16 一瞬だけの平穏
『シルトラリア、自分の心臓の音を聞くように、集中して』
美しい森の中で、何処からか聞こえる女性の声に応えるように私は集中する。すると、胸の奥で沸々と湧き上がるような感覚を覚える。それは大きくなっていき、自分の足から熱は逃げていく。すると後ろからバチッ!と音がし、思わず振り向く。
そこには長い銀髪の美しい女性がいた。弓を持っており、どうやら私に目掛けて打っていた様だ。それを私が力で弾き飛ばしたのだろう。地面には燃えて炭となっている矢のようなものがある。女性は嬉しそうに金色の瞳を細める。
『本当に貴女は、素晴らしいわ』
私は彼女を知っている、私に力の使い方を教えてくれた優しい人。彼女の名前を知っている。
眩しさで、私はゆっくりと目を覚ます。
ここは公爵家の私の部屋。窓から溢れる朝日でどうやら私は起きたらしい。そのまま起き上がり自分の心臓に手を当てる。普段どりの心臓の音だ。
「……今までは起きたら忘れてる様な事が多かったけど、今回は覚えてるな」
それに今まで以上に現実味がある夢だった。銀髪の美しい女性の顔を思い出せる。…あの女性の顔は、何処か他でも見覚えがあるような気がした。私はそのまま立ち上がり、窓からバルコニーに出る。まだ朝早いからか冷たい風が触れる。
「シトラ」
ふと、横から声が聞こえる。その方向を向くとそこには兄が同じくバルコニーに立っていた。隣は兄の部屋で、バルコニーも柵があるか一体となっており行き来ができる。小さい頃に私が兄が大好きすぎる故、父が良かれと隣の部屋にしたのだ。
「お兄様、おはようございます」
「ああ、おはよう。お前がこんな朝早く起きるなんて珍しいね」
少し驚いた顔でこちらを見ている。兄は成人後、次期当主として父の手伝いをしているため、朝はいつも早く起きて仕事をしている。兄の言う通り、私は朝はとても弱いので毎日メイドに叩き起こされるのが恒例だ。
「私も来年は成人するんですからこのくらい!」
「そうだったな。お前ももう成人か。……小さい頃は、お前が早起きして、バルコニーから入り込んで俺を驚かせていたね」
「懐かしいですねぇ、お兄様も、私が窓から部屋に入れるように毎日鍵は閉めないでくれたんですよね」
公爵家の養子になってから数年は、私が聖女の能力を発現するかもしれないと他貴族や王族から危険視されていたため、力の検査以外で家の外へ出ることができなかった。その為遊び相手は兄だけで、兄も私にずっと付き合ってくれていた。化け物を見るような目で見られていたあの幼少期の中で、兄と公爵家だけは自分を人として接してくれていた。
私はベランダに足をかけそのまま兄の元へ行く。着地で思いっきり足を捻らせ地面にぶつかりそうになった、が、兄の胸に飛び混む形で助けられた。リリアーナの時といい、私は運動神経は本当に悪くなったのかもしれない。
あの頃と違い、男らしくなったその胸の中が、なんだか落ち着かなかった。慌てて離れようとしたが、兄はそのまま腰に手を回し抱き寄せる。まさか、今ので自分で立てないくらいに体を痛めた!?
「え!?もしかして何か踏んだり蹴ったりしましたか!?大丈夫ですか!?」
私の慌てた声に返答をせず、私の右肩に頭を落とす。首筋に触れる兄の息がくすぐったい。そんなにも痛かったのか!?
「……お前、無防備すぎない?」
「無謀!?」
慌てる私を尻目に、兄は大きくため息を吐く。
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とても無防備な妹。俺が抱き寄せ首筋に唇を触れても、何も気づかずしまいには「医者を呼びますか!?」と慌てる始末。
( ……本当に、俺でなく他の男だったらどうするんだ?そのまま抱き抱えベッドへ運ぶ事だってできそうだ。)
そこまで考えて、俺は自分の考えに驚いて体を妹から離す。妹も同じく驚いてこちらを見ている。……違う、シトラは可愛い妹なだけだ。決して、決して違う。
「お兄様、大丈夫ですか…?」
妹の顔は、この国では珍しい顔立ちで、とても可愛らしい。そんな妹に上目遣いで心配そうに見られている。何か自分にドス黒い感情が溜まっていくのがわかる。よく見れば寝巻きも少し解けて艶かしい鎖骨が見える。思わず生唾を飲んだ。……違う、やめてくれ。
「大丈夫だよ、お前も早く戻って支度しなさい」
足を痛めていないことを確認すると、そのままシトラを抱え隣のベランダへ放り込んだ。俺はそのままシトラを置いて部屋に戻り、カーテンも閉める。
そしてそのまま、ずるずると床へ座り込む。
「違う、本当に違う」
今先ほどの妹の表情を、声を、肌の感触を思い出してしまう。この感情の正体も知っている。だがこれは妹に、シトラにどう思われるかなんて事もわかっている。
「俺は、シトラを女として見てなんかない」
部屋に響く言葉が、ひどく悲しい。
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「国王陛下に会っていただきます」
開口一番に目の前の麗しの美男ギルベルトは、笑顔で私に伝えてくる。軟禁生活から晴れて元の公爵家へ戻り、温室でのんびりとお茶をしていると、いつものようにギルベルトは現れた。ただいつもと違うのは、護衛をやめたアイザックと一緒に来たことと、そのアイザックが物凄い疲れた表情をしていることだ。そのまま二人分のお茶をクロエに頼み、アイザックが疲れているのはよくわからないが、いつものようにお茶しようぜ!と思っていたところにギルベルトから告げられた。
「え?」
「君が聖女シルトラリアである事は陛下も知っていましたが、宰相が転生していることは知らなかったそうで、詳しく話を聞きたいのだそうです」
「ちなみに拒否は?」
「できるわけないでしょう」
優雅にお茶を飲むギルベルトを恨めしそうに見つめる。文句を言ってやろうと思ったが、それよりも隣のアイザック疲れている表情が気になる。
「ちなみに、アイザック様はなぜこんな疲れていらっしゃるんですか…?」
「ああ、彼は君を生き返らせた事で、王位継承権と王弟の地位を剥奪されていたのですが、陛下が「もう反省しただろう」という事で、王弟の地位を戻される事になったのです」
「え!?」
「王弟になると、そう易々とシトラ嬢に会えなくなるのが嫌で拒否してたんですよ。それで昨日は陛下と一悶着ありまして、…まぁ、結局戻る事になったんですが」
なるほど、アイザックは国王にうまく言い包められたと言うことか。アイザックは「また仕事づくめの日々…」とさらに疲れた顔になっていく。可哀想すぎる。ギルベルトはそんなアイザックを無視して「それで」と話を続けた。
「彼が王弟に戻るので、その祝いとして国王主催の舞踏会が開催される事になりました。君はその舞踏会前に陛下と会っていただきます」
国王主催の舞踏会、それは全ての伯爵以上の貴族が集合するもので、一般の舞踏会と違い未成年も10歳以上なら出席が必要になる。前に開催されたのは私とギルベルトが誘拐された12歳の時だったか……やるのか…いきたくない…。
そう思っていたが、次のギルベルトの言葉で、そんな考えも吹っ飛んでしまった。
「その場で、国王より王弟が精霊であることと、君が聖女シルトラリアであることを伝えることとなりました」