36 結局、日本の外食文化は最強
コウくんは悪びれる様子もなく、唸るようにして続ける。
「いや、問題点はわかってるんだぞ? 今までペットで満たされていたものを、ワカに求め始めた。その状態が健全じゃないから、どうにかしたいって話だろ?」
僕が感情のまま吐き出したものを、冷静に整えて返してくる。
そこまでできるなら、なにか解決策のひとつやふたつ出てきそうなのに。
コウくんは苦笑して首をすくめた。
「一番の問題は、寂しさを満たす相手が一極集中してることなんだよな。他のペットで補えるなら、それが手っ取り早い話だが……」
「こういう出会いは一期一会だってさ」
ペットショップやブリーダーから迎える気は、最初からなさそうだった。
「ユエさんに家族は?」
「両親とは死別。歳の離れたお兄さんはいるようだけど」
「そっちに甘えられるなら、とっくに甘えてるか」
そういえばユエさんが誰かと連絡を取っている様子は見たことがない。
どんな兄妹関係なのかはわからないからこそ、簡単には口を出せない。。
「同性の友達とかは?」
「仕事を辞めたあと、家族親戚以外の人間関係、リセットされてるみたいなんだよね」
そう言って、アイドル時代の仲間とは連絡を取っていないと話していたのを思い出す。
「だから外で友達作れ、ってワカが言うのもおかしな話だもんな」
「そうなんだよねー……」
「なにより説得力がねーしな」
「……そうなんだよねー」
何気のない一言。悪意がないからこそ、胸が痛かった。
それはそれとして、これは言える立場や説得力どうこうではなく、ユエさんの有名税の問題だ。
あの人は、外出する際は変装を欠かさないくらいの有名人。趣味になりそうな教室や習い事を始めてみては、なんてことは気軽には言えない。
「ほらな、八方塞がりだろ?」
コウくんは両手を広げて、やれやれと苦笑した。
「もうこれは、ひょんな出会いから友達ができるのを期待するしかないな」
「そんな都合のいい出会い、あるわけないじゃん」
「でもそれがないと、大人の階段に上ることになるぞ。――ま、俺はそれでも全然アリだと思うけどな」
「自分の気持ちだけは裏切るなって言ったのは、コウくんだろ」
「なに、それを含めた、失敗や間違いがあっての人生だ。それに、上った先でしか見られない景色ってのもあるもんだぞ」
「他人事だからそんなこと言えるんだよ……」
僕はげんなりしながら、ため息をついた。
あれだけ頼もしいことを言ってくれたのに、いざ相談してみれば、解決策はなにもなし。自分の気持ちの問題点がクリアになっただけだった。
正直、ユエさんのような綺麗な人と、あの距離感で接されるのは悪い気はしない。表に出さないようにしているものが、心の奥で満たされてしまう感覚もある。
でもそれ以上に、どこかユエさんの善意を穢してしまったような、罪悪感が勝ってしまう。
今はまだ耐えられているけれど、果たしてこの先も、この理性を守り続けられるだろうか――
そんな不安を抱えたまま帰宅すると、
「ただいまー」
「あ、おかえりー!」
靴を脱いでいると、ユエさんが玄関に飛び込んできた。
まるで帰宅したご主人を出迎える犬のように、尻尾でもあれば全力で振ってそうな勢いだ。
これじゃあ、どっちが飼い主なのか……いやいや、別に飼われているつもりはないのだが。
「ねえ、ツバメくん。今度のゴールデンウィーク、予定とかってある?」
「いえ。もうバイトもしてませんから、予定らしいものはありませんけど」
「だったら――」
ユエさんは、手に持っていた一枚のチラシを広げて見せた。
そこには誰もが知る、有名観光地の名前が印刷されていた。
「次のゴールデンウィーク、温泉にいこっか」
◆
久保幸子は、空になったラーメン丼ぶりを前に、手を合わせていた。
「あー……美味しかった。ありがとう……本当にありがとう」
「今まで食べてきた中で一番美味しかったラーメンは?」と聞かれたら、幸子はきっと、この一杯を挙げるだろう。
とはいえ、この店が特別な味だったわけではない。むしろ、今まで何度も食べてきた味であり、誰もが知っているような有名チェーン店の一軒だ。
空港内には他にもラーメン店が何件か入っていて、幸子がどの店を選んでいたとしても、きっと『最高の一杯』は更新されていただろう。
「結局、日本の外食文化は最強ね」
帰国して最初の食事が、たまたまこのラーメンだった――それだけの理由で、この丼ぶりは至高の一杯になったのだ。
「ごちそうさまでーす♪」
お腹を満たした幸子は、軽い足取りで店を出る。もう既に、次の食事に思い巡らせていた。
「牛丼、カツ丼、お寿司に天ぷら……あー、おでんもいいわねー。こう……ワンカップを出汁割りで、グイッと一杯……ふふふ」
独り言が止まらない幸子は、周りの視線などまるで気にしていなかった。
どうせ自分がなにを喋っているのかなんて、誰にもわからない。四ヶ月にわたる海外生活で、そんな独り言を呟く癖がすっかり染み付いていた。
それでこれから先、何度も恥を掻くことになるのだが、本人はすぐにケロッと開き直る。それもまた、海外で身についた図太さのひとつだった。
「あとは焼き肉。まあ、その辺はヒィたんでも誘って……っと」
幸子は旅先で購入したメモ帳を取り出す。
英語のフレーズや旅のメモが走り書きされたページをペラペラとめくり、中ほどに目的のページを見つけた。
そこにはしっかりと日本語で、これから向かう先の住所が書かれている。それを頼りに駅員に乗り換えを尋ねながら、目的地を目指す。
本来ならスマホ一台があれば、人に頼らずとも済む話だ。
だが幸子は、今スマホを持っていない。
渡航後の二週間目のある日、カバンを漁っている隙に、テーブル脇に置いていたスマホを盗まれるという洗礼を受けたからだ。
以降、現地で借りたスマホを使っていたが、帰国前に返却した。
「持って帰ってもいい」とは言われたが、元々盗まれたのはサブ機。自宅に戻ればメインのスマホがある。
日本語さえ通じればどうにでもなる。そんな気楽さで、今日も彼女は動いていた。
「温泉、温泉っと」
帰国前に予約した温泉宿を思い浮かべ、幸子の心は踊る。
昨年十二月にうっかり炎上し、ネット活動を休止した幸子。
あのときは、目に映るすべてが敵に見ていた。
そんな折、「こっちに来ることがあれば連絡しなさい」と言ってくれた、今はもう閉店したバーのマスターの顔を思い出した。
その人は高校卒業後、すぐに海外へ出て一財産を築いたらしく、日本に戻ってからは遊びでバーを始めたらしい。それでまたやりたいことができたらしく、また拠点を海外へと戻したのだ。
そんな散々愚痴を聞いてもらってきた相手だ。お久しぶりですという言葉も省いて、「そっちに遊びに行っていいですか?」と連絡したら、すぐになにかあったのだろうと察せられ、電話であれよこれよと悩みのすべてを聞き出された。
「面倒は全部見てあげるから、カバンひとつでこっちに来なさい」
そんな軽い気落ちで、海外の距離を渡ってこいと言われた。
「行きます……マスター……会いたい、です」
今日まで溜め込んできたすべてを吐き出すように、ボロボロと涙を流しながら、渡航することに決めたのだ。
パスポートは元々、いずれ必要になるかもと事務所に言われて取っていた。
初めてとなる国際便のチケットも、すべて手配をしてもらえた。
そうして最低限のものだけを詰め込んだバックパックを背負って、幸子は初めてとなる海外へと旅立ったのだ。
あの日から、もう四ヶ月が経とうとしている。
あれだけ弱っていた精神状態は、見違えるほど回復していた。それどころか、図太さの塊のような成長を果たしていた。
だから真っ直ぐ帰らないのは現実から逃げるためではない。むしろ立ち向かう闘志が湧いたからこそ、活動を再開したいと母国へと戻ってきたのだ。
この後には、忙しい時間が待っている。
だからその前に、海外に塗れた心身を、温泉で日本仕様に整えておきたい――という名の欲望を、まずは発散しておきたかった。
宿には美味しい日本食もある。まさに一石二鳥である。
「カードもある、現金も下ろした。パスポートもばっちり」
幸子は頷きながら、グッと握った拳を振り上げる。
「よし、いざ行かん。秘境、グンマー!」
こうして幸子は、また別の形で燃え上がっている現実に気づかぬまま、軽快に群馬へと旅立ったのだ。




