04 一宿一飯の恩ってことで
デジタルを遠ざけているユエさんだが、そんな僕を呆れることなく、次なる提案をしてくれる。
「そもそもまず親御さんに連絡を取るべきか。お家の番号、覚えてる?」
「……うち、家電は解約しちゃったんで」
「うーん、今どきだねー」
連絡手段を失った今、婆ちゃんたちと繋がる方法は完全に途絶えていた。
所持品といえば、自動販売機でコーラすら買えない小銭と、交通系ICカードだけ。
なにもかも失ってしまったからこそ、なにをすればいいのかさえわからない。
答えの出ない問題に立ち止まっていると――
「なら、学校だね」
当然のように、ユエさんが代替案を出してくれる。
「学校なら、保護者の連絡先くらい控えてるでしょ?」
「学校!」
その手があったかとハッとする。
改札すら通ることができない僕にとって、学校はすっかり意識の外だった。
たしかに先生たちなら、保護者の連絡先を控えている。
これが年の功というやつか――いや、女性にそんなことを言ったら怒られるかもしれない。でも頼りになるのはたしかだった。
春休みとはいえ、それを享受できるのは学生だけ。
先生にとってはただの平日であり、新年度の準備で忙しい時期のはずだ。
「学校に連絡して、無事を報告すれば、あとは大人たちが今後の方針を考えてくれるよ」
子猫をあやしながら、ユエさんはそう言う。
「今どこにいるんだって聞かれると思うけど……学校外の友達の家、ってことにしとくのが無難かな。緊急事態だったとはいえ、見ず知らずの大人のお姉さんに拾われた、はちょっと世間体が悪いでしょ?」
「悪すぎますね」
結果的にユエさんがいい人だからよかったものの、相手次第では危険な目に遭っていた可能性もある。余計な心配をかけるくらいなら、隠してしまったほうがいいこともあるだろう。
「はい、これ」
ユエさんはスマホを差し出してくる。
「前に使ってたやつ。契約は切れてるから電話はできないけど、Wi-Fiがあれば学校の電話番号くらい調べられるでしょ?」
「ありがとうございます……」
手に収まりきらない、林檎マークのスマホを受け取る。同じメーカーの廉価モデルを使っていたから、操作性に戸惑うことはないだろう。
ユエさんは優しく微笑んで、続ける。
「それと、もう一日泊まっていくといいよ」
「……いいんですか?」
「余裕がないときに焦って決めようとすると、ろくな選択肢が見えてこないものだからね。とりあえず一日でも猶予ができれば、大人たちも落ち着いて動けるでしょ?」
「ユエさん……」
つい目が潤みそうになった。
歳はそんなに離れていないはずなのに、ユエさんの振る舞いは頼れる大人そのもの。初めて傘を差し出されたときの印象は、やはり間違いなかったのだ。
「もしかして、天使ですか?」
「まあね。そう言われ続けてきた人生だよ」
口元を上げるその様子は、年相応の女の子らしい仕草だった。中身のことを言ったつもりなのに、見た目の話として得意げになっている。
「さて、これで君の問題は解決、でいいよね?」
「おかげさまで、なんとかなりそうです」
「なら、次はこの子の問題だね」
ユエさんは子猫を軽く持ち上げた。
「この子、君のペットじゃないんでしょ?」
「段ボールに蓋されて、捨てられていたんです」
苦々しく答えると、ユエさんは顔をしかめた。
「この子、たぶん野良上がりじゃないね」
喉を鳴らしながら甘える子猫の喉を、人差し指でくすぐる。
「お家で生まれたか、お店とかで買われた子だと思うんだけど……なんでそんな子を捨てるかなあ……」
「やむを得ない事情でも、あったんですかね……」
「例えば?」
ユエさんの棘のある問いかけに、少し怯みながら考える。
「飼ってからアレルギーが発覚したとか、引っ越し先がペット不可だったとか……後は恋人が猫嫌いだったとか?」
子猫を捨てた主犯格ではないのに、まるで言い訳を並べるかのように、いつくかの可能性を挙げてみる。
「そんな身勝手な理由で捨てたなら」
ユエさんはため息をつき、冷たく言い放つ。
「今度はその人が、誰かに捨てられたらいいのに」
「……誰に?」
「家族とか、恋人とか、職場とか。捨てられる痛みを知るべきだよ」
顔も知らない誰かに憤るユエさん。
しかし、子猫に顔を向けた途端、柔らかな表情になる。
「でも、もう心配しなくていいからねー。今日からここが君のお家だから」
子猫に頬ずりしながら優しく囁く。
その光景を見て僕は安心した。
子猫を迎え入れてくれる――昨夜感じた無力感が、ようやく解消された気がした。
「それで相談なんだけどさ」
ふいにユエさんは尋ねてきた。
「拾った子猫をお迎えする場合、なにから手をつければいいと思う?」
「えっ、と……」
咄嗟に答えが出てこなくて、ユエさんと同じように難しい顔をしてしまう。
一度もペットを飼ったことがないし、猫ともろくに触れ合ったことがない。そもそも育った土地柄か、野良猫自体あまり見かけなかった。むしろ野生のキツネのほうが見てきたくらいである。
それでも、ペットに憧れてユーチューブを見てきた経験から、
「動物病院に連れて行くのがいいんじゃないですか?」
このくらいの案は難なく出せた。
「獣医さんに診てもらえれば、色々と教えてもらえるでしょうし」
「動物病院かー」
つい先程、盲点を突かれた僕のようにユエさんはハッとする。そして子猫をそっとテーブルに降ろしながら、
「この辺だと、どこにあるかな」
「調べればすぐ見つかると思いますよ」
「どうやって?」
「そりゃ、スマホで」
先ほど渡されたスマホを見せると、両腕で大きくバツ印を作った。
それがなにを意味するものか、一瞬考え込む。
「あ、デジタルデトックス……」
「そう。わたしはスマホ、使えないの」
「ちょっと調べるくらいなら、いいじゃないですか」
「いーやー」
ユエさんは断固とした姿勢でスマホを拒絶する。
「でーも」
ニヤリと口端を上げて、意味ありげに言った。
「スマホで調べた情報を誰かが教えてくれる分には、わたし的にはセーフかな」
「それは……つまり?」
「そういうこと」
意図を察した僕に、ユエさんは満足そうに頷いた。
デジタルデトックスという自戒。でも、デジタルの恩恵は他人を介すればOKという超理論。
そのこだわりはなんなんだ、と思いつつも、面倒くさいとは感じなかった。
ただ、それは大きな恩を受けたからという理由ではない。
頭の中で、ふとひとつの考えが繋がってしまったからだ。
『余裕がないときに焦って決めようとすると、ろくな選択肢が見えてこないものだからね』
この言葉に嘘はないし、ユエさんが手を差し伸べようとしてくれたのも本当だろう。
ただ――そこには裏があったのだ。
なぜ、もう一日泊めてくれると働きかけたのか。
「一宿一飯の恩ってことで、よろしくね」
子猫のために、最初から僕にスマホを使わせるつもりだったのだ。
導入が終わるまで四万文字近くありますが、まずはそこまでお付き合い頂ければとm(_ _)m