10 あれから大きくなりました
ここは、どこだろう?…ああ、この見たことのある廊下、ここは教会だ。
公爵家に引き取られてすぐの頃は、私は身体検査でよく教会に来ていたんだ。
けれど、この場所の記憶はない。こんな美しい庭園はあっただろうか?
その庭園の中央のベンチに、誰かが座っている。
私はその誰かを知っているんだろう。嬉しそうにその誰かに抱きついている。
「×××、君の世界の名前はとても難しいね」
誰かは私を優しく抱き寄せ、頭をそっと撫でながら優しい声を聴かせてくれる。
「君はこれから、シトラと名乗るといい」
私は、確かこの人がとても大好きだったはずだ。
なのに、顔が思い出せないからなのか、顔部分だけ黒いモヤで覆われている。
「お姉様?こんな所で居眠りなさっているの?」
「んえ?」
可愛らしい声がそばから聞こえ、私は目をゆっくりと開ける。すると目の前には、長い亜麻色の髪をハーフアップする美しい美女がいた。その美女は美しい微笑みをし「おはようございます」と言ってくれる。
周りを見ればそこは我が公爵家の温室。…ああ、そうだ。私はこの温室のベンチで昼寝をしていたんだった。ちょっとだけのつもりだったが…。
「クロエよりこちらにいらっしゃると聞きましたの。お姉様、うちの料理人が作った焼き菓子を持って参りました!お茶をご一緒しませんか?」
そう言って焼き菓子の入ったバスケットを嬉しそうに見せるこの美女は、かつて傲慢わがまま令嬢として有名だったリリアーナ・カーター侯爵令嬢である。お茶会騒動があってから、何故かお姉様と私を慕ってくれている。
もうすぐ13歳になるらしいが、とても美しい貴族令嬢となり、その美しさと洗練された所作により今では婚約話がひっきりなしに押し寄せているそうだ。まぁ本人はのらりくらりとかわしているそうだが。
私も14歳となり、来年には社交デビューも控えている。
13歳までは背が伸びていたがそれも伸びなくなり、対するギルベルト達はどんどんと背丈を伸ばし、声も変わり、美少年から美男へと変わっていった。それでも今まで通り公爵家に来てこんな平凡顔の私と仲良くしてくれている。
ギルベルトは金髪碧眼で出会った時から美少年だったが、神々しさも出ており精霊のアイザックに似てきた気がする。国ではとても優秀な王子として、この数年でまた功績を残し続けている。誘拐事件からずっと週一で遊びに来ていたが、リリアーナ、ケイレブと仲良くなった所から公爵家に仕事を持ってきてまで会いに来るようになり、三日に一回は来ているんじゃないかと思う。あんまりにも来るものだから公爵家の空いている部屋に執務室でも作りましょうか?と言ったところ、笑顔で「それは下心があるからですか?それとも考えてないだけですか?」と言われてしまった。下心とはなんだろうか?
リアムは最近は美しい見た目に色気まで出始め、黒髪だけに「黒の君」と令嬢達から憧れられているそうだ。自分の領土では、茶葉はもちろんさまざまな事業を全て成功させている。そのため先代当主と義理の兄による財政難はなくなり、むしろ資産を増やしているそうだ。最近は国から依頼された他国との貿易も成功させ、最近伯爵へと昇爵したのだという。子爵を引き継いでから3年ほどで伯爵まで昇爵した貴族は国で初となり、天才実業家と大注目されている。昇爵パーティーの際、エスコート役をしてほしいと頼まれしたのだが、その際挨拶にきた貴族へ「僕の大切な人です」と言うので「大切な親友という意味です!」と何度も付け加えるのには苦労した。あらぬ憶測を生むのでちゃんと端折らず話してほしいものだ。
アイザックは精霊の為、一定の年齢で年を取るのが止まるらしい。変わらずこの世のものと思えないほど美しい。最近はギルベルトの護衛をやめて騎士団長の仕事一本にしたらしい。この前アイザックが来た際に理由を聞いたが「面白いシトラ様ともっと関わりたくて」と神も嫉妬しそうな美しい笑みで言われて理由をはぐらかされた。今度他の精霊とも会わせてくれると言っていたのでとても楽しみである。
ケイレブは兄と同じく去年成人し、今は父親の家業を手伝っているそうだ。妹のリリアーナとはすっかり仲良し兄妹となり、妹と一緒に公爵家へ遊びにくる。そこでアイザックと知り合い、たまに騎士団員の練習試合に付き合っているらしい。今ではアイザック目当ての令嬢と同じくケイレブ目当ての令嬢が見学に来ているそうだ。私もケイレブに誘われてリリアーナと共に騎士団の練習を見に行くが、騎士が吹っ飛んでしまうほどの練習試合ばかりなので、これは練習と言ってもいいのかと冷や汗をかいたが、隣にいたアイザックには「いいところ見せたいんですよ」と笑っていた。…もう妹大好きすぎるじゃん…。
「お姉様!私の話聞いていますか?」
リリアーナは頬を膨らませて少し怒っていた。そんな顔も可愛いので頬が緩んでしまう。
「ごめんごめん、お茶しようね」
「もう…ギルバート様達もみんなお待ちしておりますから、急ぎましょう」
私はリリアーナに引っ張られながら、皆が待っているであろう中庭へ向かう。
…何か、とても重要な夢を見ていた気がするが、まぁいいか。
リリアーナの持ってきてくれた焼き菓子を頬張りながら、仲の良い友人達とお茶を共にする。顔見知り達だけなのでマナーも関係なしに次から次へとお菓子を頬張っていると、横にいた兄が怪訝な顔をする。怒られる前に何か話題を作らなくては…。
「そういえば、教会より成人前にシトラ嬢の定期診断をもう一度したいと申し出があったようですが、公爵家がそれを拒否したと聞きましたよ」
ギルベルトが代りに話題を振ってくれた。
「そうですね、お父様がもう何回もしているのだから良いだろうと」
「父上のおっしゃる通りだ。大体教会はシトラを実験台にしか見ていないんだからな」
私の後に吐き捨てるように兄が言う。兄には教会の話は地雷なのだ。
リリアーナが戸惑いながら「あの…」と声を小さく出す。
「お姉様が幼い頃に召喚されてこの世界へ来た事は知っておりますが、お姉様が教会に診断?を受けるのは、それに関係しているのですか?」
「ああ、シトラ嬢は聖女召喚でこの世界へ来ているんです。なので教会が定期的に彼女の状態を記録しているのですよ」
ギルベルトのその答えにはリリアーナと、そしてケイレブとリアムも驚いて固まった。
数秒固まった後ケイレブが立ち上がり私の方を見る。
「聖女ってこの国を建国した言われるあの聖女か!?じゃあシトラは聖女の能力が使えるのか!?」
その問いには私がお菓子を持っていない手をブンブンと振って答える。
「私聖女ではあるみたいですけど、聖女としての修行なども一切していないので何も力はありません」
聖女と聞くとこの国を建国した、シルトラリアという女性を想像するのだろう。
シルトラリア、人でありながら精霊の女王となり、不思議な能力を持ったとされる女性。彼女が力を使い乾いた土地を癒し国を建国したと言われている。そして私の名前の由来でもある。
古い文献では聖女は特別な修行が必要で、そのためか私は聖女であるらしいが何も力はない。…というより本当に聖女なのかもわからない。
今まで黙っていたリアムが、眉を下げてそっと私の手を握って見つめる。
「シトラは、幼い頃に無理矢理この世界に連れてこられて、本当に大変だったんだね」
リアムに握られた手を両手で包み込む。
「でも召喚されなければリアム様にも皆にも会えなかったから、今は召喚されてよかったと思っていますよ」
「…シトラ」
よほど嬉しかったのか、熱の込められた目線で見つめられる。触れている手がかつて握った手より大きく、そして男性らしくなった美しい顔に見つめられると少々恥ずかしくなってくる。
「リアム、女性の手をそう長いこと握るのはマナー違反ですよ」
「ギルベルト王子の言う通りですわ!それに見つめすぎですわ!」
ギルベルトとリリアーナが後ろで騒いでいるがリアムの顔面のせいで全然聞こえない。そろそろ離してもらおう、そう思ったところでケイレブと兄がリアムを引っぺがした。二人ともお兄ちゃんだから気を遣ってくれたんだなぁ、流石だ。
「シトラ様!」
いきなり扉が開いたと思ったら、クロエが慌てた様子でサロンに入ってきた。どうしたと聞く前に兄が話しかけた
「そんなに慌ててどうしたんだ?」
「そ、それが、教会より大司教様がいらっしゃいましてシトラ様に会わせてほしいと」
「え?」
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