29 大好きな兄
「聞いたぞガヴェイン。お前、聖女様と一夜を過ごしたんだって?」
訓練を終え、そのまま宿舎に帰ろうとした途中、副団長の男に声を掛けられた。聖騎士と言えど男まみれの集団で、この男だけはやけに清潔感がある。
……確か伯爵家の次男だった気がする。この男を見ていると、自分の主人であるアホ聖女の周りの貴族達を思い出してしまい、苦手だ。そのまま無視してしまいたかったが、聞き捨てならない言葉だったので眉間に皺を寄せる。
「アホ聖女が朝魔法で来ただけって、報告してるだろクソ野郎が」
「お前上司にクソはないだろ〜。冗談だよ冗談、ちゃんと報告はもらってるよ」
副団長はそう戯けて笑って手を振った。こんなふざけた男だが、獣人である俺でも一対一でないと勝てない程に剣術に優れている。異種族で、神の使者である俺は聖騎士でも浮いているが、この男だけは全く気にせず話しかけてくる。……どこかそれが、アホ女に似ている。副団長は俺の肩に手を回し、薄気味悪い笑みを浮かべながら耳元で声を出す。
「でもお前、聖女様に抱きつかれて喜んでたな?」
「は!?」
「無表情か眉間に皺寄せる顔しか誰にも見せないお前が、あんな蕩けた顔をあの方には向けてるんだな。俺もだけど、見てた他の聖騎士も吃驚してたぞ?」
耳元で囁かれる声に、俺は顔に熱を感じながら肩に回された手を強くどかす。俺の表情を見た副団長は、にやける顔を隠さずにこちらに見せつけ、そのまま距離を取った。
「騎士が主に恋心か。よくある観劇の物語だな!悲恋モノの!」
「テメェなぁ!!!」
俺はそのまま、逃げるように走るクソ野郎を追いかけた。
◆◆◆
私、シトラ・ハリソンは兄が大好きだ。
2歳の時からずっと側にいて支えてくれた、小言も多いけれど優しい兄が好きだ。ブラコンが過ぎて昔は「お兄様と結婚する!」と父に伝えて泣かせた事も何度もある。かっこよくて優しくて、いつも私を支えてくれる、大好きな兄。
ガヴェインに頭を撫でられ、慰められながら戻った公爵家にいた大好きな兄を見て、私は兄に引っ付いていた子供に戻った。プロポーズされると思っていたら、顔も教養も、胸も、胸も!胸も!!自分よりも上のアメリアとのイチャ付きを目撃してしまった。あり得ない、恥ずかしすぎる。悲しすぎる。大好きな兄に抱き着いていないと、その辺の壁に流血するまで頭を叩きつけ忘れようとするだろう。兄は私の精神安定剤、失恋の傷が癒えるまでは側から離れたくなくて、昔のように兄と一緒に寝ようと思った。そうしたら、きっと明日の朝には少しは傷も治まるだろう。
……だが、今目の前にいるのは、いつもの兄ではなかった。私の知っている兄は、こんな熱いため息を、目線を向ける人ではない。小さい頃によく繋いでいた兄の手が、私の服のボタンを外していく。
一つ目を外した時に、何をされるかを理解して顔が赤くなった。二つ目の時には兄の目線に戸惑った。……三つ目の所で、私はようやく手を動かせる程に意識を戻したので、外される前に兄の手を両手で掴む。
「ま、まま、待って!ください!!」
「何を?」
兄は首を傾げ私を真っ直ぐ見つめる。私は強烈な色気に手が震えてしまう。わ、分かってる癖に!何をって、分かってる癖に!!どうしたってんだ兄は!?男として見てほしいって、男じゃん!!女なんて思ってないよ!!
「あっ、あああ、あの、私は、あの」
「吃るだけなら聞かなくていいな」
そう言うと兄は私の手を払い、ボタンを外すのを続けていくので、私は恥ずかしさと混乱で上せそうになりながら、体を無理矢理動かし兄に背を向ける。この寝巻きは後ろにはボタンがない、背を向けてしまえばこちらの勝ちだ。
兄は急にどうしたのだろうか?高望みし過ぎて婚約者を見つけれない自分より、先に恋愛をしてしまった(失恋したけど)私への怒りからなのだろうか?そう言えば、兄の婚約者探しを舞踏会でしようとしたのに、イザークにビンタして追いかけてしまったのでろくに探せなかった。えっ今の状況イザークのせいじゃん、あっ失恋の痛み薄れてきた。
「お、お兄様!婚約者探しが出来なかったのは、全てイザーク様の所為であって!私は悪くないです!!」
「何を言ってるんだ?……まぁ、確かにイザーク殿下の所為でもあるか」
やっぱりそうだったか!と喜んだのも束の間、兄は背中に手を添わせたと思えば、恐ろしい強さで寝巻きを鷲掴みにして腰まで下ろした。あまりの強さに、途中寝巻きが破ける音が聞こえた気がする。えっ何故そんな細腕にこんな力があるんだ?しかしその腕力の所為で、私の上半身が何も身に纏っていない。ディランを露出狂と言えなくなるほどの痴女っぷりだ。私は手で隠せる所だけ隠しながら、後ろを振り向いて反ベソをかきながら兄を見る。
「何故こんな事を!?ま、まさかこの前お兄様の机にあった書類に、インクぶち撒けた事への罰ですか!?」
「全然違うが、書類の事は明日説教だからな」
「ぎゃーーーーー!!!」
思わず墓穴を掘って奇声をあげる姿に、兄は眉間に皺を寄せて私を見る。
カーテンの開いた窓から溢れる月明かりの所為だろうか。目の前の兄の熱っぽい目線が、吐息が怖い。明らに異質な兄を見て、私は体が震えるのを抑えきれなかった。その私の姿に、兄は熱っぽさから悲痛な目に変わる。どうしてそんな表情を向けるのか、分からずに問いかけようとしたが、それよりも早く向こうから声をかけられた。
「俺が嫌いになったか?」
兄の姿が、まるで私を刺した時の、アイザックの表情と似ていた。
思わず兄が離れない様に、正面を向いて兄の首に、体を隠していた両手を掛ける。私の行動に目を大きく開いた兄を、私は懸命に笑って見つめた。
「何があっても、お兄様を嫌いになるわけないでしょ!」
私の当たり前の言葉に、兄は更に目を開いた。
◆◆◆
俺を慕ってくれる妹に、俺は一体何をしているのだろう?
恥ずかしがる彼女に、どうしてこんなにも興奮してしまうのだろう?俺を少しでも異性と思わせる為に、俺はなんて事をしているんだろう?
彼女を応援しているフリをして、彼女に俺以外選んで欲しくないと思ってしまう。そんな歪な俺の気持ちを、嘲笑うかの様に告げられた彼女の恋心に、強烈に嫉妬してしまった。俺の下で肌を出す彼女に、凄まじい背徳感に駆られながら、興奮で喉が鳴る。ここまでされて、どうしてこうなっているのか分からない彼女は体を震わせている。……その姿に、俺は自分の事を問いかけた。ほぼ確実で肯定される事は分かっていても、それでも聞きたかった。
けれど、彼女はそんな俺に腕を回す。
そのまま色香を漂わせて伝えれた言葉に、俺は驚きと、場違いの愛おしさが押し寄せた。そのまま彼女を抱き寄せ、俺はため息を溢す。
「………そうだな、お前は俺を嫌わない」
俺のため息まじりの言葉に、シトラは小さく笑いながら腕を強くする。
「そうですよもう、変なお兄様だなぁ」
愛情の込められた声に、俺は先程まで感じていた嫉妬が収まっていくのが分かった。俺はそのまま目を瞑る。
「……ごめん、シトラ。吃驚しただろ?」
「吃驚しましたけど、お兄様は私が本当に嫌がる事はしないですから」
随分と俺を買ってくれているが、俺は彼女が思っている程できた男ではない。でなければこんな事にはならなかったのだから。
……本当に俺は、彼女の前ではろくな事しかしない。そのままシトラの匂いと、抱き寄せた温かい感触を堪能していると……何やら彼女がもぞもぞと動き始めたので、どうしたのかと顔を伺う。シトラは、恥ずかしそうに目線を逸らし、頬が赤い。まるで先程第一王子への愛を伝えていた時と同じものだった。それに驚いていると、ようやく彼女は口を開く。
「………寝巻きだけ、変えてきていいですか?」
「あっ」
俺は思わず彼女の首から下を見て、それに後悔した。