40 かつての騎士は
私は今まで、古い屋敷の大広間にいたはずだ。けれど今は、ハリソン公爵家のお姉様の部屋にいる。周りを見ても、お姉様も聖騎士もいない。……赤髪の男、彼におそらく、自分だけ戻されたのだろうか。そうなれば今お姉様は、魔術もしくは魔法が使える男と一緒にいるという事だ。
「お姉様を、助けに行かないと……」
でも今この公爵家から、お姉様の事情を知る第二王子達に連絡を出したとしても、時間がかかる。どうすればいい?どうすればお姉様を救える?
「私が、私が行けばいいのよ!」
自分を鼓舞する為に声を出し、私は部屋から出て走る。夜中の静まり返った廊下に、私の走る音が木霊する。息が苦しい、でも向かわなくてはならない。
……私は、お姉様に救われた。絶望にいた私へ手を差し伸べてくれた。私を信じてくれた。自分を殺した者の一族を許してくれた。……まだ私は、あの方のお役に立ててない。
呼吸を荒くしながら、私は公爵家の馬小屋にたどり着く。……息を整え、私は真っ直ぐ前を向いた。
「お兄様……私に乗馬を教えてくれて、感謝していますわ」
____________________
ウィリアムは、名前を呼ばれて嬉しそうに笑う。
「ようやく思い出してくれたか」
ガヴェインはこちらを見ている。私はゆっくりとガヴェインの拘束を解き、そしてウィリアムの前に立つ。目を細めてこちらを見る金色の瞳を、真っ直ぐ見つめた。
「でも、まだ断片的な記憶と、名前しか思い出せない」
「……じゃあ、俺の話も交えながら話そうか」
記憶にあるウィリアムよりも少しやつれている。私がいなくなってから500年、その間に何があったのか。ウィリアムはそのまま祭壇へと歩き出す。私はそれに後ろからついていく。
「俺は500年前、そこの獣と同じ神から使者の加護を授かった。俺はそれから、聖女と精霊の為に人間と、裏切った獣人族を殺し続けた。……やがて人間が降伏し、その当時の人間の王からシルトラリアに王位が譲られた時も、俺はそばにいた」
ガヴェインは私の後ろについてきているので、表情は見えない。だが歯軋りのような音が聞こえる。ウィリアムは振り向かず、そのまま淡々と昔話を続けたながら前へ歩く。
たどり着いた祭壇には、やはり女性の銅像があった。聖女の墓で見たのと同じ、祭服を着た女性。上を見つめ、懺悔をするような姿をしている。……顔が私と同じなので、私の銅像だろう。綺麗に手入れはされているが、かなり古い時代に作られたものだとわかる。…………私は、本当に聖女シルトラリアだったのだと、実感した。
「……貴女は人間を、直接ではないが殺していた自分が、人間達の王になるのを嫌がっていた」
「……」
「俺は貴女が王になるのは正しいと思った。神に愛された力を持つ者が王にふさわしいと、説得した。…………でもそれは間違いだった」
こちらを振り向いたウィリアムの表情は、金色の瞳を歪めていた。
「シルトラリアが死んだ時、俺はあの時、そばに居なかった事を激しく後悔した。……神も俺を見放して、加護をやめた。だから俺は、自分が死ぬまでの日まで眠りについた」
私は、彼の記憶はまだ鮮明に思い出せるものは少ない。彼はガヴェイン達の祖先を滅ぼした、精霊の一人である事しか鮮明に思い出せない。……あの500年前に、ウィリアムは、聖女シルトラリアを助けれなかった事で、どれほどの後悔をしたのか、彼の気持ちはわからない。ウィリアムは目の前の方へ視線を戻した。銅像の足元に、小さな箱が置かれている。
「ここに、500年前貴女の心臓を刺した剣が置かれていた」
「え?」
「だがそれが、先日突然消えた。……この屋敷には人はいないが、防衛魔法を何重にも重ねていたのに、それでも消えた」
平然と告げられる衝撃の言葉に、私は目を大きく見開いた。それはガヴェインも一緒だったのか、私の前へ立ちはだかり、今まで聞いたこともないような、地を這うような唸り声をあげる。ウィリアムはガヴェインを見る。
「特にその剣だから、シルトラリアが殺せる訳ではないが。それでもこの屋敷には金品は他の部屋にいくらでもあるのに、侵入した者が盗んだのは、ここにあった古い剣だけだった」
「……それは、転生したダニエルがしたと、そう思っているの?」
「……分からない。信者達に調べさせても、結果は同じだった」
「……信者?」
私が繰り返すと、ウィリアムは祭壇へと続いていた階段へ腰掛ける。
「……15年ほど前、眠っていた私に夢の中から、神が、聖女シルトラリアが近い将来、蘇る事。そしてあの宰相が同時に転生もしくは憑依する事を教えられた」
「……神は、聖女が蘇る事を知っていたのか!?」
ガヴェインの言葉にウィリアムは頬杖をつきながら、呆れたようにため息を吐いた。
「聖女に加護を与えたのは「予言の神」だぞ?……まぁ、予言を覆す事もできない、哀れな神だが」
ガヴェインと、実は知らなかった私は驚きで無言になる。急に静まり返った私達を見て、ウィリアムはもう一度、今度は大きくため息を吐いた。これ絶対馬鹿にしてるやつだ。
「……俺は、シルトラリアが蘇る前に目を覚まし、宰相の手がかりを見つける為にも宗教を作った。人間は魔法は使えないが、代償を払う魔術は使える。伊達に長く生きていない。他の精霊でも知らない魔術も知っている。……願いを叶える手助けをしてやる、そういい魔術を教えれば人間は容易く言いなりになった」
「…………願いを、叶える?」
「流石に、アイザックの妹が来るのは想定外だったが………なんだっけな、ああ、そうだ。「人間との間に子供が欲しい」だったか。そんな事のために精霊の力を全て代償にするなど、馬鹿な女だったな」
「……………ノア」
全ての物事が合致したと同時に、体が勝手に動き出し、私はウィリアムの胸ぐらを掴む。それに対してされるままに、驚いてこちらを見るウィリアムだったが、私の表情を見て恍惚に、熱がこもる金色の瞳を向ける。
「………その顔、獣を滅ぼした時以来だな」
「…………………ペンシュラ男爵の前妻に、魔術を教えたのも……ダニエルと名乗って「黒い霧」の教祖も、全て、全て貴方がやったの?」
「魔術を教えた貴族は多い。そして「黒い霧」を創設しダニエルと名乗っていたのは俺だ。……おそらく、貴女の言っている通りだろう」
胸ぐらを握る私の手を、ウィリアムは愛おしそうに両手で包み込む。その両手に落ちる水滴は、おそらく私の涙なのだろう。自分でもどんな表情をしているのか分からない。
「どうして!?」
私は噛み締めていた唇をやめ、吐き出すように声を出した。
目の前のウィリアムは、さも当然のように言葉を告げた。
「………全ては、貴女の為だよ。俺の聖女」