19 残酷なまでに優しい真実
一体、なぜ選んだ服一枚で、ここまでのことを言われなければならないのか。その不満が胸に宿る前に、僕は自分のファッションセンスに不安を感じ始めた。
「酷いのは君のファッションセンスだよ」
「そ、そんな酷いんですか……この服?」
「そうだね……たとえば、初めてあった人と、ご飯を食べることになったとするでしょ? その人が間違った箸の持ち方をしていたら、どう思う? 」
「……まあ、問題あるかないはともかくとして、目にはついちゃいますよね」
「そう。『あ、この人ちゃんとお箸を持ててない』って、どうしても目についちゃうんだよね」
ユエさんは人差し指を立て、強調するように言った。
「そうなると親の躾とか、育ちとか、だからこの人はこういった人なんだろうなって、色々と想像しちゃうわけ。人に迷惑かけるかけないか、じゃなくて、相手に与える印象の問題ね」
「たしかに……あまり考えたことはなかったですけど、そのとおりかもしれません」
「そこでね、昨日のお風呂上がりの話を思い出して」
ドライヤーを使わなかったばかりに、完膚なきまでに叩きのめされた苦い思い出が、舌の上に蘇る。
「この問題はね、その話と一緒。人付き合いを重ねてからじゃないとわからない中身、ってものはもちろんあるよ? でも、第一印象が悪いとね、そこから先に進めないなんてことは、よくある話だから。
どれだけ指摘しても『うるさい、これが俺のやり方なんだ』って意固地になってる部下を、取引先との会食になんて連れて行けないでしょう? そんな恋人を厳格なご両親に紹介できると思う?」
「無理でしょうね」
「だよね? だからこそ、間違っているってわかっているものはね、ちゃんと矯正していかなきゃいけないの。簡単に直せるものならなおさらね。なぜなら社会に出てから損するのは、その人自身なんだから」
「なるほど……」
ユエさんの言葉に、僕は無意識にうなずいた。
箸の持ち方ひとつで、そんな損をするとは考えたこともなかった。たしかに、簡単に矯正できるのなら、今すぐ直したほうがいいに決まっている。
でも、ここでふと気づいた。
――そういえば、僕、ちゃんと箸は正しく持てるぞ。
そのあたりの躾は、婆ちゃんにしっかり仕込まれてきた自覚がある。
あれ、だったらこの話、僕になんの関係あるんだろうか?
「ツバメくんの服のセンスはね、それと一緒」
僕が抱える問題――つまりファッションセンスは、箸の持ち方と同じようなものだと、ユエさんは断じた。
「こんな服を来ている子は友達に紹介できないし、恥ずかしいから隣を歩いてほしくない。だからね、この先、二度とこんな服を選んじゃダメだからね。お姉さんとの約束だよ?」
「……わかりました」
自分の服のセンスが、箸の持ち方と同列の矯正案件だったとは。ちょっと……いや、かなりショックだった。
「はい、ゆーびきーりげーんまん」
ユエさんが差し出してくる小指を、僕は無言で受けいれたのだった。
そうして一安心したかのように、ユエさんはホッと一息をついた。
「まったく……普通にまともな服を着てるから油断したよ。まさか、そんな道を踏み外した服を好むような子だったなんてね」
「……なんか、申し訳ありませんでした」
ユエさんにそこまで言わせてしまったことが堪えて、僕はつい、居た堪れなくなり身を縮こませる。
「そのまともな服はどうしたのさ」
「これですか?」
上着の胸元を摘みながら、自分の格好を見下ろす。
白いロングTシャツに黒のブルゾン、下はグレーのスラックス。シンプルで落ち着いた組み合わせだと思う。
「去年、コウくん――男友達から貰った服です」
「ああ、例のママ活の」
その一言で、服のセンスに納得がいったのか、ユエさんが妙に得心がいったような声を上げた。
ただ、コウくんの活動は、ママ活なんて軽い言葉で片付けられるようなものではない。
けれどその話を始めると長くなってしまうし、話の本筋から逸れてしまう。だから、ここであえて注釈するのはやめておいた。
「中学生のときに着てたものだけど、もうサイズが合わないらしくて。ブランドものだから、誰かと遊びに行くときはこれを着とけば間違いないって」
そう言われて、他にも何着かもらった。そのときに「こう組み合わせて着ろ」と教えられたコーディネートが、三パターンある。
ブランド品ということもあり、大切に扱っていて、普段着として使うことはあまりない。主に、コウくんやカグヤ先輩と遊びに行くときに着ている。
今回は誕生日ということで引っ張り出してきたのだけれど、どうやらそのせいで、僕のファッションセンスがまともだと、誤解を与えてしまったらしい。
「……ちなみにそのお友達と、道を踏み外した格好で遊びに行ったことは?」
ユエさんはなにかを、探るような口調で問いかけてきた。
「去年、一度だけ……。そうそう、その後すぐにこれを――はっ!?」
今まで伏せられていた真実が、点と点を繋がり気づいてしまった。
「お友達は優しい子だね。道を踏み外している友達のセンスを見かねて、傷つけないようにそれとなく導いてあげるなんて」
ショックを受けて沈んだ僕に、ユエさんは優しげな声をかけてくる。だがその言葉は慰めるどころか、傷口に塩を塗るような鋭さを持っていた。
思い返せば、あの日はコウくんに誘われて出かけたのだが、待ち合わせてすぐに牛丼を食べに行って、「急に予定が入った」と言われて解散の流れになった。
そして休み明けに服を譲ってもらったという流れで――今になってようやく、その意味を知ることとなった。
残酷なまでに優しい真実に気付いた僕は、呆然としたまま肩を落とすしかなかった。
「大丈夫だよ、ツバメくん。ちゃんとお姉さんが、普段遣いできる恥ずかしくない服を選んであげるから。とりあえず、ユニクロ行こっか」
「……お願いします」
僕は黙って、ユエさんの介護を受け入れるしかなかった。




