34 黒い霧
リアムの家庭で起きた悲しい過去。私が紋章が現れたと言われた場所に触れた途端に、何故発動したのか。朝日を浴びながら私はずっと考えていた。後ろの方でクロエが「準備してください」と言っているが、ちょっと考える事が多すぎて答えないでいると、数秒後クロエは手をボキボキ鳴らしながら、無理矢理引き摺られて朝の支度をされた。公爵家では私の立場は本当に弱いと思う。
「お兄様!お早うございます!」
温室へ向かおうと廊下を歩いていると、前から兄が歩いてくる。私はにっこりと笑って兄へ挨拶をするが、対する兄はピシッ!と音がなる位に固まった後、真顔でそのまま無言で通り過ぎた。
……そう、私を悩ませているのはもう一つある。それは兄の態度だ。おそらく先日のガヴェインに対する濃厚な口付けの所からだろうか。兄はこのハリソン公爵家の次期当主。おそらく私の軽率な行動に怒っているのだろう。このままでは兄に一生話してもらえない。なんだったら兄が公爵となった途端に養子縁組を抹消されるかもしれない。そうなれば私は生きていけない。そんな兄の態度を見ていたガヴェインは舌打ちをした。
「なんだよあの兄貴、ダンマリしやがって」
「いや、この問題はガヴェインも悪いんだからね」
「あ?」
ガヴェインは何のことが分からないのか、こちらに不思議そうな顔をしていた。細かく説明してやろうかと思い口を開こうとすると、クロエからギルベルトとアイザック、リアムが来た事を伝えられ、ひとまずこの話は終わりにして応接室へ向かった。
応接室に着くと、関係悪化をしている兄も既におり、ソファに座っていた。流石に第二王子と王弟殿下も来ているのだ。私と気まずかろうが来なければならなかったのだろう。兄の隣が空いているので座ろうとしたが、ガヴェインが私の腕を掴んでそのまま兄の隣へ座り、私はガヴェインの足の間に座るような形になった。私の頭の上に自分の顎を乗せながら後ろから抱き付き、兄へ威嚇している。……犬だ。飼い主の周りを威嚇する犬がいる。一体何があったガヴェイン。兄はガヴェインへ言葉に出せない怒りが込み上げているのか、物凄い表情でこちらを見ている。他三人も同じような表情だ。怒らないで…!後でガヴェインに人間としてのマナー教えるからっ…!するとギルベルトが大きなため息を吐く。
「まぁ、その聖騎士の態度はいいとして……シトラ嬢、今回は君に報告があるんです」
ギルベルトはアイザックの方を見る。彼は頷き説明をした。
「ペンシュラ男爵家での前妻が行った呪いですが、「黒い霧」から魔術の方法を知ったそうです」
「黒い霧?」
「貴族の間で少しずつ信者を増やしている宗教です。詳しくはまだ調査をしていますが、信者の夢を叶える手助けをしてくれる宗教だそうで」
夢を叶える手助けとは、なんともアバウトな言い方の宗教団体だ。そんな謳い文句で信者が増えるのだろうか?そう思っていると、抱きついている手が強くなった事に気づき後ろを見る。ガヴェインが険しい顔をしていた。
「……多分俺、その宗教の関係者に会った事ある」
「え!?」
私は驚いて声を出してしまったが、アイザック達はそれを推定していたのだろう。ここまで黙っていたリアムがガヴェインの方を見る。
「聖騎士殿にシトラが聖女シルトラリアだと教えたのも、黒い霧という事かな」
「俺に伝えた奴は、暗闇から声を出す不気味な奴だった。……その時、その宗教に入らないかと言われた」
つまり、その「黒い霧」という宗教団体は、私が聖女シルトラリア本人という真実を、国王が他貴族に伝える前に知っていた事になる。そんな事が可能なのだろうか?私の事を知っていたのは、国王陛下と王弟殿下であるアイザック、そして大司教だけだったはずだ。……違う。それにもう一人いる。私とシルトラリアを同一人物だと確認できる存在が。
「宰相が、黒い霧の信者の中にいるんですか?」
私の言葉に、ギルベルトは頷く。
「……その教祖の名はダニエル。500年前に君を殺した宰相と、同じ名前なんです」
ダニエル、宰相の名前を聞いた時、胸の奥から痛みが込み上げてきた。まだ「黒い霧」の詳細は詳しく分からず、また詳しく調べた後に話し合う事となった。
「ダニエル…」
今日は余りにも悩むことが多くて疲れているのに、胸が小さく痛み寝れない。誰かの側にいたいが、隣の部屋の兄とは仲違いが続いており声をかけれない。どうしたものか。
「あ、そうだ。リリアーナに会いに行こう」
リリアーナには先日「いつでも会いにきてくださいね!よかったら夜中にこっそり移動魔法で来てくださっても!」と言われているんだった。本当に行っていいのかわからないが、優しいリリアーナの事だから許してくれるはずだ。そうと決まれば私は移動魔法を使うためにリリアーナの事を考える。
( 想像するぞ〜…リリアーナ、リリアーナ……あそう言えば、リリアーナとケイレブに今度観劇を誘われたなぁ〜いつ行こうかな )
と若干ケイレブの事を考えていたが、何とかなるだろうとそのまま呪文を唱えたのがいけなかった。眩い光が現れ、次の瞬間「うぉっ!?」と知り合いの声が聞こえる。リリアーナとは違う、男性の声だった。……目を開けるとそこには、寝巻き姿となりベッドに寝ていたであろうケイレブが、目を大きく開いてこちらを見ている。
「……シトラ?」
「…………夢です。これは夢です」
冷や汗を出しながら真顔でケイレブに伝える。最悪すぎる。カーター侯爵家の次期当主の部屋に、不法侵入して、そして今はお互い寝巻き姿でベッドで、私はケイレブの上に乗っかっている。どちらも婚約者もいない未婚の男女。これが知られたら絶対に罪に問われる。リリアーナ助けて〜!
「……そうか夢か、確かに。こんな俺の願望みたいな事、現実で起こるなんてないか」
そうケイレブは独り言のように告げると、次の瞬間私の腕を引っ張る。何事だと思っているうちに私はケイレブの胸の中にいた。私が現れるまで寝ていたのだろう、とても体が温かい。兄よりも背の高く体格もいいので何だが違和感がある。ケイレブはそのまま、もう片方の手で私の腰をゆっくりと触れるもんだから私は驚いて奇声を出した。それを聞いてケイレブは微笑む。
「まるで彼女が本当にいるような反応だな。……いい夢だな」
「ひぇ」
いますぅぅぅ!本物のシトラ・ハリソンですぅぅぅ!!と言いたくなったが何とか堪える。そのままケイレブは私の頭上に口付けを落として優しく撫でてくる。……なんか眠たくなってきた。温かいし、何より触る手が若干やらしさも感じ取れるが、それでも優しく撫でるので気持ちいい。今度ケイレブに、妹の触れ方について詳しく聞いて止めなければ。私の事も妹のように思ってくれているのだ、リリアーナにもこんな感じなのだろう……セクハラと言われるのも時間の問題だ。
そんな事を考えていたら、そのまま眠りについてしまった。
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窓から朝日の光が入り込み、俺はゆっくりと目を開ける。
昨日はすごくいい夢を見た。恋焦がれている彼女がいきなり自分の上に現れたのだ。想像していたのより破壊力のある寝巻き姿で俺の上にいる彼女は、色々な意味でとても魅力的だった。俺はそのまま彼女を抱き込み、ゆっくりと腰を触ると、現実でも言いそうな悲鳴を出してくるので思わず笑ってしまった。そのまま頭へ口付けを落とし終わったのは残念だった。どうせ夢なら唇に、何ならそれ以上もしてしまえばよかった。
ふと、自分の横に何かがいる事に気づいた。横を向くと、そこには妹ではない誰かがいる。彼女と同じ焦茶色の髪。俺が動いたので起きたのだろう。その誰かは大きく背伸びをして起き上がる。
「うー……眠い」
「………」
「あれ?ここどこだ?」
「………えっ」
目の前には夢と同じ寝巻き姿で、眠そうな顔をしている、自分の想い人であるシトラ・ハリソンがいた。思わず漏れた声を聞いて自分の方を見るシトラは、数秒後、顔を真っ青にさせた。…これは現実だ。つまり、つまりだ。昨日の夢は………。
「えっ、あっ、あのっ、ケイレブ様、これには、理由がっ」
「お兄様!シトラお姉様が朝から行方が分からないようなのですが、知っていませ……」
最悪のタイミングで妹が部屋のドアを開けてくる。妹はベッドの上で寝巻き姿でいる自分とシトラを見て固まる。次第にシトラと同じように真っ青になりながら後ろへ下がる。
「おにっ、お兄様………まさか……お姉様と」
「違う!!俺は何もしてない!!無実だ!!!」
俺は真っ青になり固まる二人を、どうにかして動かす事に必死になった。