30 彼女の痕跡を
『どうして!?どうして獣人族を滅ぼしたの!?』
私が誰かに叫んでいる。おそらく泣いているのだろうか、視界が滲んで目の前の誰かの顔がぼやけている。胸に溢れるこの気持ちは相手への怒りと、獣人族への後悔なのだろう。
『ただ捕らえて、族長と話し合うだけって、そう言ったから私は加護を与えたのに!!!』
『……シルトラリア、戦争とはそういうものなんだ。彼らを滅ぼさなければ、俺達は』
『それでも!!…それでも……例えそうしなければならなくても、その前に、私に』
言って欲しかった。そう伝える前に、相手は私を強く抱きしめた。
「もう起きろ!クソ聖女!!」
「ふごっ!?」
頭に物凄い激痛が走り驚いて目を開けると。目の前には不機嫌そうにしているガヴェインがいた。拳を作っているのでおそらく私の頭を殴ったのか、なんて奴だ。周りを見るとそこは公爵家の広大な庭の木の下で、私はそこでどうやら昼寝をしていたらしい。頭の下の柔らかさと、目を開けた目の前にガヴェインが見下ろしているのを見ると、どうやら彼は膝枕をしてくれていたようだ。…先ほどの殴ったのは水に流してやろう。
「ペンシュラ伯爵邸へ向かう時間だから、早く準備して来い」
「ペンシュラ?…ああ!そういえばそうだった!」
私は起き上がり目の前のガヴェインを見る。長い白髪は一つにまとめて高く結び、教会の聖騎士である証の藍色の制服を着ている。…ガヴェインが神の使者となった後、教会側が彼の身元の保証と、神の使いとして聖騎士の称号を与えた。教会は、私の側に置かせてほしいと公爵家へ願い出た。
当然、父は猛反対した。血管どれだけ切れた?という位に怒りを露わにしていた。父としては二度も娘を狙った存在を私の側に置くのがありえなかったのだろう。あと目の前で濃厚な口づけをしたのもある。そりゃ父が怒るのもわかる。だが私は何度もガヴェインと過ごして、従僕の首輪を取ってもいいんじゃないか位に信用している。その位、彼は出会う前と顔つきが違ったのだ。だから今更聖女と祭り上げられたくはないが、どうせ1週間と離れられないんだし、それなら気の知れた友人としてそばにいて欲しいと思っていた。なので時間がかかっても、どうにか許してもらおうとしていたのだが。意外にも母が私の意見に賛同し、父を説得してくれたのである。その後は、父の反論をことごとく論破した母の功績により、今目の前にガヴェインがいる。……お母様を敵に回すのは絶対しないでおこう。
「うわ!もう時間ないじゃん!ちょっと待っててねガヴェイン、すぐ支度してくる!」
時間を見るともうすぐで出発の時間だった為、私は急いで支度を済ませるために部屋へ向かう。ガヴェインは耳をピクピクと動かし返事をした。
なんとか支度を終わらせ、今は馬車でペンシュラ伯爵邸へ向かっている。ペンシュラ領は公爵家からそこまで遠くないのどかな領地だ。今では茶葉が有名で、王室御用達にもなっているので驚きである。馬車の窓から領民達が生き生きと茶畑の仕事をしており、ここまで数年で立て直したリアムは、やはり素晴らしい領主だ。
次第に馬車は真新しい屋敷へ到着する。ガヴェインにエスコートされ降りると、公爵家ほどではないが立派な屋敷だった。ここは新しくリアムが立てた伯爵邸で、今はリアムはここに住んでいるらしい。私が降り立ったすぐに玄関が開き、そこから溢れんばかりの笑顔と色気を出してリアムが現れた。
「シトラ!今日は来てくれてありがとう!」
「リアム様、先日ぶりです」
リアムは私の手を取りそこへ口づけを落とす。その口づけを落とす姿さえ色気が出ており、年齢制限をかけたい気分だ。ここの使用人は心臓が逞しすぎないか?鋼か?そしてリアムはガヴェインへ微笑む。私に向ける笑顔と違いこちらは固いのは、おそらくまだガヴェインを信用していないからだろう。
「シトラから聞いていたが、本当に聖騎士となったんだね。四六時中シトラの側にいれるなんて、羨ましいなぁ」
「……」
「やっだもー!リアム様も私の大切な友人ですよぅ!」
仲のいい友人を取られそうになってやきもち焼いてる!立派になったと思ったけどリアムもまだまだ14歳の男の子だなぁ!と思って声をかけたが、リアムに「そういう事じゃないよ」とやや圧迫感のある笑顔で言われたのでそれ以上は言わなかった。ガヴェインも、こいつあり得ない、というような悲惨な顔を向けている。何を間違えた。この話はひとまず終えて、私たちは伯爵邸の中へ案内された。
「ここは前の屋敷と違って、茶畑が近くてね。仕事の合間に茶葉の状態を見ることができて、とても効率がいいんだ」
「流石リアム様、いつでも領地の事を考えているんですね」
「ありがとう。でも領主として当たり前の事をしているだけだよ」
新しい屋敷は、前の屋敷と違い豪華絢爛というよりも質素だった。だが安っぽいわけでなく、家具も飾られている装飾品もセンスがある、リアムらしい屋敷だった。私達は部屋を順番に案内されながら、最後に応接室へ入る。そしてリアムに案内されるままにソファへ座る。二人掛けのソファなので隣にはガヴェインが座ると思ったが、何故かリアムが座り私の前にガヴェインが案内された。私の知らないだけで、これが今の最先端のマナーなのだろう。教えてくれてありがとうリアム。
「それでシトラ、連絡にあった話は何かな?」
隣から私へリアムが声をかける。…今回私が伯爵家へ来たのは、ただ友人と会いたかっただけではない。私は深く深呼吸をしてから、リアムの顔を見る。
「……リアム様のお母様、その方についてお聞きしたいのです」
そう伝えるとリアムの目は少し大きく開く。そして先ほどまでの笑顔はなくなり、真剣な表情でこちらを見る。
「母の事は……すまない、詳しくは知らないんだ。僕が産まれる前に出ていったと告げられていたからね」
「そうです、よね。……すいません。こんな不躾な質問」
もしかしたら何か、リアムの母である精霊の事について、知っているかも知れないと思ったが。ただリアムの辛い記憶を思い出させただけになってしまった。申し訳ない気持ちで顔を下に向ける。
( でも、もしかしたら、その人はノアかもしれないんだ )
ノア。聖女シルトラリアだった頃の親友である精霊。15年前に姿を消したアイザックの妹。夢の中で出会った彼女の面影を持つリアム。…おそらく、私が間違っていないのであれば、リアムの母親はノアだ。彼女が死んだのはわかっている。だが彼女の存在を思い出すことで、何か重大な記憶を思い出すような気がしてならないのだ。生まれ変わったはずの宰相の存在のきっかけを作ってくれると確信してならないのだ。私が下を向いたまま無言でいると、目線の近くにあったリアムの拳が強く握られた。
「……もしかしたら、シトラもあの部屋に行けば、何かわかるかも知れない」
「え?」
私は思わず声を出して顔を上げると、リアムは自分の左目を触りながら続ける。
「僕がこの左目になった、母の軟禁部屋なら何か、わかるかも知れない」