12 感謝の先に幸せが生まれる
さすがのユエさんも、そこをからかう気になれなかったのか、それ以上は深堀りしなかった。
代わりに世の母親のような顔をしながら、
「なら、こっちではちゃんとお友達ができたの?」
「ハッキリとそうだと言えるのは、ふたりかな」
ユエさんの顔には、少ないなと書いてあった。
「その分、少数精鋭なんで」
「でもひとりは例の先輩でしょ?」
「も、もうひとりも精鋭ですから!」
「どんな子?」
「黄色い声って、こういうことかって学ばせてくれました」
「そんなキャーキャー言われてるの?」
「登校するその姿は、御来光が昇るって言われてます」
「そんなザ・学校の王子様みたいな子、本当にいるんだ。抜け駆けは許さないって、女子たちは牽制しあったりしてないの?」
「牽制するもなにも、最初から女子たちのことなんて相手にしてませんから」
「……ほうほう、そういうことか」
「なにがそういうことなんですか?」
獲物を前に舌なめずりするような姿に、不穏なものを感じながらも尋ねる。
「君がその子とお友達になれた理由」
「……彼は普通の異性愛者です」
「きっと、それは獲物を前にした仮の姿だね。油断をしたところをパクリだよ」
とんでもない妄想を押し付けられ、思わず顔をしかめた。
「仮でもなんでもありません。単にお金のある大人しか相手にしないだけです」
「お金のある、大人……?」
「あっ」
しまった、と滑らせた口を結んだところでもう遅い。
ユエさんは心底呆れたように言った。
「君の友達、いかがわしい大人を相手にしてる子しかいないの?」
「うぅ……」
とんだ少数精鋭だ。頭が痛い。
「で、でも! 友達として付き合う分にはいい人たちですから!」
「でもふたりにはパパとママがいるんだよね?」
「それでも、大切な友達なんです」
少しだけ視線を落としながら、この一年を思い返す。
学校で友達と呼べるのは、たしかにあのふたりしかいない。でもやり直して、多くの友達ができる道があったとしても、そっちを選びたいとは思えない。それはふたりが、本来見上げるだけだったはずの存在だからではない。
「この一年は、今までの学校生活で一番楽しかったから。僕を友達だって、言葉にまでしてくれるふたりには感謝してるんです」
ふたりとも、僕なんかとは釣り合わないほどの人気者だ。それなのに対等の友達として扱ってくれる。
カグヤ先輩の件はたしかにショックだった。でもよくよく考えれば、呆れを通り越してヤバイ、を更に通り過ぎてスゴイの言葉しか出てこないコウくんと比べれば、パパ活なんて可愛いものに思えてきた。
「感謝、か」
ユエさんは言葉を噛みしめるように呟くと、ふっと微笑んだ。
「わたしの好きな言葉にね、こんなのがあるの。『感謝の先に幸せが生まれる』」
誰の格言だろうか。初めて聞く言葉だった。
「天河ヒメの座右の銘なんだけど、知らない?」
「天河ヒメ?」
「えー、もしかして知らないのー? 平成を代表する元アイドルで、今もテレビによく出てるのに!」
存じ上げません、とかぶりを振る。
「そんなに有名なんですか?」
「わたしたちの親世代なら、知らない人はまずいないよ。わたしなんて、小さい頃からヒメちゃんを目指しなさい、って言われて育ったくらいだよ」
『はぁ……』くらいな反応しかできない僕に、ユエさんは諦めたのか、真面目な表情に改める。
「これから先、問題が山積みで大変かもしれない。でもね、これからたくさんの人たちが、君のために頑張ってくれるはずだよ」
僕はじっとユエさんの言葉に耳を傾ける。
「だから、それを当たり前だと思わず、今みたいに素直な気持ちで感謝できる人でいられたら——きっと、君は幸せになれるから」
その言葉が、胸にすっと染み込んだ。
父さんが亡くなってから、嫌なことが沢山あった。それでも腐らずにやってこれたのは、支えてくれた人たちがいたからだ。
地元を飛び出して、慣れない一人暮らしには苦労もあった。けれど、新しい場所で出会った人たちのおかげで、今は心から地元を飛び出してよかったと思える。
今日まで助けてくれた人たちに、心から感謝している。
『感謝の先に幸せが生まれる』
「そうですね。たしかに昨日は不幸のどん底でしたけど」
その言葉の意味を、身に沁みるほどに実感していた。
「今はユエさんのおかげで、上向きになりました」
「うんうん、素直な子は可愛いね。偉い偉い」
子どもを褒めるように、ユエさんは頭を撫でてくる。恥ずかしさはあるが、今は感謝すべき相手の気が済むまで黙って受け入れる。
「わたしもね、最近ひとりは寂しいなー、って思ってたところだから」
ふと、ユエさんの視線がソファーの後ろ、空き部屋だった場所に向けられる。
「あの子に出会わせてくれた君には感謝してるよ」
そこは今、子猫のための部屋になっていた。今頃、すやすやと眠っているだろう。
「ユエさんに拾ってもらえたなんて、あいつは幸せものですね」
「なーにー、羨ましいの?」
「羨ましい羨ましい」
「なら、ついでに君も飼ってあげようか?」
「……あのキッチンを自由にできるなら、それもありですね」
からかってくるユエさんに、こちらも軽口を返す。
するとユエさんは、ふと考え込むように間を置き、
「ねえ、テルマサくん」
名前を呼ばれた瞬間、違和感を覚えた。
今までずっと『君』として呼ばれていなかったからだ。
「なんですか?」
そう問い返して、初めてそれに気づいた。
「君、明日からどこで暮らすの?」
確認作業のような、けれどどこか改まった口調だ。
「宿直室みたいなものがあれば、学校に泊まりたいですけど……やっぱり当分、ホテル暮らしですかね」
「今の時期、ホテル代は高いよ」
「出費が嵩む前に、新しい部屋を見つけないと……」
「でも引っ越しシーズンも終盤だからね。いい物件は、ほとんど埋まっちゃってるだろうね」
「どこかで妥協が必要でしょうね」
「その妥協をしようにも、今の時期に残ってる物件には、それなりの理由があろうだろうから」
ユエさんはわざとらしく肩をすくめる。
「ほぼ凶と大凶しか入ってないおみくじを引くようなものだよ。末吉を引ければラッキーってね」
これからの未来は暗いだけではない、きっと上手くいく……と先程まであれほど励ましてくれていたのに。
今はただ、現実をわかりやすく……脅すように突きつけてくる。
それがユエさんらしくないと思っていたら、
「だから、まともなおみくじが補充されるまで」
ユエさんは、ニッと笑い、こう言った。
「夏休みまで、うちで住み込みのバイトしない?」
その提案の意味を、すぐに飲み込めなかった。




