03 デジタルデトックス
推しが陰謀論に目覚め、給料日に包丁が刺さった店長を発見し、憧れの先輩のパパ活現場を目撃した。そしてトドメとばかりに、一人暮らしのアパートが住宅街ごと火災に飲まれた。
ひとつだけでも十分に凶日となるような不幸が、まるで詰め込みすぎたスケジュール帳のように、たった一日に凝縮されていた。それもよりにもよって、誕生日に。
第一の不幸話を語ったとき、
「あぁ、そんなことがあったんだ。それは辛いね」
と同情してくれたユエさんだったが、『なんだ、そんなことか』という感情を隠し切ることはできていなかった。だが第二、第三の不幸を語るごとに、その眉間はどんどん狭まっていく。そしてトドメの話を終える頃には、ユエさんの顔は完全に引きつっていた。
「……君、前世でどれだけの悪事を働いたの?」
しばらくの沈黙の後、彼女が発した言葉は辛辣だった。
「今生で罰せられるような人間じゃなかったと信じたいです」
「今生で犯した罪の覚えは?」
「ピンポンダッシュひとつしたことありません」
「赤信号を渡ったことは?」
「それは……」
「神様を怒らせた覚え、あったようだね」
「その程度でここまで罰してくる神様なら、今頃人類滅びてますよ」
肩を落とす僕に、ユエさんは声を弾ませて笑った。
「でも、東口ではそんなことが起こってたんだ」
ふと、ユエさんは思い出したように呟く。
まるで他人事のような口ぶりに、違和感を覚える。
ユエさんが東口と言ったのは、この家が駅の西口側にあるからだろう。
現場を離れた今、あの火事がどこまで広がったのかはわからない。西口にまでは飛び火していないはずだが、それにしても――
「もしかしてユエさん……火事のこと、知らなかったんですか?」
「遠くからサイレンが聞こえてるなー、なにかあったのかなー、とは思ってたよ? でもまさか、そんな大惨事になってたとはね」
まるで海の向こう側で起きた不幸を、画面越しで見ているかのような語り口。
その態度には、さすがに呆れざるを得ない。ただし、事件の当事者を前にしてその反応はいかがなものか、という怒りではなく――
「いやいや。どのチャンネルも今頃そのニュースで持ち切りのはずですよ?」
家を焼かれた当事者だからわかる。あれは世間の関心が、一日二日で下火になるような火災ではない。それこそ歴史に残るような住宅街の大災害。今一番ホットな話題なのだから、テレビをつければ嫌でも目に入るはずだ。
「あ、うち、地上波は見れないから」
「え?」
「チューナーレスだからネット配信専用。わたし、ネトフリしか見ないんだ」
ユエさんはどこか自慢げな口調だった。
たしかに地上波が見られないのなら、ニュースは目にしないかもしれない。しかしあの災害を知らなかったは道理が通らない。
令和を生きる若者には、ニュースを知る手段が他にもある。
「でもあの災害の規模ですよ。スマホを触ってたら――」
「これがなんだかおわかり?」
芝居がかった口調で、ユエさんは白色の通信端末を掲げ、仰々しくパカっと開いた。
露わになった小さな画面、その下に並ぶ十を超えるボタン。
それがスマートフォンではないのは明らかだ。
「まさか、それは……」
「そう、これはラインやSNSは使えない。もちろんネットブラウジングにも向いていない。電話さえできればそれでいいの頂点にして完成形、ガラケーだよ」
ユエさんは誇らしげに胸を張る。
御年八十歳を超えるうちの婆ちゃんですら、スマホは手放せないと言っているのに。
「デジタルデトックス」
芝居かかった態度から一転、ユエさんは言った。
「デジタルデトックス?」
「そう。この情報社会、目にするだけで嫌な気持ちになる情報って多すぎるでしょう? 使い方次第だ、自衛しろって言われたらその通りなんだけど、それも面倒だからさ。だったらデジタルなんて捨てちゃえばいいやって、スマホは解約しちゃった」
「だからテレビも?」
「地上波も立派なデジタルだから」
「でもネトフリは見てるって」
「それはDVDをレンタルするみたいなものだからノーカン」
「なら、ユーチューブも見ていないんですか?」
「間違って点けないように、そのボタンは切り取りました」
彼女の信念。デジタルデトックスを決断するに至った理由は、もしかするとここにあるのかもしれない。
だが、昨日今日あったばかりの相手に、ずけずけと踏み込むほど無神経でもない。だから、この話は終わりでいい。
「まあ、東口側で起こってることを知らなかったのは、そんな理由として――問題は、君がこれからどうするかだね」
人のことよりも、まずは自分の現状をどうにかしなければならない。
「今、着の身着のままで、帰る家もないんでしょ? 大人しく実家に戻るのが賢明じゃない? 電車代くらいなら貸してあげるよ」
「実家、北海道なんで……」
「飛行機かー」
ユエさんは天井を見上げ、少し考えた後、問いかける。
「五万円だけ渡されて帰れる?」
「自信ないです」
入学試験や上京の際、飛行機こそ使ったものの、自分で手配したわけではなかった。空港と目的地の移動も、車で送迎してもらっただけ。
お膳立てされた道をただ進んできた令和の高校生にとって、スマホなしで飛行機を利用して帰宅するのは、あまりにもハードルが高く感じた。