54 昔好きだった男
昼過ぎ、私達は乗る予定の客船の前で、見送りにやって来たルーベンとマチルダへ別れの挨拶をしている。イザークやアイザック、他の仲間達には軽い挨拶で終わらせていたルーベンだったが、最後に私の番になった途端、何故か抱き寄せ頬に触れてきた。悲壮感漂う表情でこちらを見ており、あまりの美しい瞳に昼食に食べたステーキを吐きそうになった。
「シトラ。本当にもう行ってしまうのか?」
「は、はい」
「ようやく落ち着いて話せると思ったのに、もう少し居ていいだろう?」
「いや、あの、家が潰れる可能性が、ありまして」
「あの第二王子の戯言だろう?その言葉を信じて、こんなに君の事を愛している男から離れるのか?」
「ソンナ、オタワムレヲ」
「そんな風に言うなら、今度は舌を入れるぞ」
「ヤッ、アノ、エッ」
助けてーーーーー!!!この13歳翻弄してくる!!絶対この男年齢詐欺してるだろ!?はーーーやってらんねぇ!!こっちは蘇る前も含めたら30超えるってのになぁ!?
王太子ではなく国王となった彼には、この公式の場では誰も文句を言えないのか、後ろから仲間の歯軋りは聞こえるが助けには来ない。ただ歯軋りの音は大きい。貴族社会は上下関係がしっかりしている、だから私もされるままになっているのだが………流石にこれ以上は周りの観光客の視線も感じるので、ルーベンの胸を少し押して離れた。名残惜しそうに眉を下げるルーベンの顔面が、モロ好みすぎるので変な息遣いになる前に目線を逸らす。いやー顔がいい。完璧にいい。
「ま、まだ、魔法を教えきれていませんし……お手紙も書きますし……またゲドナへ来ますので」
私が誤魔化すように伝えた言葉へ、ルーベンは一気に顔を明るくして隣のマチルダを見た。
「そうかそうか!マチルダ聞いたか?シトラは近い内にまた来てくれるらしい」
「え!?そんなには近くないと思いま」
「でしたら兄様!この夏に行われるゲドナの建国祭に、姉様を招待しましょう!私、また兄様姉様のダンスを見たいですわ!」
「それはいい、今度は国賓としてシトラを招こうか」
「こ、国賓!?」
たかが公爵令嬢がそんな立場で招待されたら、確実にルーベンと何かあると思われるじゃないか!!今後の私の、多分きっと、おそらくあるだろう結婚にも影響しかねない。私は慌てて国賓での招待を断ろうとしたが、その前に自分とルーベン達の間に、後ろからイザークが現れた。後ろからは彼の表情は見えないが、ため息は聞こえる。
「陛下。我が国の聖女にそれ以上のお戯れをするなら、ハリエド国から正式に申立てますが?」
どうやら助けてくれている様だ。よかった、このままだと私はルーベン達にいい様にされていただろう。ルーベンは私の目の前に立つイザークに目を細めると、顎に手を添え艶やかに笑った。
「ただ口説いているだけだろう?今はシトラと何もない君が、僕を止める理由はあるのか?」
「それは貴方も一緒ですし、俺はこれからありますので」
「君が手を出すのを、僕が黙って見ているとでも?」
ハリエドもゲドナも、加護を持った存在を求めているのだろう。ルーベンとイザークの間に雷が落ちている気がする。そのまま長々と言葉の喧嘩を続けている二人に、私はそっと離れてマチルダに最後の挨拶をした。………こっそり記憶を消そうと魔法をかけたが、無駄だった。
船に乗った私は、甲板に立ち遠く離れていくゲドナ国を見る。建国祭には必ず招待するとマチルダも言っていたし、私もあの兄妹とは話したい事が沢山ある。今は春だから、約三ヶ月後か。今度はキルアの墓参りも行こうと、次の訪問が楽しみで顔が綻ぶ。
「シトラ様」
そんな時、イザークが少し疲れた様子でこちらに話しかけてきた。おそらく先程のルーベンとの争いで気疲れしたのだろう。私以外の皆は部屋で休んでいるし、一体私に何か用でもあるのだろうか?私はイザークの方へ体を向けるが、疲れなのか彼は頬を少し赤くした。
「イザーク様、何か御用ですか?」
「……少し、話がありまして」
そうだ、思い出した。アメリアとイザークの密会目撃でそれどころではなかったが、イザークは私に謹慎後話があると言っていた。……まぁどうせ「恋人が居るので、貴女は過去の人です」とか「アメリアと結婚する事になりました!」とかだと思うが。告白されると思っていた当時の私は、なんて恥ずかしい女なんだ。
最後マチルダと別れの挨拶をした際に、イザークとのお見合い話を振ると「随分昔に無くなった話を言いなさるのね?」と怪訝な表情で言われてしまった。……どうやら、お見合い話は破断で終わったらしい。もしかしたら、アメリアを愛するイザークが止めたのかもしれない。よかったイザークに再会してすぐに玉を蹴らないで、アメリアさんを一途に愛するいい男だった。危うく彼の息子さんを再起不能にする所だった。イザークもハリエドに戻るし、ラブラブなアメリアとの結婚もすぐかもしれない。先程はルーベンから守ってくれたし、正直元カレの結婚報告は癪だが、話を聞いてやろうと頷いた。イザークは赤い頬のまま穏やかに笑った。
「まずは、私が了承なしに貴女の記憶を封印した事へ、謝罪をさせてください」
「……ええっと、私が小さい頃に、イザーク様に会っていた時のですかね?」
「そうです。……私はその時からダニエルとしての記憶も持っていましたので、予言で死ぬ運命にあった貴女を影から見守るためにも、記憶を消して深い関わりを立った方がいいと思いました」
深い、とはどういう事だろうか?ただ教会で話すだけの間柄でそんな言葉が当てはまるのか?私の疑問には気づいている様で、イザークは目線を逸らして苦笑した。
「……えっと、あの時のシトラ様は………私に恋愛感情を持っていたんです」
「は!?」
「何度かお会いしていたある日、私に告白をされまして……」
「こっ!?」
嘘だろ!?イザークがダニエルだと知るまで、どうやって殴れば不敬罪にならないのか考えていた男に!?幼い頃の私が好意を持っていただと!?確かに記憶が戻り、幼すぎて記憶は曖昧だが教会に行く度にイザークに会いに行っていた記憶はある。抱きついたり頬に口付けをしていた記憶もある。だがまさか、第一王子であるイザークに告白をしていたとは。
「当時はまだ、ダニエル・カーターが聖女殺しの犯人とされていました。しかもウィリアムやアイザックもいる中で、貴女に深く関わる事は危険でしかない。……だから私は、魔術で貴女の記憶を消しました」
「………な、成程……」
それは確かに、当時のイザークの考えは正しい。あの時は精霊も私の友達も、皆蘇ったダニエルを探すために躍起になっていたのだ。そんな中で自分を守るには、そうする他ないだろう。私の隣へ来たイザークは、そのまま何度か深呼吸をし始めた。次に話す内容は、そんなにも緊張するものなのか?私もそれに釣られて心臓の鼓動が速くなっていく。
そうして、何度目かの深呼吸が終わった後、イザークは熱を持った目を向けた。
「……俺は、全てが終わった後はイザーク・フィニアスとして生きるつもりだった。君はこの時代でも人に好かれていたし、君を追いかけて死ぬ様な男よりも、もっと君には相応しい相手がいると思ったんだ」
話を続けながら、イザークは私の頬に手を添える。やけに汗ばんだ手だし、年齢差も500年前よりあるからなのか、記憶にあるより随分と大人の手に戸惑った。
「でも、やっぱり無理なんだ。……俺に気づいて、また俺に微笑んでくれる君を見て。……どうしても想いを閉じ込めれなかった」
「……ダニエル」
言葉遣いが同じだけで、顔も声も全く違う男だ。
でも、目の前に居るのはダニエルだと分かる。それはもしかしたら、私を見る優しい目線なのかもしれないし、手の触れ方なのかもしれない。触れる手が唇へ行き、優しく撫でている。
「俺は、君を愛している」
熱い吐息と共に告げられた言葉に、私は硬直し目を開く。周りの音も聞こえなくなり、ただ自分の心臓の音が聞こえるだけだ。イザークはそのまま返事を待っているのか、真っ直ぐ私を見つめている。
私は、自分の唇を触れる手を掴み、そっと両手で包み込んだ。
そのままイザークと同じ様な熱を込めた目線を向け、触れられていた唇を動かし息を吸う。
「ーーーーれ」
「…………シトラ?」
聞こえなかったのか、名前を唱えるイザークへ。私はそのまま握っていた手を一気に引っ張り彼の腕を抱えた。突然の行動に驚いているのか目を見開いたイザークだったが、私はそのまま背中に彼を担ぐ。
「こんのクソ二股野郎が!!!アメリアさんに!謝れえええええええい!!!」
船中に響き渡りそうな大声を張り上げ、私は背中に担いだイザークをそのまま前へ投げ飛ばす。前の世界でテレビで見た背負い投げ、いつかやりたいと思っていたが、まさか異世界の二股野郎にするとは思わなかった。そのまま前へ綺麗に倒れて背中を打ち付けたイザークは、痛そうな叫び声を上げた。私はそんな彼へ鼻息を出しながら見つめる。
「玉を蹴らなかっただけ有り難く思え!!ほんっっつとうに信じられんわ!イザーク様にアメリアさんは勿体無い!!結婚式のスピーチもしてやらん!!」
私の怒声に、痛みを堪えながらこちらを見たイザークは慌て始める。
「なっ、何故!?この場面で何故アメリアが出てくるんだ!?」
「はーーー!?アメリアさんは別ってか!?私が前菜でアメリアさんはメイン料理ってか!?このクソ王子!!最低!!!」
「クソ王子!?」
私はそのまま鼻息を荒くしながらイザークの元へ離れる。後ろから何やら二股野郎の声が聞こえるが知らん。お見合い話も、イザークの性格を知ったマチルダが拒否したのだろう。ちょっとでもイザークを一途だと思った私はなんて馬鹿なんだろう。あー昔の私見る目ないなぁ!
「絶対に私は、私だけを愛してくれる人と結婚するもんね!!」
歩きながら意気込んで大声で呟く決心に、周りの観光客には不思議そうに見られた。
次回最終話の予定です