表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/80

05 人が恋に落ちる瞬間

 竹林輝姫の名前は、入学して間もなく耳にした。


 クラスメイト以上の友達を持たない僕ですら、自然と知ってしまうほど、その名は学校という空間に当たり前のように存在していた。


 朝のホームルーム、昼休みの教室、下校時の昇降口。


 どこかで誰かが彼女を語り、噂し、持ち上げている。


 可愛い、綺麗、スタイルがいいといった単純な賛辞に留まらず、モデル活動の話題、SNSに載った写真などについて、尽きることのない話題として口にされる。更には僕が入学したその年に流行語としてノミネートされる『いとワロス』は彼女から生まれたゆえに、みんなが真似して使っていたのだ。今年の入学生には、カグヤ先輩に憧れてこの高校を選んだ生徒も少なくない。


 キャッチコピーは『ギャルのクイーン、ギャルザベス』。


 ギャルとエリザベス女王をかけたという、語呂合わせのネーミング。だが、周囲はカグヤ先輩を『我がの校の姫』と呼んでいるのに、なぜそこで女王なのか。そんな矛盾を含めて、身内の悪ノリこそ最も厄介だという教訓を得た本人は、頭を抱えているのだ――と、後に知ることになる。


 けれど当時の僕にとって、ギャルという属性だけで自分とは相容れない。怖い人種だと思い込んでいたし、そもそも生きる世界が違いすぎた。


 だから名前は知っていても、興味を持つことすらなかったのだ。


 それがゴールデンウィーク前日の放課後、思いもしない形で覆されることになる。


「なにこれー、マジきもいんだけどー」


 下駄箱前に響いた声に、つい目が向いてしまった。


 女子生徒三人と相対している男子がひとり。彼はなにか言いたげにしていたが、嵐がただ通り過ぎるのを待つしかないという、諦念がオーラとして発せられていた。


 彼の通学鞄には、手のひらサイズのぬいぐるみが付いていた。女子のひとりが、それを無遠慮に引っ張りながら、汚いものをつまむようにして持ち上げている。


 笑い声、嘲る口調。


 まるで場違いのものを見つけたようにはしゃぎながら、彼は侮辱されていた。


 そのマスコットホルダーには、僕も見覚えがあった。


 ひょうっとすると彼とは気が合うかもしれない――そんな一瞬の親近感が胸をよぎるも、彼女たちに割って入る勇気は僕にはなかった。もしそんなものがあったなら、逃げるよう地元を離れ、この高校に入学することもなかっただろう。


 自分の無力さを噛み締めつつ、「なに見てんだ」と絡まれないよう、逃げるように視線を逸らしたそのときだった。


「なにしてるのー?」


 場の空気を割る、間延びした声。


「あ、カグヤせんぱーい!」


 女子たちが、一転して媚びるような声音で各々呼びかける。


 後に知った話だが、彼女たちはカグヤ先輩に憧れてこの高校を選んだ口のようだ。そんな相手から声をかけられたものだからか、すっかり舞い上がっている。


 そのキッカケを作ったとも言えるぬいぐるみが、カグヤ先輩に見せつけるよう強く引っ張られた。


「見てくださいよこれー。こんなきもいもの学校につけてくるとか、マジやばくないっすかー?」


「へー、どれどれ。あー、マジきもいわー――おまえが」


 ぬいぐるみではなく、女子の顔をしげしげと覗き込みながら、カグヤ先輩が調子を合わせたノリで言い放つ。


「ほんと、ここは幼稚園じゃない――へ?」


 同調する流れで返されたはずなのに、その言葉の意味に気づくまで、しばし間が空いた。それに理解が追いついた瞬間、女子の表情が急速に冷え込んでいく。


 そんな空気も意に介さず、カグヤ先輩は言葉を畳み掛けた。


「その腐った性根、見れたものじゃないっていうかさ。よくもまあ、公衆の面前で恥ずかしげもなく晒せるなー、って話よ。お母さんのお腹の中に、恥、置いてきちゃいましたかー? 道徳と品性は、確定で置き忘れてきたみたいだけどー?」


 そのまま、ぬいぐるみを摘んだ女子の腕を、ばしんと弾くように叩いた。


 勢いよく揺れたマスコットが、ようやく解放された。


 すると、カグヤ先輩の笑顔がすっと消えた。


 睨みつけるその目は、静かに怒りを堪えた鋭さを帯びていた。


「人の好きをバカにして、笑いものにしてんじゃねえよ」


 声を荒げるわけでもなく、むしろ低く押し殺した声音。


 その冷えた響きに、場の空気が緊張した。


 叩かれた腕を押さえながら、女子は気圧され、一歩後ずさる。


 けれどその顔は、どこか理不尽を振るわれたような、被害者めいた表情をしていた。


「め、ざ、わ、り」


 カグヤ先輩が、吐き捨てるように呟く。


「へ……?」


「め、ざ、わ、り」


「ぁ……うっ」


 返す言葉も見つからず、女子は顔を伏せ、そそくさとその場を離れる。残ったふたりも、カグヤ先輩の鋭い視線を受けて、慌ててその後を追った。


 憧れの人に近づこうとしたはずが、逆に叩きのめされ、入学早々に立場も居場所を失った――そんな顛末を、野次馬たちは固唾を呑んで見守っていた。


「誰かー、塩もってなーい?」


「はーい、あるよー」


 カグヤ先輩が振り返りながら尋ねると、その求めに応じたひとりが、男性アイドルがプリントされたうちわを掲げた。


「それは塩じゃなくて、あんたの推しでしょーが!」


 すかさずカグヤ先輩がツッコむと、緊張していた空気が弾けたかのように、どっと笑いが広がった。


「あ、あの……ありがとうございました!」


 理不尽絡みから解放された男子が、深く頭を下げた。


「いいのいいの。ああいう奴ら、嫌いなだけだから」


 カグヤ先輩はひらひらと手を振り、飄々と応じる。


 その仕草のまま、男子のぬいぐるみをすくい上げるよう手に取った。


「この子、君の推し?」


「は、はい! そうです!」


 男子は顔を赤くしながらも、真っ直ぐと頷いた。


「そっか。可愛い推しが側にいるのは、それだけで幸せな気持ちになれるもんね」


 その言葉は、ぬいぐるみを鞄につけてきた彼を、なによりも肯定していた。


 男子は目を輝かせ、大げさなほどの勢いで頷いた。


「じゃあ、いつまでも、推しは大切にね」


 そう言って、カグヤ先輩は軽く手を振りながら、友人たちのもとへ戻っていく。


 去っていくその背中を呆然と見つめていた彼は、そっと胸元に手を当てた。


 高鳴る鼓動、芽生えた感情をまるで確認するかのように。


 その日、僕は――人が恋に落ちる瞬間を、初めて目撃してしまったのだ。




      ◆




「なるほどねー。オタクに優しいギャルものだったか」


 サチさんは、これまでの話の流れを受けて、まるで作品を評するかのように僕の過去話をまとめた。


 僕はかぶりを振って、そのジャンル付けを否定する。


「いや、優しい人ではありますけど……カグヤ先輩があの場に割って入ったのは、そんな義侠心じゃありませんから」


「あれ、違うの?」


 ジャンルを見誤ったことが意外だったのか、サチさんは不思議そうに眉を上げた。


「あれはもっと独りよがりな事情で、怒っていただけです」


「独りよがりな事情?」


「それを知ったのが、その次の日なんですけどね」


 そう前置きをして、僕は再び語り始めた。カグヤ先輩と出会った、あの日の出来事を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百合の間に挟まるな! ~脅迫NTRもの展開を阻止した結果、百合の間に挟まれた件~
並行して連載しておりますので、こちらもお目通し頂ければm(_ _)m
― 新着の感想 ―
八つ当たりというやつだったのかな。 まあそれでも、人をたぶらかすには十分なんでしょう。 推し変させてしまったようですからねえw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ