24 一番のお友達
うちの高校は、初日から授業やテストがあるような進学校ではない。始業式が終われば、教科書や書類の配布、それからクラス委員を決めるのがホームルームの主な内容だった。
「はいはい。騒ぎすぎよ、もっと静かにしてー」
三田先生が軽く注意をするくらいには、教室中は賑やかだった。
たしかに「おまえがやれよ」なんて声は飛び交っていたけれど、決まるまでに時間がかかったわけじゃない。前年度からクラスの中心だったんだろう、いかにもな陽キャ大将が、愉快な仲間たちからの推薦に根負けするような形で、
「わかったわかった、俺がやるって」
と、満更でもなさそうな苦笑を浮かべながら手を挙げた。
こんな風にして、午前授業だけで終わった、新年度初日。
部活へ向かうもの、遊びに行こうぜと盛り上がるグループたち。そんな賑やかな下校風景を横目に、僕はひとり、まっすぐ帰路についていた。
こういうときこそ、友達と遊びに行くのが健全な高校生なのかもしれない。でもコウくんは基本的に暇のない学生だ。
彼の身体はひとつしかないが、それを求める人間は多い。放課後は文字通り、精を出すのに忙しいのだ。
電車に揺られながら、今日はなにを作ろうか――と考えていたとき、
「テールくん」
弾むような声が、僕を呼んだ。
顔を上げると、太陽のような笑顔がそこにはあった。
一言で言うなら、ギャル。ギャルの定義はよくわからないけれど、周りが彼女をそう定義しているのだから、僕もギャルだと認識している。
ぱっちりと大きな目元に、すっと通った鼻筋。そんな言葉をいくつ並べても、「美少女なんだな」以上の印象は生まれないだろう。だからわかりやすい見た目の特徴を挙げるとしたら、やっぱり髪だ。
腰まで届くロングヘアは、風を含んだように軽やかで、ゆるやかなウェーブがかかっていた。その長い髪を、上のほうだけ緩くすくい上げて、後頭部の中段で軽く束ねられている。ポニーテールほど主張せず、それでも一瞬で目を引く絶妙なまとめ方だった。
そして艶やかな黒髪の内側に隠れるのは、鮮やかなターコイズブルーのインナーカラー。ふとした動きの中で覗くそれは、まるで海の色を髪の奥に潜ませているようだった。
それが彼女、竹林輝姫の誰よりも目を引く特徴だ。
「朝はごめんね」
カグヤ先輩は両手を合わせながら、申し訳無さそうに言った。
「無事なテルくんが見えたら……もう、いてもたってもいられなくて」
過去の過ちを恥じるように、カグヤ先輩は苦笑いを浮かべた。
「……あの後、周りになにか言われなかった?」
「噂になってるって、コウくんから言われたくらいです。でも、あの私服の男子が僕だってバレることはないはずだって」
「よかったぁ……テルくんに迷惑かけてないか、それだけが心配だったから」
安堵の息と一緒に、カグヤ先輩は胸に手を当てる。
「カグヤ先輩こそ、周りから色々と聞かれて、大変だったんじゃないですか?」
「うーん……女子のほうは結構しつこかったけど、そこはしっかりはぐらかしたから。これ以上、テルくんには迷惑かけないよ」
「女子のほうは……? 男子は違ったんですか?」
「は? あんたに関係ないじゃん」
カグヤ先輩は一転して、冷たい声でそう言い放った。
わかっていても、身体がぶるりと震えるのを抑えきれなかった。
「これで一発撃退」
カグヤ先輩は白い歯を見せて、無邪気にピースしてくる。
「容赦ないですね……」
「だってさ、特別仲がいいってわけじゃないんだよ。友達相手にはぐらかしてるやり取りしてるのに、面白がって首突っ込んでくるとか、普通に失礼じゃん?」
不快そうに眉根を寄せるカグヤ先輩。
お近づきになりたいからこそって気持ちもあるのでは?
そんな言葉が喉まで出かけたけど、僕はぐっと飲み込んだ。
たとえ好意からだったとしても、距離の詰め方を間違えたら、それは迷惑でしかないのだ。
ふと、カグヤ先輩が隣に腰を降ろしたタイミングで、あることに気づいた。
「あれ……そういえばカグヤ先輩、なんでこの電車に?」
この路線は、カグヤ先輩の通学経路じゃない。
帰り道でバッタリ、なんて偶然はまず起こらないはずだ。
「それはもう、そこにテルくんがいるから、だよ」
まるで、「なぜ山に登るのか」と問われた登山家のように、迷いのない声音だった。
「学校じゃ人目があるし、テルくんのスマホもダメになっちゃったでしょ? だからこうでもしないと、話す時間作れないじゃん」
「そのためにわざわざ?」
「だってテルくんは、一番のお友達だもん」
僕の問いに、カグヤ先輩は太陽みたいな笑顔を咲かせた。
まるで、誇らしげに胸を張るように。
そんな顔が熱くなるような言葉を、少しの照れも見せず、まっすぐに言ってのける。
春休み前と、まったく変わらない。
僕がよく知っている、あのカグヤ先輩のままだ。
それがたまらなく嬉しくて――だからこそ、あの日、網膜に焼き付いたあの光景が脳裏をよぎると、奥の方で鈍い痛みが音を立てて響いた。
 




