04 第一話を語れ
「ハラミさん、楽しいお友達だねー」
ハラミさんが立ち去ると、ユエさんは羨ましそうに目を細めた。
「まあ、今でこそ愉快な関係だけど、昔はバチバチに喧嘩したもんよ。死ねや殺すの応酬なんて、十や二十じゃ利かないし」
「なんでそこまでやってきた相手と、こう仲良くなれてるの?」
「そこは昔のテレビと一緒よ。なんでも過激であるほど喜ばれてた。でも、そういうノリも苦情が増えれば通用しなくなるし、新しい人が入ってこなければ飽きも出るからね」
「じゃあ、喧嘩してた一番の理由は、視聴者が喜ぶから?」
「こっちは承認欲求満たしたくてやってるわけで。喜ばれないことを続けて、客が離れてったら本末転倒でしょ」
「向こうも同じだった、ってことか」
「そういうこと」
サチさんは頷いた。
「でも、喧嘩してたのも十代の頃の話よ。二十を越えるとね、未熟なりに大人の自覚とか、弁え方とか――こうこなれてくるものなの。気づいたら、今の仲に落ち着いてたわ」
「その気づいたらが気になるんだけど」
「それは語ると長くなるから、また今度ねー」
そう言って、サチさんは身を乗り出すよう、通路側へと視線をやった。
「ほーら、お肉様がやってきたわよー」
「はい、お待たせー。生三つに、盛り合わせでーす」
サチさんのもとにコーラが置かれたと思えば、ビールが僕とユエさんのもとにやってきた。隙あらばボケを差し込んでくるハラミさんに、思わずツッコもうとした口が、次の瞬間、止まった。
「おー……」
眼の前の盛り合わせが、思わず声を震わせるほどの迫力だった。
霜降りのサシが細かく入り込んだ厚切りカルビ。まるで宝石みたいな艶をまとったロース。真紅の中にうっすら脂が滲むハラミ。
ずらりと並んだ肉たちは、まるで画面の向こう側にしか存在しないご馳走。まさに芸能人が「口の中で溶けるー」とか言いながら食べている、あれであった。
「今日はお姉さんの奢りだから、たーんとお食べ」
「ご馳走になります」
自然と頭が下がり、サチさんは満足そうに微笑んだ。
こうして、乾杯と共に贅沢な宴が幕を開けた。
ビールを一口、そっと口に含んだユエさん。途端、その苦さに思わず眉根を寄せ、ほんのり唇を尖らせる。
「ビールは舌で転がすんじゃなくて、喉に流して味わうの。それこそ一杯目は、ゴクゴクってね」
サチさんはそう言うと、豪快にジョッキをあおった。喉でオノマトペを鳴らすその姿は、まるでCMの一幕のようだった。
その様子に、ユエさんは惹かれたように目を丸くし、すかさず真似をしてみせる。
「あ、ほんとだ! さっきよりずっと美味しい!」
さっきのしかめっ面が嘘のように、ユエさんの目は輝いた。新たな味覚の発見に、まるで扉が開かれたような無邪気な笑顔を浮かべる。そんなユエさんの反応に、サチさんの頬はふわりと緩んだ。
サチさんが肉を焼いてくれている間、好きなものを頼みなさいとメニューを渡されたが、その値段に怯んで尻込みしてしまった。結局、自身で選んだのは白米だけで、他はユエさん任せになってしまう。
肉は――いや、お肉様はなにを召し上がっても別格だった。自分が今まで食べてきた焼き肉は、なんだったんだろうか。これはもはや比べるようなものではなく、別ジャンルの食べ物だ。そんな衝撃を抱きながら、この東京で、またひとつ新しい扉を開いてしまった。
そんな調子で一時間ほど、お肉様と、このお店を中心に会話を弾ませていた。
トイレに立つと、気づけば店内は満席になっており、ハラミさんだけではなく、他のスタッフも忙しそうに動き回っていた。
席に戻ると、サチさんがメニューを広げていた。
「追加頼むけど、なにか食べたいものある?」
「あ、ご飯お願いします。大で」
「ご飯? 遠慮しないで、お肉でお腹満たしてもいいのよ」
「いやー、そのお肉が美味しすぎるんで、米が進んじゃって。むしろサチさんたち、ご飯物は食べないんですね」
「そこはシメね。ここのコムタンクッパ、飲んだ後に染みるのよ」
「だったら僕は、冷麺でシメようかな」
「ご飯二杯のあとに冷麺って……若い男って、凄いわねー」
サチさんは感心したように僕を見つめた。
「でも若い内は、そのくらいのほうがいいわ。気持ちいい食べっぷりは、連れてきたこっちも楽しくなるから」
「本当に、今日は連れてきてくださってありがとうございます」
「いいのよ。家じゃご馳走になってるし、これからもちょくちょく、ご相伴にあずかるつもりだから。――すみませーん、注文お願いしまーす!」
身体を通路側に乗り出すと、すぐに「はーい、ただいまお伺いいたします!」と、明るくも丁寧な声が返ってきた。
ハラミさんが注文を取り、離れていく。
その横姿を見送ると、僕は無意識にこぼしてしまった。
「いやー……でもコウくん、いつもこんな美味しいもの食べてるんだろうな……」
「コウくん?」
正面で首を傾げるサチさん。
「ママ活してるツバメくんのお友達ー」
ゆったりと身体を揺らしているユエさんが答えた。
サチさんはニヤニヤとした視線で僕を見てくる。
「あー、類は友を呼ぶ系のお友達ってやつ?」
「違います。一緒にされたら困るっていうか、向こうに失礼っていうか。あの生き様はもう、ママ活やヒモなんて言葉じゃ括れない、高みで生きてるんで」
「どんな高みで生きてるのよ」
「色んな人からマンション買ってもらってます」
そう言った途端、酔いから覚めたように顔をしかめるサチさん。
「そういう本物を出されると、反応に困るんだけど」
すぐに思い出したように手を叩く。
「そうそう。ママ活といえば、ツバメくんの好きな子。パパ活してる先輩ちゃんの話を聞かせなさいよ」
「ユエさーん?」
横目で睨むと、ユエさんはテヘっと小首を傾けた。
「ほらー、ツバメくんを拾った話になると、自然とその話になっちゃって」
「推しが世界の真実に目覚めるでしょー、バイト先の店長が刺殺されたでしょー、好きな先輩がパパ活に目覚めるでしょー。挙げ句、住宅街ごとアパートを焼かれて、帰る家を失った。誕生日にそんな不幸を詰め込むのは、さすがにいとワロスね」
「こっちはなにも笑えませんよ」
僕は不貞腐れたようにコーラに口をつけた。
ここで『いとワロス』を使うとか、狙ってやっているのか、そもそも天然で引き当てたのか。判断に困る。
「そもそも、ひじりんの件はただの乗っ取りだったし、店長は死んでませんし、カグヤ先輩のことだって……別に、ただの憧れで、サチさんの考えてるような好きだったわけじゃないし」
「その話も聞いた聞いた。報われないガチ恋しても辛いから、夢を見ないようにしてきた。でも、時間の問題だった、って話でしょ?」
本当にすべて話を聞いていたのか、サチさんが簡潔にまとめた。
「で、向こうも満更じゃなかったどころか、恋愛フラグが脈動していたのが発覚。でもパパ活現場を目撃してしまった現実は消えないから、先輩ちゃんを見る目が変わって、今までのように接することができなくて迷っている――そこでお姉さんからアドバイスよ」
言い終えて、サチさんは薄っすらと口角を上げた。
「ここはもう、破れ鍋に綴じ蓋で割り切っちゃえば?」
「割れ鍋に綴じ蓋……?」
「ヒモ男子とパパ活女子。似たような傷を持つもの同士、むしろお似合いじゃない。大人のお姉さんの家に暮らしながら、温泉旅行までしてるツバメくんが、先輩ちゃんを色眼鏡で見るのはさすがに擁護できないわー」
「うっ……!」
抉るように鋭い事実を突きつけられ、思わず呼吸が止まる。
自己弁護しようと口を開きかけたが、サチさんはひらりと手のひらを立てて制した。
「わかってるわかってる。別に先輩ちゃんを責めたいわけじゃない。要するに、今まで抱いていた清廉な先輩ちゃん像が崩れた……いや、穢れてしまったと思って、胸が痛い痛いしてるんでしょ?」
「……はい」
本質を突かれ、僕は肩を落としながら小さく頷くしかなかった。
「つまりツバメくんは、角の折れたユニコーンってわけね」
「ぐう……」
その的確過ぎる表現があまりにもきつくて、喉元で呻きのような声が漏れる。
「角の折れたユニコーン?」
不思議そうに首を傾げるユエさんに、サチさんは容赦なく追い打ちをかけてくる。
「行き過ぎた処女厨の幻想が壊れたってことよ」
「へー」
ユエさんはにやりと目を細め、酔いの勢いも手伝ってか、どこか面白がるかのような表情を浮かべた。
言い返そうと息を吸い込んだその瞬間、
「はい、生とレモンサワーお待ちー」
ハラミさんのタイミングが、見事に出鼻をくじいた。
レモンサワーを手にしたユエさんは、美味しそうに喉を潤しながら、さらりと続ける。
「でもさ、男の人って、女に幻想抱きすぎっていうか、求めすぎっていうか。自分のことをよくここまで棚に上げられるなー。どの口が言ってるんだろーって思うこと多いよね。結局、一番美化してるのは男の幻想じゃなくて、自分自身って感じで」
「そうそう。同じような傷でも男は勲章、女は瑕疵。いえいえ、別に文句があるわけではございませんよ。私たちは男の幻想を売り物にしているわけですから」
「他にも、男性の売り物に瑕疵が入ったとき、その怒りの矛先がなぜかお相手側に向くよねー、ふっしぎー。あー、はいはい、わたしたちが全部悪うござんした。その咎と責任は、全部黙って受け入れまーす」
男相手に幻想を売ってきたもの同士。だからこそ、わかり合える部分もあるのだろう。
やけに当てつけがましく言いながら、どこか達観したように鼻で笑っているが、そこに男ひとりいる状況は肩身が狭すぎた。
サチさんはお代わりしたばかりのビールをぐっと喉に流し込むと、最後の一滴まで惜しむように飲み干し、そのままジョッキをテーブルに叩きつけた。
「それで、ツバメくん」
「は、はい!」
ただ名前を呼ばれただけなのに、反射的に背筋を正してしまう。別に怒られているわけでもないのに、どこか詰問されるような圧を感じたのだ。
「その先輩ちゃんって、どんな子なの?」
「えっと……カグヤ先輩は、学校の人気者です。モデルとかも、やってます」
「ちがーう! そんな上っ面のキャラ設定じゃなくてさ、もっと掘り下げた中身を聞きたいのよ。学校一の美少女が、なぜ陰キャな僕と!? ってラブコメを、この一年やってきたんでしょ? つまり、『カグヤ先輩は◯◯』の第一話を語れってこと!」
「わー、わたしも聞きたーい!」
ユエさんが興味津々で手を上げた。
絡み酒で絡まれている僕に逃げ場はなく、大きなため息をひとつつきながら、サチさんの求める第一話を語り始めたのだ。
 




