10 気持ちを表明されるような言葉には気をつけよう
「でも、ファンの数と熱量は本物ですよ。だからこそこの制作会社が手を上げて、予算をかけたアニメを作れたんだと思います」
「この作品のどこに、そこまでのファンを生む力があるの?」
「原作者がVチューバーだからです」
「Vチューバーか……」
ユエさんは言葉を噛みしめるように反芻する。
「そっちの界隈には詳しくないけど、それだけのファンを抱えてるってことは、配信者として相当忙しいんじゃないの? それで作家業もこなしてるなんて、凄いね」
「いや、実際書いてるのは当人じゃなくて、ちゃんとした作家です。クラトワは自分のキャラを小説化したというか、昔書いた小説のリメイクというか……Vチューバーとして人気が出たから、黒歴史を本にしちゃった、みたいな」
「凄い胆力だね……なんて名前の子?」
「ヒィコ・ナーヴェ」
「あ、『人気Vチューバー、人気ゲーム配信者とのお家デートを誤配信』!?」
「そうそう、それ」
「あの炎上は凄かったよねー。Vチューバーとか詳しくないわたしでも、名前を覚えちゃったもん」
「夜桜ルナみたいに?」
「そうそう。夜桜ルナみたいに」
ユエさんは僕の顔をじっと見据え、おかしそうに笑う。
「あの頃はその炎上を持ち出して、気をつけろって口を酸っぱくして言われたな」
懐かしむように口ずさむユエさん。可愛いを売る仕事に関係があるのかと思い、聞いてみようとしたら――
「でもあれだけの炎上をしておいて、まだ活動続けられてるんだ。あの界隈のファンって、こういうスキャンダルは絶対許さないイメージだけど」
「実はその人気ゲーム配信者、弟だったんです」
「またまたー。そんな苦しい言い訳、ファンが本当に信じたの?」
「信じたようですよ。ちゃんと釈明配信で真摯に事情を説明して、事務所もそれが事実だと認めたって」
「へー、そんな展開があったんだ。それでファンの信頼を取り戻したってわけね」
「まあ……その配信でヒィたん、つい弟が彼女持ちだと口を滑らせて、また炎上を引き起こしたんですけどね」
あの配信はまさにカオスだった。
弟のガチ恋勢は地獄から這い上がるなり、容赦なく再び絶望へと叩き落され、裏切りに怒り狂いながら罵詈雑言を撒き散らす。
対して、ヒィたんのガチ恋勢は安全圏から、『避妊はしっかりするんだぞ』とゴム代だホテル代だと、爆速で流れるコメント欄を虹色に染めげる。
そんな天国と地獄に板挟みされながら、口を滑らせた姉にマジギレしている切り抜き動画が、一ヶ月で一千万再生を突破したらしい。
「うわ、ひっど!」
そう言いながらも、ユエさんは面白がって両手を叩いている。
ちなみにそのゲーム配信者は、今年に入ってまた炎上していた。
理由は、雑談中に兄を自称するヒィたんのファンから、
『弟よ、クラトワのアニメ化についてどう思ってる?』
と聞かれ、
「あのクソ小説がアニメ化するなんて世も末だな」
と素直な気持ちを漏らしてしまったのが始まりだ。
この姉弟の関係については、ファンたちもよく理解している。兄を名乗る不審者たちも、『辛辣で草』と笑い飛ばし、その配信は荒れることなく和やかに終了した。
問題は翌日、その発言を切り抜いた動画が出回ったことで、別の層に火が点いたことだった。
弟としては、ヒィたんがVチューバーになる前に書いたものを指して、姉を冗談でイジったつもりだった。だがそれを許さないのが無責任な第三者である。
当事者とファンがネタとして受け入れようが、奴らはあの手この手でお気持ち表明をする。『自分たちを不機嫌にしたことを許さない』という熱量だけで、ヒィたんの弟を燃やし続けたのだ。
やがて、お気持ち表明できる新たな獲物を見つけると、蝗害のごとく大移動していった。そこに残ったのは、無駄に疲弊した当事者とファンと、そして『お気持ちを表明されるような言葉には気をつけよう』という教訓だけだった。
そんな話をしていると、ユエさんはふと気づいたように呟く。
「陰謀論に目覚めたVチューバーって、その子なの?」
「……なんでそう思ったんですか?」
話の飛躍に面食らいながら尋ねると、
「だって、小説も漫画も全部読んでるんでしょ? なのにアニメを見た君に、熱量を感じないっていうか……」
少し考えるように間をおいてからユエさんは言った。
「その子のことでショックを受けてるから、楽しめなかったのかなって」
なるほど、そう捉えられてもおかしくない。
「いえ。僕の推しは、また別なVチューバーですから」
「そうなの? でもヒィたんのことについては詳しそうだけど」
「先輩の推しなんです、ヒィたんは」
「先輩……?」
ユエさんはしばらく考え込むと、ふと何かに思い当たったように顔を上げる。
「あ、もしかしてパパ活の……?」
遠慮がちにそう尋ねられたので、僕は四度目の曖昧な苦笑をした。
ヒィたんは僕の推しではなく、カグヤ先輩の推しである。
惹かれた推しは違えど、同じ界隈に生きる仲間。しかも、お互いの推しはその中でも五本指に入るトップ層だ。所属組織の垣根を越えてコラボすることもある間柄だから、話題は尽きることなく、自然と盛り上がるのだ。
勧められるがまま借りた小説や漫画を読むことに苦労はなかった。それどころか、これでまたカグヤ先輩と語り合えると思えば、心から楽しむことすらできた。
Vチューバーの配信は基本的に長尺で、推しの配信を追うだけで精一杯になりがちだ。ましてや所属組織が違えば、推したちが頻繁に絡むこともない。お互いが人気者ゆえ、軽いノリでコラボするようなこともなかった。だから、僕らはお互いの推しをリアルタイムで追うことはなく、勧められた切り抜き動画を見る程度だ。
ヒィたんについての知識は、そうしてカグヤ先輩を通じて身についたものだ。僕自信が推すほどに沼りこんだわけではない。ただ、カグヤ先輩が大好きなものだから、ヒィたんの話を積極的に受け入れたのだ。
だからこそ、カグヤ先輩の知りたくなかった一面を目撃してしまったせいで、ヒィたんを目にすると胸が締めつけられるような痛みが走った。クラトワのサムネイルを目にした時、苦い感情が込み上げた。それなのに、わざわざアニメを見てしまうとは。我ながら、未練がましいにもほどがある。
「好きだったんだ、その娘のこと」
ユエさんはそっと、傷口に触れるような優しさで問いかけてくる。今までのように年下の男子をからかうような雰囲気は微塵もなかった。
「そんな大層な気持ちじゃないです」
それが伝わったからこそ、強がる必要もなかった。
「ただの、憧れの先輩です」
この言葉に嘘はなかった。それでも男のプライドを守るための言葉に聞こえたかもしれないが、ユエさんはなにも言わなかった。
「そっか」
ユエさんの声色から、どう受け取ったのか読み取ることはできなかった。
しばし沈黙が落ちる。
「夢を見ないよう、気をつけてきたんだ」
ぽつりとこぼされたユエさんの言葉に、胸がちくりと痛んだ。