01 配信界のスラム育ち、悪そうなやつはだいたい友達
ゴールデンウィークの中日。平日三日の学校も終わり、明日からまた四連休が始まる。
けれど、その予定は真っ白だ。もっとも、前半の三連休で温泉旅行を満喫したのだから、折角の連休なのに……と、もったいなく感じることもない。
せっかくだし、残りの休みは少し手の込んだ料理に挑戦してみるのも悪くない。いつもの家庭料理ではなく、もっとお酒が進むような一品を。
温泉旅行のあと、お酒を嗜むようになったユエさんに出してみたいレシピなら、いくらでも思い浮かぶ。なかでも、カヤちゃん直伝のレバーパテとフォカッチャの組み合わせは、自信がある。きっと喜んでもらえる。
そうやって浮かんでくる顔は、ユエさんだけじゃない。もうひとり、思い浮かぶ。
「ただいまー」
「おかえりー」
家主ではない声が、ソファーから軽い調子で返された。テレビに釘付けのその顔は、こちらを一瞥すらしない。
「はい、一位ー」
「きゃー!」
そして食い入るようなテレビを見つめていた家主が、突然悲鳴を上げた。
「うぅ……あれだけ独走してたのに」
ユエさんは悔しそうに肩を落とす。
どうやらふたりは、レースゲームの『マリオカート』に興じていたらしい。それも、タイトルの終わりに64がつく、昔のレトロゲームだ。
ゲームの実機は、任天堂の最新機種『SWITCH』が卓上に置かれていた。昨晩、仕事以外でゲーム機を触ったことがないとユエさんが言っていたから、わざわざ持ち込んできたのだろう。
「あ、聞いてよツバメくん!」
今更僕の帰宅に気付いたユエさんが、ありえないものでも見たような顔で訴えてきた。
「さっちゃん、周回遅れのハンデつけてくれてるのに、全然勝てないんだけど!」
「まあ、年季が違いますからね」
「でもでも、わたしを一度も抜かないで一位は、いくらなんでもおかしくない!?」
「あー……」
大人げないことをしたに違いない、ひじりんの中の人――久保幸子ことサチさんを、呆れながら見やった。
「サチさん、ショートカット使ったでしょ?」
「ショートカットって……そんなことできる場所、あった?」
ユエさんは目を細め、思い出そうとする。
「コースによっては、正規ルートで用意されてますけど……サチさんのことだから、アイテムやバグ技を使いまくったんじゃないですか?」
「へー、このゲーム、そんなことできるの?」
白々しいことを言いながら、サチさんはニマニマしている。
「SWITCHでこのゲーム配信されてすぐのとき、それで散々、コラボ相手を弄んだでしょ」
「あらー、さすが私のファン。そういうところはしっかり見られてたかー」
サチさんは愉快そうにあっさり自供すると、ユエさんが恨めしそうな目を向けた。
「つまり……さっちゃんがズルしたってこと?」
「ズルほどじゃないわよ。ただ、昔のゲームには抜け穴が多いからね。それを知ってるのが、多いか少ないか。たったそれだけの違いよ」
「なにも知らない相手に、それを活用するのはズルだと思います」
僕がそうツッコむと、サチさんはコホンと喉を鳴らし、物悲しそうな空気をまとった。
「燕大くんは……ユエちゃんの味方なんですか?」
「うっ……!」
「神はこう仰っております。『若井燕大よ。庇うべき相手を間違ってはならない』と。なにより、燕大くんに味方してもらえないなんて……私、とても悲しいです」
ここぞとばかりにひじりんの声音と口調を扱い、僕を惑わしてくる。なにが一番卑怯かって、しっかりと名前で呼んでくるところだ。ファンが喜ぶ心理を、的確に突いてくる。
僕はひじりんのグッズを集めているが、スパチャを投げたことはない。でも、彼らがメッセージ一通に一万円を捧げる気持ちはわかっているつもりだ。
自分という個人的存在を、認知される喜びである。
だから名前を呼ばれたり、自分の言葉に反応されると嬉しい。そのやり取りを通じて、推しと一対一のコミュニケーションが叶っているという実感があるのだ。
目を閉じるだけで浮かんでくる。
透き通る雪肌。淡い空色と金環の瞳。毛先が淡い桜色に染まった、月白のロングヘア。頭上には金の光環。純白を基調とした金糸の聖印を散らした聖女服。そして、初配信で「このおっぱいで聖女は無理でしょwww」とツッコまれた、豊かな胸。
あの聖純セインが、直接僕を呼びかけている。
「ユエさん。今回は相手が悪かったですよ」
「ツバメくん!?」
「やっぱり燕大くんは私の味方でしたね。燕大くん、だーい好きです」
裏切られたように表情を崩すユエさんと、惜しげもなくファンサービスをするサチさん。
聖徒(ひじりんのファンネーム)からしたら、それこそ泣いて喜ぶような――いや、裏でこんなことをしていると知られたら、今度こそ焼き尽くされそうなファンサだ。
でも僕は、最初から浮かれてたりなんてしなかった。
「僕たちが生まれる前のゲームですから。現役で遊んでた世代には敵いませんよ」
「燕大くーん?」
サチさんが、背中から刺されたような恨めしい声音を発した。
「現役?」
ユエさんは不思議そうに首を傾げる。
「このゲーム、96年に発売したって言ってたよね? でもさっちゃん、二十四、五歳くらいだから……生まれる前じゃない?」
「ユエちゃん。聖純セインは、永遠の十八歳なのよ」
「ツバメくん?」
ユエさんが正しい答えを求めてきたので、僕はあっさりと答えた。
「サチさん、今年のクリスマスで三十です」
「あ、Vチューバーって年齢公開してるんだ」
「してませんよー。なんでツバメくんは、非公開情報知ってるんですかー?」
ひじりん口調で、圧のある声を浴びせてくる。
「知ってるもなにも、サチさん、前世バレしてるじゃないですか。むしろそのせいで、あの炎上が起きたっていうか」
「前世バレって?」
また聞き慣れない言葉に引っかかって、ユエさんは首を傾げる。
「Vチューバーがデビュー前にやっていた活動がバレることです」
「つまり……?」
「たとえばユエさんが、高梨ツキコって名義でVデビューしたとして。それが世間に『ツキコの中の人、夜桜ルナじゃん』って特定されるんです」
「あ、それが前世バレね。なるほどー」
得心したように、ユエさんはポンと手を叩いた。その顔がすぐに、心配そうにサチさんを向いた。
「……え、それって大丈夫なの?」
「まあ……ただの公然の秘密ってだけで、今までは問題にならなかったんだけどね。私が活動休止に追い込まれた炎上って、ツバメくんも言ってたけど、その過去が原因だったのよね」
「……それって、わたしが聞いていい話なの?」
「聞いていいもなにも、まとめサイトにしっかり経緯が載ってるだろうし」
あれを自業自得と呼ぶには、少し酷だった。過去の発言を引っ張り出し、火をくべた無責任な他人たちが、ひじりんに延々と粘着した。その数が多すぎたのが、活動休止に追い込まれた炎上騒動の実態だ。
まるで、ヒィたんのアニメについて一言求められたリンが炎上したときみたいな、理不尽な騒ぎだった。
「私はね、中学生の頃からずっと配信活動していたの」
「そんな頃からやってたの?」
「当時、個人がネット配信で生活する未来なんて、誰も想像していなかったわ。だから夢とか大それたなにかを、そこで追いかけたわけじゃなくてね。ただ……チヤホヤされるのが嬉しかった。そうやって承認欲求を満たしてたのよ」
サチさんは苦笑しながら、自嘲するように言った。
「ま、そのへんの話は、今度お酒飲みながらね。ただ、その時代は発信側も受け取り手も、リテラシーなんてあったものじゃなくてね。今のお上品な配信環境と比べたら、まるでスラムのような世界だったわ」
「じゃあ、さっちゃんは配信界のスラム育ちなんだ」
「ええ、悪そうなやつはだいたい友達、って感じで――そんな連中相手して悦に浸ってたから、汚い言葉や問題発言も散々してきたわ」
そう言ってサチさんは、背筋を伸ばし、右腕を肩の高さまでぴんと伸ばした。
「ハイル・ヒットラー! ……とかね?」
「……え、それ、本当に配信でやったの?」
テレビ育ちの元タレントは、信じられないものでも見たように目を見開いた。
「散々ネタにしてきたわ。それで配信が盛り上がるなら万事オッケー、ってね」
「さっちゃん……それ、ライン越えすぎだよ」
「そのラインを決める節度やモラルも、当時のスラムにはなかったのよ。なにせ、ネット配信はパソコンで見るものだったから、一部の人間の社交場だったのよ」
懐かしそうに、サチさんは目を細めた。
「そんな界隈が、越えちゃいけないラインを意識するようになったのは、スマホが普及して、誰もがSNSで発信するようになってからね。その頃にはもう、ネットの世界は私たちだけの居場所じゃなくなったから。内輪ネタで済んでたものが、なにかの拍子で燃え広がる。そんな時代に適応するように、私たちはお上品になっていったわけ」
「つまりさっちゃんは、昔はやんちゃだったんだ」
「やんちゃ自慢をするつもりなんてないけどね。でも去年の十二月、配信でうっかり卍マークを逆に描いちゃって、過去のやんちゃを掘り返されたのよ」
「あー、そういうことかー」
すべてが繋がったように、ユエさんは納得した顔をした。
「一応、僕から擁護するなら、そのやんちゃはサチさんが未成年の頃の話です」
「何歳のとき?」
「今ならギリ成人です」
僕が目線を逸らしながら答えると、ユエさんは呆れるを通り越し、哀れむような目を向けた。
「さっちゃん、それはまずいよ……」
「若気のいたりだったんです、許してください……!」
「まあ、許さんぞと騒がれた結果が、あの炎上なんですけどね」
顔を覆ったサチさんに、僕は冷静に指摘をした。
「でも、そんな風に炎上しておいて、活動復帰できるの? 芸能界なら干される案件だよ」
「それを覚悟で帰ってきたら、別ベクトルで燃え盛っていた件」
サチさんは真顔で言い、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「でもね、帰った次の日、謝罪配信したんだけど、ちょっと泣いちゃったわね」
「どっちの意味で?」
「いい意味で」
ユエさんの問いに、サチさんは嬉しそうに答えた。
「四ヶ月以上、音沙汰もなく投げ出していた私にかかるには、もったいないくらいあったかい言葉ばかりだったわ。こんなファンたちを放っておいて、温泉の次は北海道一周しようとしてたなんてね」
「帰国したばかりなのに、そんなこと考えてたんですか?」
「ええ。だからあのとき、ツバメくんに出会えてよかったわ。――若井燕大くん、あなたに名誉聖徒の称号をここに授けます、ってね」
ひじりんの声使いでそう言うと、サチさんは悪戯っぽくウィンクした。
僕が関わったことで、ひじりんの活動がいい方向に転じたのは、授けられたとおり名誉と呼ぶにふさわしい。
「それで、復帰はいつからするんですか?」
「乗っ取られたアカウントを取り返したり、この四ヶ月のブランクを埋める情報も集めなきゃいけないし、会社と今後の打ち合わせもしなきゃいけないし……やらなきゃいけないこと、山積みだからね。まずは試運転配信を、休み明けに一本、ってところかしら」
「まずは雑談配信で肩慣らし、ですか?」
「ゲーム配信よ。私の復帰明けには、これしかないって一本、ヒィたんに勧められたから」
「へー。どんなゲームをやるんですか?」
「御伽ネットよ」
「御伽ネットって……あの?」
「あ、ツバメくん知ってるの?」
「え、ええ。ヒィたんがやってたの、最後まで見ましたけど……」
御伽ネット。それは心理パズルを謳ったアドベンチャーゲームである。
そのキャッチコピーは、
『その投稿は、夜だけ現れる。その真実は、信じるものだけに牙を剥く』
舞台は202X年、現代日本。
深夜二十三時、SNS上にだけ現れる謎のアカウント『御伽ネット』。
投稿されるのは、意味不明な詩や、古い童話のような文章。
しかし、それを解読したものは口を揃えて言う――
「これは、国家レベルの情報統制、人工災害、新型ワクチンを騙るマイクロチップ投与の支配者社会、そして裏で操る組織『ディープ・ステート』の暗号だ」と。
日常のすぐ隣で、ネットの裏側では、今日も『世界の選別』が進んでいる――。
「めっちゃ陰謀論系のゲームじゃないですか!」
「セインの頭にアルミホイルを巻くから、楽しみにしてなさい」
サチさんは不敵にニヤリと笑った。この一ヶ月、聖徒たちを絶望させた乗っ取りを、ここぞとばかりにネタへと昇華するとか、あまりにも逞しすぎる。




