をサチさんに渡した。それを軽く観察した彼女は、意外そうに声を上げる。
「なんか思ってたのと違うわね」
「違うとは?」
僕が聞き返すと、サチさんは財布を返しながら言った。
「ギャルザベスっていうくらいだからさ、十万、二十万するようなハイブランドを想像してたのよ。でもこれは、そこまでのものじゃない。高校生が使っていても悪目立ちしないラインのものね」
「今使ってる財布、入学祝いに従姉妹から貰ったものらしいです」
「そんな感じだから、先輩ちゃんって多分、ブランド品に執着ないと思うんだよね」
僕がそう補足すると、ユエさんは頷きながら続けた。
「専属モデルってことは、高校生にしては相応の稼ぎはあるはずでしょ? そんな子が、わざわざパパ活みたいな身体の安売り、するかなって」
「一番の趣味もヒィたんだしね。グッズやイベントにかけるにしても、ハイブラ収集と比べたらかかる金額なんて知れてるし。ま、日頃から赤スパを投げてるなら話は別だけど」
「その手の認知されたい欲求はないそうです」
僕がそう答えると、サチさんはうん、と頷いた。
「で、パパ活じゃないなら、ユエちゃんはなんだと思ってたの?」
「枕的なやつ」
サチさんは膝を軽く打ち、「あー、そっちのほうが可能性ありそうね」と声を上げた。
一方でユエさんは、先程の自分の言葉を振り払うように小さく首を横に振る。
「でも今の話を聞いたら、それもないなーって思った」
「ギャルザベスは、望まぬ高みだもんね。じゃあ、すべては見間違い。ツバメくんの見たのは、白昼夢だったとか?」
「さすがにカグヤ先輩を見間違えたりはしませんよ」
見間違いであってほしいという願望はあっても、僕はしっかりと首を振った。
「ま、そこを疑ったら、前提が崩れちゃうしね。先輩ちゃんの気質的に、パパ活でなければ枕もありえない。なら、ツバメくんが見たものって、一体なんだったのかしらね?」
サチさんは酔いの滲んだ目を、ゆるりとユエさんへ向けた。
「なんか、思いついた顔ね」
「もしかして、真剣交際なんじゃない?」
ユエさんは水滴を帯びたグラスをなぞりながら呟いた。
「真剣交際?」
「本人にとっては、だけどね」
信じがたい思いで問い返すと、ユエさんは首を傾けたまま付け加えた。




