42 指輪
冬の寒さもなくなり、外で昼寝が心地よい季節になってきた。しかし、私は今は自室の机に突っ伏し、そばに置かれている大量の書類を呆然と見つめる。そんな私を心配そうに、クロエがお気に入りのローズティーを机に置いてくれる。
「お嬢様、休憩しませんか?もう疲れて、手が動かなくなっていらっしゃいますし」
「……ありがとう。でも今日中にこれ終わらせないと、明日も明日で作業があるし……」
あと三ヶ月もすれば私の15歳の誕生日。そして社交界デビューの舞踏会がある。一応、こんなんでも大貴族の令嬢である為、舞踏会のための準備が山ほどある。前に行ったお茶会も大変だったが、それ以上、いやもう数倍もの作業があり、私はここ毎日目に隈を付けながら準備をしている。大きく背伸びをし、私は招待客のリストをもう一度見る。……そのリストの紙の端が、いきなり焦げて炭になり机に落ちていく。私は目線を窓側へ移すと、やはりそこには燃えるような鮮やかな赤髪を持つ、ウィリアムがいた。
「人間の見せ物になるために、随分大変そうじゃないか」
「貴族なんだから仕方がないでしょ。というか、ちゃんと玄関から入って来てよ」
「玄関から入ると、公爵と子息がうるさいんでね」
めんどくさそうに頭を掻きながら、金色の目をこちらへ向ける。
あの日の夜、遅れて助けにきたギルベルト達により、一度ウィリアムは「黒の霧」の教祖として囚われた。だが実際、ウィリアムは信者達に「魔術の使い方」を教えていただけなので、特に罪状もなかったという。……それでもウィリアムがすぐに釈放されたのは、信者である貴族達の尽力があったからなのだろうが。教祖が実は精霊である事で、さらに信者が増えていると、ギルベルトが頭を痛めながらぼやいていた。
ウィリアム。彼は上位精霊であり、炎の精霊である。アイザックよりも気の遠くなるような年月を生きており、生きている精霊の中でも最古の存在だと言われている。500年前には聖女の騎士として神から加護を受け、人間との戦争に参加していた。獣人族を滅ぼしたのも彼の采配である。……そんな存在だが、聖女に対しては異常に執着心があり、500年前も相当聖女に執着しそして殴られ興奮していたらしい。とアイザックが申し訳なさそうに言っていた。
「怪しい宗教の教祖様なんて、お父様もお兄様も警戒するって」
「それだけじゃないと思うが、特に貴女の周りは」
急に窓から現れた、要注意人物である精霊に、クロエはどうしたらいいのか分からず慌てている。私は大丈夫だから、と伝えてクロエを部屋から出るように伝えた。今日はガヴェインが教会での用事でまだ来ていないので、クロエは少し渋っていたが、最後には観念したように部屋から出る。私は再びウィリアムの方を向く。
「で、今日はどうしたの?」
「俺は用がなければ、来てはいけないのか?」
眉を寄せて不機嫌そうにウィリアムはこちらを見る。……正直、目の前の男がかつて私に仕えていた真実を受け止めきれていない。殴られて喜ぶ変態が、自分の騎士だったと信じたくない。そう考えていたせいで、私の表情はだんだん険しくなっていたのだろう。それを見てウィリアムはうっとりとした表情でこちらを見つめる。……本当に勘弁してほしい。
「……確かに今日は、貴女に用があって来た」
「何?」
「俺と一緒に今から聖女の墓へ来てほしい」
えぇ〜?今から〜?こんなに忙しい今、そんな時間ないんだけどな〜。流石に目の前の男と二人きりで行くのも、また皆に心配をかけさせてしまうし、お断りをしようと、クロエの入れてくれたローズティーを啜りながら、断りの言葉を考える。
……が、ローズティーから口を離し、考えた断りの言葉を、ウィリアムへ告げようと相手を見ると、何故か花畑が見えた。これは決して、色気出過ぎのリアムから出るような、想像のものではない。現実で、今私は美しい花畑の中央に紅茶のカップを持ちながらいる。そして美しい笑顔を向けたウィリアムが目の前にいる。
「聖女の墓周辺では、聖女以外魔法は使えないが……やはり魔術なら使えるか」
「…………えっ!?」
私は周りを慌てて見る。すぐ側に石で作られた棺があり、そしてこの美しい硝子のような花々。間違いなくここは、教会にある聖女の墓だ。驚いている私を放って、ウィリアムは棺のそばにある、魔法の書かれた本を見る。
「懐かしいな。ノアに教わった魔法を、貴女は必死にここに書いていたな」
懐かしい思い出を甦らせているからなのか、とても優しい表情だった。……アイザックの時も思ったが、精霊は他人に無関心だと思う。実の妹を、知り合いを失っても悲しいと思うが、人間よりもそれは軽い。
そしてペラペラと捲っていくが、最後のページで止まる。……私はどうしてもウィリアムに聞きたい事があり、後ろから話しかける。
「ねぇウィリアム。……ニホン、って言葉、昔の私から聞いたことある?」
「……よく俺に、懐かしそうに話していたよ。空を飛ぶ鉄の塊やら、手のひらに収まるような連絡機器やら。魔術も魔法もない世界の話だったと言っていた」
そんな世界は今の私には想像できない。そもそも人が空を、ましてや鉄で飛べるなんてどういう仕組みなのだろう?……そんな世界に、かつての私はどうやって過ごしていたのだろうか。ウィリアムはしばらく無言で本を見ていたが、目線は本に向けたままで口を開いた。
「元の世界に帰りたいのか?」
そう平然と告げるウィリアムは、こちらへ目線を向けない。私はそれに、目線を下に下げてしまう。
元の世界、おそらくその世界には私の本当の家族が存在する。私が本来生きるべきだった世界。今の生活も毎日が幸せだと実感できる。……だが、元の世界の人間が、この世界で生きることは正しいのだろうか?
目線を下げてそのまま無言でいると、花を踏む音が聞こえる。そして目線にはウィリアムの足元が見える。思わず前を向けば、そこには目を細め優しく微笑む彼がいた。
「俺は、シルトラリアとずっと一緒にいる。……だから、貴女がどう望んで、どの道へ行ったとしても、必ず側にいる」
優しく頬に触れる手は、心地よい温かさで、思わず目を瞑ってしまう。その反応には触れる手が一瞬震えて、そしてすぐに治ったと思えば、百合の花の香りが漂う。……思わず目を開けると、そこには熱がこもった金色の瞳が目の前にあった。
「うわっ!?」
「っ!?」
唇が触れてしまいそうになるほどに、近くにウィリアムの顔があった。私は驚きと混乱でそのまま、鈍い音を出しながらウィリアムの顔面へ頭突きをしてしまう。なんてこった!やってしまった!唯一の長所でもある美しい顔に!私は慌てて頭突きした顔面を見る。
「ごめん!大丈夫!?顔面大丈夫!?」
「……………大丈夫だ。とても興奮して鼻血が出そうになっているが」
「きゃーーー!!!」
心配した方が悪かったくらいに、ウィリアムは恍惚とした表情でこちらを見ている。そして「もう一度してほしい」と詰め寄るのでそれは遠慮した。これやるとキリがないのはもう学んだ。ウィリアムは次がない事を悟るとつまらなさそうに口を尖らせる。いや、それは幼児がするのが可愛いのであって、大人の男がしても可愛くないから。
「……さて、とりあえず。用事を済ませようか」
開き直りそうウィリアムが声を出しながら、地面に無造作に置かれている聖女の遺物から何かを探し始める。何を探しているのかと思えば、あの金色の指輪を持っていた。……確かあれは、倒れた時にアイザックにつけられた指輪だ。あの後、軟禁された時もつけ続けていたが、父が抱きついた時に、指輪の力に当てられ暫くして倒れてしまったのだ。周りもアイザック、大司教とギルベルト以外は顔色を悪くしていた。…………遺物が近くにありながら大司教は平然としていた。その時に何故気づかなかった。現在も王族には聖女の加護がついているから、聖女の力に当てられない事を。その後は流石に持って帰る事もできないので、この墓に戻していたのだ。
「その指輪がどうしたの?」
「どうしたも何も、処分するんだが?」
そう言いながら笑顔で指輪を握りしめ、握りしめた拳からは湯気が出ている。私は大声で叫んで思いきりウィリアムの手を叩く。手は衝撃で開かれ、指輪は地面に転がり落ちる。私は指輪を持ちウィリアムから離れる。……よかった、指輪はまだとけてない。
「シルトラリア、それを渡せ」
「いやいや!?何してるの!?」
一気に不機嫌になったウィリアムが、少しずつ距離を近づけてくる。流石にかつて私に贈ったのだろうアイザックが可哀想すぎる。私は眉間に皺を寄せながら後ろへ下がる。だがウィリアムはさらに不機嫌になっていく。一体どうしたのだろうか、指輪を金棒にして売るつもりか?
「貴女こそ何しているんだ?自分を裏切った男からの贈り物だぞ、捨ててしまえ」
「いやいや!アイザック様は裏切ってないでしょ!?」
その言葉にウィリアムは呆れたような顔をした
「………何を言っている?それはあの宰相から贈られたものだろう」
「……え」
ウィリアムは何を言っている?これは、あの時アイザックが指に嵌めたこの指輪は、聖女シルトラリアだった頃に、アイザックから贈られたはずだ。
「……これは、アイザック様からの贈り物じゃないの?」
「何故、アイザックが出てくるんだ?」
確かに、アイザックは、自分が贈ったと言っていない。……だが、それでも指輪を私に嵌めて、あの時自分達の関係を顔を赤めらせて伝えようとしていたのだ。そんなの、彼から贈られたと勘違いするだろう。ウィリアムは怪訝そうに私を見ながら、大きくため息を吐いた。
「……それは、500年前に宰相から贈られたものだ。俺がかつての貴女から聞いたのだから間違いない」
「………じゃあ、じゃあなんで」
どうしてアイザックは、私に指輪を嵌めたのだろう。
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