38 ラブコメに置けるノルマの消化
いつもご覧いただき、誠にありがとうございます。
私事で慌ただしく、二日間更新が滞ってしまいました。
明日の投稿も未確定ではございますが、決して途中で投げ出すつもりはありません。
お待たせしてしまうこともあるかと思いますが、今後とも温かく見守っていただけますと幸いです。
草津温泉はその名の通り、温泉が一番の観光資源となっている。
だから、観光マップを頼りにモデルルートをたどった結果、思った以上に時間を持て余すことになった。
ゴールデンウィークということもあり、街は観光客で賑わっている。そんな中で、素顔を晒すような温泉三昧コースを満喫するのは、ユエさんには向かなかったのだ。
楽しめたのは、足湯巡りが精一杯といったところだ。
……まあ、当の本人は足湯から上がる度に、
「拭ーいて♪」
と、素足を差し出してくるので、それはそれで楽しそうではあったけれど。
基本は、観光地の土産屋を冷やかしながら、食べ歩きをして、見どころをつまみ食いするスタイル。そこに昼ご飯を挟んでも、なお時間は余ってしまった。
有名な湯もみショーも、午後の部は十五時以降。
その頃にはすっかり腰を据えたい空気になって、早々にホテルへチェックインすることになったのだった。
「へー、いい部屋だね」
揚げ饅頭を食べたときと、さほど変わらぬテンションで、部屋の奥へと入っていくユエさん。
ふたつ並んだベッドの内、窓際のベッドにダイブすると、
「こっちがわたしねー」
と、無邪気に主張していた。
一方の僕は、部屋の様相に呆然とし、出入り口から一歩も動けずにいた。
十畳ほどの和室。低い座卓と座布団が並び、お茶セットと茶菓子が用意されている。奥にはラタンの椅子と丸テーブル。そして小さな冷蔵庫。
それが、僕が体験してきたいつもの温泉旅行だ。
しかし、部屋に足を踏み入れた途端、真っ先に目に飛び込んできたのは、ガラス越しに覗く大きな浴槽だった。黒を基調としたバスタブが、堂々と屋外に設置されている。
ガラス張りの壁の手前には、グレーのソファーセットにローテーブル。
さらに左手には、ダブルサイズのベッドがふたつ。
静かで、洗練された空間。
まるでテレビでしか見たことのない世界だった。
「どうしたの、ツバメくん? そんなところで立ち止まったまま」
「いや……これが普段、友達が見てる景色なんだなって」
コウくんが身を置く世界を、初めて共有した気がした。
厚みのあるカーペットを踏みしめながら、妙な居心地の悪さを覚えつつ、僕はソファーに荷物を下ろした。
「しかしまた、凄い部屋取りましたね……」
「内風呂付きってなると、部屋のグレードも相応になるからね」
「内風呂とか、また贅沢――って、ユエさんには必要でしたね」
「さすがにここまで来て、温泉に入れないのは寂しいからね」
温泉三昧コースがそうであったように、ユエさんは大浴場や露天風呂を利用できない。
「貸し切り風呂もあるけど、ひとりで入るならこのくらいで十分だから」
「なにより、好きなときに入れますしね」
「まあ、ツバメくんが一緒に入ってくれるなら、貸し切っちゃうけど……どうする?」
「入りません」
「うーん、いけずー!」
最初から期待していない、調子っぱずれな声。
これに構うとキリがないので、僕はテレビを点ける。ユエさんは地上波厳禁なので、すぐにネットフリックスのボタンを押した。
「やっぱり、こういうホテルのテレビは今どきだなー」
僕の実家にはついていない機能なので、こんなところにも感心してしまう。
でも旅行に来てまで、映画やアニメを見たいわけではない。BGM代わりに、過去に見た海外ドラマでも流そうとしたのだ。
ログインに必要なメールアドレスと、パスワードはユエさんから教わり、スマホにメモしているが……メールアドレスがいかにもな初期設定。ランダムな英数字列で法則性がないから、入力に手間取った。
「ツバメくーん、お先にお風呂頂くねー」
「はーい、ごゆっくりー」
後ろからかかる声に、テレビの操作に気を取られたまま返事をする。
入力ミスによるログイン失敗を、二回ほど繰り返したところで、
「ん?」
コンコン、とガラスを叩く音がした。
目を向けると、ガラスの壁越しにユエさんが立っていた。
バスタオルの端を両手で持ち上げ、胸元から下を隠している。肩の素肌が惜しげもなく晒されていた。
そして、タオルを持っていた両手を、パッと離した。
「なっ!」
目を逸らさなかったのは、その行動に期待したからではない。あまりにも咄嗟のことで、反応できなかったのだ。
それが釘付けになったとように見えたのだろう。
「残念でしたー」
してやったりの声が、ガラス越しに聞こえてきた。
落としたのは、あくまで目隠し代わりのタオル。本命のバスタオルは、きちんと身体に巻き付けられていた。
「ユエさん……」
肩をがっくりと落としたのは、裸体を拝めなかった失望ではない。こんなしょうもない罠にひっかかり、心がかき乱された疲労感だった。
「期待させちゃって、ごめんねー」
合わせた両手を頬に当て、ペロリと舌を出すユエさん。
そもそもの話だ。バスタオル姿のユエさん自体、年頃の男子には十分毒である。まずはそこに恥じらいを持つべきであり、男心をからかうにしても身体を張りすぎた。
「でも、これで一生ツバメくんの記憶に残ったでしょ?」
だから、それは天罰なのか。はたまた詰めが甘かっただけか。
どちらにせよ、下ったのは自業自得の四文字である。
「あっ……」
どちらが声を上げたのか、判然としない。
ユエさんの身体に巻かれていたバスタオルが、ふわりと宙を舞い、そのまま足元に無防備のまま落ちた。
滑らかな肩。
細くくびれた腰。
そして、女性特有の柔らかな曲線。
生まれたままの無垢な姿が、ガラス越しに映し出されていた。
初めて生で目にした女性の裸体は、これ以上ないほど贅沢であり、生々しい質感をまとっていた。
「ぁ……あ、あ」
目を逸らせなかった。
釘付けになったのは、男の本能だったのかもしれない。
永遠にも感じられる時間――実際には、ほんの数秒だったかもしれない。
ユエさんは、ぎこちなくバスタオルを拾い上げ、無言で浴槽に入った。
そして――
「あぁあああああ……」
断末魔のような声を上げながら、頭まで湯船に沈んで消えていったのだ。
ようやく我に返った僕は、慌ててカーテンを閉じた。
「いや……たしかにね。これは一生記憶に残ります」
下半身に巡った血流が落ち着くまで、しばらく時間を要したのだった。




