32 貴方は愛されていた
「俺の母は、俺を産んですぐにとある宗教に夢中になった。そこへ男爵家の金を注ぎ込むようになり、最終的には生贄を領民から得ようとしたのを、父に見つかり離縁した」
男爵邸の門の前に兄、ヨハンが腰掛けながら、僕の方を見ないで淡々と話を続ける。ヨハンは身分が剥奪されてから、付き物が落ちたように真面目に平民として働いているらしい。過去に苦しんでいる弟を見て見ぬふりした兄。そういえば、全く話したことがなかった。
「その後、領地で狩りをしていた風の精霊と恋に落ちた。俺の事も実の息子の様によくしてくれたよ」
「…」
「それでお前も生まれて、父上も母上も、俺もとても幸せだった。……あの日までは」
そう言うとヨハンは苦虫を噛み潰したような顔をする。僕が知らない過去の話。まるで夢物語のようで、何も答えることができなかった。
「あの日、俺を産んだ母は、ペンシュラ家と、お前と母上を恨み魔術で呪いをかけた。俺と父上はただの人間で、抗えなかった。…自分の周りの物は全て自分のものであると、お前に近寄れば、殺してしまうんじゃないかという感情で。……愛おしいと思う気持ちが消え去りそうで、恐ろしかった。だから俺は、お前から離れた」
…父が僕と母を閉じ込めたのは、傷つけないためだったのだろう。呪いの力により妻と子供に手をかけないように抗い、そしてドア越しでしか愛を囁けなくなった哀れな父。
「次第に呪いに対抗できなくなった父は、お前と母上のいる部屋に押しかけた。だが、母上は自分の命と引き換えに、お前の精霊としての力を封印する事と、俺の呪いを消す魔術をかけた」
「え…?」
「父と話し合って予め決めていたんだと思う。だから俺は呪いから解放された。……だが、父はそのままだった。お前への憎しみと、母親への憎しみを募らせ…もう後はお前の知っている通りだ」
そう言うとヨハンは立ち上がり、大きく背伸びをする。そしてこちらに振り向き優しく微笑んだ。それは、あの記憶で見た子供の頃のヨハンと同じ表情だった。
「でも俺は、父上に逆らう事を恐れた」
「…」
「最低な兄だろう?滑稽な兄だろう?…さて、もう俺は出ていくよ。お前に真実も話したし、他国へ行って、その日暮らしするのも悪くない」
「…」
「じゃあな、リアム」
ヨハンはそのまま男爵邸の門へ歩き出す。僕は、言いたいことがあって、確認したくて。声を小さく漏らした。けれど聞こえないのかそのままヨハンは歩き続ける。……もう一度、今度は大きく声を出した。
「兄さん!!」
兄さんは立ち止まった。だがこちらを振り向かなかった。だから僕は、兄さんの元へ歩く。
「僕は、確かにあの時はお父様に暴力を振るわれて、本当に死ぬところだった」
「…」
「でも、でもいつも僕の部屋の前に、食事が置かれていたんだ。あまりにも雑な配膳で、量も少なかったけれど、温かい食事で」
兄さんのすぐ後ろで立ち止まり、滲んで見えないその背中に向かって、大きく息を吸って声を出す。
「お父様じゃない……兄さんが、してくれたんだよね?」
毎日置かれていたあの食事は、使用人が出すには雑な配膳で、量もこっそり盗み出したかのように少ない量だった。…あれは、父じゃない。あれは兄が毎日食堂から、自分の食事から出したものだったのだと。
兄はそのまま背中を向けていたが、その背中が震えていた。
「…ごめんっ、ごめん…リアム……俺は…お前を守れなくて……弟が苦しんでいるのに、食事しか与えれなくて…」
「…うん」
「俺の…呪いが、解かれているのを…実の母親に、見つかったら…そう思って…でも、…俺は、母上に……お前を託されたのにっ…!」
「違うよ。……お父様とお母様が、兄さんを呪いを解いたのは。……兄さんを愛してたからだよ」
僕は兄さんの目の前に立つ。兄は、鼻水まで出して顔がぐしゃぐしゃだった。それを見て思わず笑いながら、僕は手を目の前に差し出した。
「兄さん。僕と幸せな家族になってよ」
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あの過去の出来事を見た後、私は兄との話があるリアムと別れそのまま公爵家へ帰った。
あの事件で、自分の腕力以外の力の無さに後悔したガヴェインは、たまに教会へ行き魔法の勉強をしているそうだ。今日も勉強してから来ると言っていた。神の言葉は魔法の呪文を唱えなければ発動しない。そんな気にするなよ〜と思ったがそうはいかないらしい。すっかり真面目になったな〜。暇を弄んでいると公爵家へリアムが茶葉を持ってやってきた。
「兄さんは伯爵家で、事業の手伝いをしてもらう事にしたよ」
そう伝えるリアムはとても幸せそうだ。
そして兄と仲直りしたと同時に、ペンシュラ男爵家前妻が捕えられた事も知った。リアムの父親と兄を呪った張本人で、本人は何も答えないらしい。…リアムの兄は、自分だけが呪いを解かれ、父に逆らえず、そして自分が呪いから解放された事を知られるのを恐れた。だから呪いをかけられたフリをして社交界で接し、攫われた領民を少しずつ開放して、そしてリアムへこっそり食事を送っていたそうだ。兄は当時は成人はしたがまだ子供だったのだ。肉体的なリアムと同じく、兄も精神的に辛い思いをしたのだろう。
「それで、今日はそのお礼を伝えたくて」
「いやいや!私何もしてませんから!もうベッドに触ったくらいで!」
手をブンブンと振り慌てて伝える。もう本当に何もしてないのだ。なんならノアについて知ろうとして起きた事だ。むしろ私が謝罪、いや是非とも謝罪させてほしい。そんな態度を見てリアムは小さく笑うと、私を愛玩動物でも見るような愛おしそうな目で見る。愛玩動物にもそんな色気を出すのかリアムよ。
「また僕は、君に救われたね」
そう言いながら、美しい顔をこちらに近づけて、……唇と唇を合わせた。何をしているのかわからず「はぇ?」と変な声を出す。その態度に眉を顰めて私の頬を触る。
「あれ?何したか分からなかった?……しょうがないなぁシトラは」
そう言うと私の腕を思いっきり引っ張る。そして椅子に座るリアムに乗りかかるように抱きついてしまう。ほのかに私の好きな紅茶の茶葉の匂いがしてとてもいい匂いだが、そんな事を思っている暇はない。すぐに降りなくてはと体を離そうとするがリアムによりそれを阻止される。いや離せよ!痴女じゃん!これ以上痴女になったらどうしてくれるんだ!?
そう伝えようとリアムの方を向くと、また再び唇を合わせられ口付けをする。思わず固まるが、その後も角度を変えたりと何度も口付けをしてくる。ガヴェインの時とは違って、紳士的で優しい口づけだな〜とか考えてしまう位に混乱していた。
「ん、ちょ、まっ、んっ!?待て!リアム待たれよ!!!」
あまりにも混乱しすぎて、変な言葉になりながらも口付けの途中で口を離して叫ぶ。目の前の色男は高揚した顔をしながら。まるで恋人にするような目線でこちらを見る。
「初めて、僕の名前を呼び捨てにしてくれたね。……僕の大切なシトラ。愛してるよ」
その色気に当てられ、私はリアムの胸の中で気絶した。
次でリアム編は終了の予定です。