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青い糸  作者: 小田虹里
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 ――女子学生からも男子学生からも注目を浴びる一夜くんは、どこかかったるい視線を送る。そんな一夜くんを生物科のみんなの居る場所へ案内するボクは、まるで一夜くんの専属マネージャーのような気がして、少しだけ優越感に浸れて気持ちよかった――


「徳永が学食に来るなんて、マジで珍しいな」

「たまには、学生らしいこともしておこうと思って」

「明日は雨かもしれないね」

 土野さんはくすっと可愛らしい笑みを浮かべた。目を細めて栗色の巻き髪を左手でくるくるもてあそんでいる。

「かもね」

 茶化された一夜くんだけど、特に気にしている様子はなかった。口数も少ないし、周りに打ち解けている様子もあまりない一夜くんだけど、他の学部生と比べれば、生物科のみんなの方が気を赦せているように見える。それはボクにとっても、嬉しいことだった。だけど、心の底から喜べるかというと、ちょっと違う気がする。自分の胸に手を当ててみると、モヤっとしたものが胸中にあった。そのモヤの正体は、まだ分からない。いや、分からないフリをしたかった。


 これは、ジェラシーだ。

 本当のボクには、モヤの正体がハッキリと分かっている。


「あ! 一夜くん。昨日ボク、カレーたくさん作って作り置きがあるんだ。よかったら、夕飯に食べる?」

「ん? いいの?」

「いいよ! 帰ったら持って行くね?」

「お前ら、ほんと夫婦みたいだなぁ~「

 ケラケラっと笑いながら、石山くんが指差してくる。石山くんは、最初は堅苦しい挨拶をしていたため、厳しいひとだと思っていたけど、打ち解けてしまうと全然中身は違って、高校教諭を目指す熱い男だということが窺える。体育科に多そうなタイプだと思う。髪も短くて、スポーツ刈りのため、さっぱりした見た目だ。全体的に中性的で、前髪も襟足も伸ばしている一夜くんとは対称的なところだ。

 ボクは、からかわれたことが恥ずかしくて、顔をぽっと赤らめて、両手をあたふたと顔の前でパタパタと振った。


「もう! からかわないでよ。ね、一夜くんも困るじゃない」

「俺は別に?」

「えっ……」


 ――無表情で天ぷらを口に運ぶ一夜くんの横顔を、ひとり呆けた顔で見惚れていたボクに、キミは気づいていたのかな。だとしたらズルいよ。出会った瞬間からボクはいつだって、キミの虜になっていたんだから――


 学食でサクッと昼食をとり、午後の講義を終えたボクたちは、二研でサヨナラをして、バラバラに帰路についた。

 ボクと一夜くんは、同じアパートの隣の部屋だ。帰る時間が一緒の時は、自転車で前後になって一列で車道を走り、十分程度でアパートまで到着していた。駐輪場に自転車を停めて、チェーンで鍵をかける。ボクも一夜くんも、銀色のどこにでもあるしゃれっ気のない自転車だった。ハンドルのところに大き目のカゴがある、ママチャリだ。


「一夜くん。カレー持って行くから、ちょっと鍵あけといてくれる?」

「ん」


 ドアにもたれかかっている一夜くんは、何かを口ずさんでいた。鼻歌を歌うなんて珍しい。今日はとても機嫌がいいようだ。

 その前に、このメロディーには聞き覚えがあった。ボクはハッとして、咄嗟に振り返った。


「それ! 不知火の新曲!?」

「あ……よく分かったね」

「えへへ。不知火のおっかけだからね。一夜くんもCD買ったの? 通販開始したもんね! ボクはね、この間のライブの物販で買ったんだ!」

「へぇ」


 興味無さそうに相槌を打つ。でも、ボクはその無表情の壁の向こうにある、ちょっと嬉しそうに笑う一夜くんの顔を、見破る程度には一夜くんのことを観察してきたつもりだ。こんなこと知られたら、気持ち悪がられるかもしれないけど、一夜くんはボクの中でそれだけ特別で、憧れを抱く存在だった。


「不知火のバラードは、胸に刺さるよね! メロディーが自然で、口ずさめるのがいいんだ。呂華さまの歌声がまた絶品で、ハスキーだけど伸びやかな不思議な声帯が特徴的で、脳を揺さぶって直接語り掛けて来るみたいなんだ!」

「……で、カレーまだ?」

「あっ……ゴメン、今持ってく!」


 一夜くんはドアに凭れかかって、腕組みをしていた。特に急かしている様子でもなかったけど、これ以上不知火の話を聞きたくないのかもしれないと思って、僕は一旦会話をやめた。タッパに小分けしていたカレーは、冷蔵庫に入れて保存していた。そのうちの二つを取り出して、鍋にあける。それを持って外に出て、一夜くんのところに急いだ。


「これ、鍋に移したから、このままあっためて食べて?」

「どーも」

「あ、あの……」

「何?」


 一夜くんの瞳は美しい。

一本一本が細くて、黒髪の長い前髪から覗く青い瞳は、ガラス玉のように光る。コバルトブルーで海を想像させるその輝きは、とても深い。宝石で例えたら、べただけどサファイヤだと思う。


「前々から気になってたんだけど、一夜くんの目って、カラコン?」

「……これは、烙印だよ」

「?」

「カラコンじゃない」

「すごーい! ハーフ!? やっぱり綺麗だよ! うわー……ボクのカテキョ先のお子さんもハーフなんだけど、その子は黒い瞳なんだ。だから、青い目も友達って、初めて!」

「……やめてくれる? 迷惑」

「え、あ…………ゴメン」

「……じゃ」


 バタン。

 冷たく閉ざされた扉は、いつだって同じ幅しかない鉄の壁。そのはずなのに、いつも以上に距離を感じるのは、ボクの気のせいではないはずだ。目に見えて不快感を表した一夜くんを見て、ボクは心底不安になった。すぐにでも謝罪しようと思ったけど、次の句が出てこない程、この扉は重かった。


(一夜くん、冷たい目をしてた……)


 人には、触れられたくない秘密が多かれ少なかれあるはずだ。その何かに、ボクは触れてしまったのだと気づかされる。気づいた時には、手遅れなほど、一夜くんにとってそれは触れて欲しくなかったことだったようだ。

 そんなことは、触れてみなければ分からないことだったかもしれない。それでもボクには、自称「一夜くんマスター」という自負があった。それも全て崩れ去り、今まで築いて来た小さな絆も壊してしまったのではないかという不安が襲い、しばらくその場に立ち尽くした。


 ――一夜くんがどうしてあんなに怒ったのか。今なら分かる。でも、当時のボクはあまりにも無知で、キミを傷つけることしか出来なかったんだ――


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