第05話【新学期】
夏休みが終わり、二学期が始まる。
俺自身には特に変わったことはない。宿題だって終わっている。幸い熱中症にも体調不良にもならずに済んだ。
しかし、夏休みの始まりには非常に変わった出来事があった。
突如として起きた出来事。
幼馴染の嶋柳優希が男から女に変わった。
原因不明の症状に罹った。優希の性別が変わったのだ。
もちろん治療方法も判明していないもので、当面もしくは一生このままである。
治るかもわからない病だと言うと絶望的な状況かと言えば、そういうわけでもない。本人に至ってはいつもどおりの態度をとっている。
優希含め嶋柳姉弟とは自分の姉弟のように食事を共にすることが多く、始業式のある今日もまた同じように朝食をとった。
食べ終われば優希を除いた全員で片付けをし、各々準備をし始める。休みボケが抜けない優希の世話をしながら自分の支度も済ませる。
なぜこんな世話係みたいなことをしているのか、自分でもわからない。俺は世話好きなのだろうか。別に嫌々やっているわけでもない。気になって仕方ないのだ。
夏休みの約1か月も経てば優希が女性になったことにも慣れ、それに応じて接するようになった。……というわけでもない。
確かにデリケートなところはさすがに慎重にならざるを得ないし、俺もそこまで世話をしたくない。
しかし、朝食は寝ぼけてまともに食べないし、服も着替えさせようとしてくる。さらに言えば風呂上りに下着姿で出てくることすらあるのが優希だ。
良く言って信頼されている、悪く言えば無防備。
俺だって元男とは言え、女性に対しては意識してしまう。
もっともその辺は姉たちからも叱られている。全く堪えていないようだが。
支度が終わり、嶋柳長女の志希姉は仕事部屋に次女の希乃果姉は先に出発した。
玄関でフラフラする優希に手を伸ばした。
「ほら、行くぞ」
「……」
優希はスカートを履いていた。夏休みに性別が変わり、制服を発注していたものの時期外れのこの時期にすぐどうにか準備できるものではなかったらしい。
幸い優希には姉がいて、同じ高校出身。姉のスカートを借りたわけだ、しかし、上の姉も下の姉も優希とはサイズ感が違いすぎたためブレザーはとりあえず自前の物を着ることになったそうだ。それ以外の買い揃えられるものは夏休みのうちに買いそろえたという話である。
伸ばした手を掴もうとはせず。そのまま優希は俺の腕にしがみつくように抱き着いた。
「うおっ」
優希の体重がかけられ、思わずバランスを崩す。転びまではしなかったものの二学期早々に怪我をするところだった。
「お前なあ」
「おんぶして」
「自分で歩け」
ぬいぐるみに抱き着く様に全身で俺の腕をホールドしている。自分の力で立つ気はないらしい。
そういえばバランスとりづらくなったとか言っていたな。いや、これは単純に歩くのが面倒くさいだけだろう。
「わかったから、ほら行くぞ」
「うぃ」
優希が腕に抱き着いた状態で俺は外へと出た。
学校に着くまでの道中すごい視線が痛かった気がする。その視線にあてられてから自分の姿がいちゃいちゃしているカップルのようであることに気づいた。
何がカップルだ、こっちの身にもなってみろ。片腕に何十キロの重りがくっついて離れないんだ。抱っこなりおんぶなりした方がまだ楽だった可能性すらある。
教室に着くと全員の視線がこちらに向いた。
沈黙。俺は立ち止まった。
「あ」
誰かが声を漏らした瞬間多くの人が押し寄せた。
「朝陽、その子は?」
声を開けてきたのは俺と仲のいい友人のひとりだった。
俺はどうこたえたものかと思い優希を見下ろす。
「……」
しかし、すでにそこに優希の姿はなかった。女子の集団に連れていかれたようだ。助けを呼ぶ声がするが俺は聞かなかったことにする。ようやく解放された。
「これから言うこと信じてくれるか?」
「何だよ、その前置きは」
「あれは優希だ」
「嶋柳?」
俺は頷いた。
「嶋柳は男だろ」
「そうだな」
「小さかったと言っても男としてだ。あそこまで小さくなかった」
「まあ、そうだな」
「どう見ても別人だ」
「……」
友人は女子にもみくちゃにされ質問攻めにあっている優希を見た。そうだろう、信じられないだろう。俺もまだ信じ切れていないところはある。夢か幻か、そうだったとして見破れる方法は俺にはない。
「……朝陽の反応としては本当なんだな」
「信じられないのも無理はない。俺も信じたというよりもう慣れだな。あれは優希ではないが、優希だ。そう思うことにした」
「そこまで言うってことは証拠あるのか?」
「診断書を見せられたよ。医師のお墨付きだ」
「へぇ」
とりあえず疑うことは止めたらしい。それから少し夏休みの話やら世間話しているとホームルームの時間となった。
優希の方を一瞥するとさすがに解放されたらしくぐったりとしていた。ただ周囲の人間は興味津々で全員がそわそわとしている。
ホームルームで担任から優希のことについて説明があった。症状の話やまだ知られていない病であること、これからの生活で助け合っていくように。みたいなそんな話だ。
俺にとってはもう聞いた話だからマジメには聞かなかったが、優希と特別仲が良い俺に担任から名指しされてしまった。俺に逃げ場はないのか。
そのほかにホームルームで話された内容は文化祭のことだった。
クラスの出し物として何をするのかを今の内から決めるらしい。教室中がざわめいた。既にやりたいことを決めていた者、今考えている者、悪ふざけの提案を口にしている者。様々な声が入り混じる。
出し物を決める時間は後日とるからそれまでにアイデアを出しておいてくれ、ということだ。俺も何か考えなきゃな、とは思いつつも積極的に参加するつもりはない。
ホームルームが終わればまた優希の周りに人だかり。俺は少し席が離れているから外から眺めていられる。対岸の火事というやつだ。
それから授業の合間合間で人だかりが出来ていた。ある時は女子、またある時は男子、はては男女混合。
男子だけの時は少し度が過ぎたやつもいて、俺が間に割って入ることにはなった。
下ネタぶつけたりとか身体に触ろうとしていたりだとか。目に余った。
「朝陽」
俺が割って入った後、バツが悪そうに散っていった男子を見ていると優希から声をかけられた。
「ありがと」
「……ああ」
後ろから女子たちが男子に悪態をついているのが聞こえた。俺は関与していないとはいえ、「男子」と主語がデカいとこちらも胸が痛むのでやめてほしい。
だが、俺個人に向けられたのは称賛の声だった。
「やるじゃん」
「お、おう」
男子と言ってもそんなことやらかしていたのはごく一部で、注意すると逃げ出す様な小心者の連中だけで他の男子からは褒められ、なんか恥ずかしい。
そんな感じで時間は過ぎていった。
優希が女子になったことと先程のようなこともあり、あいつの周りは女子で固められるようになった。ただ優希の希望で俺も引っ張り出されることも多い。女子だけの空間は俺にとってすごく居づらい。
優希は気にならないのだろうか。
帰り道、行きと同様優希は俺の腕に引っついて歩いていた。
それを見たクラスメイト達は「付き合っているの?」なんてからかってきたが、無視だ。こういう時は何を言っても無駄なんだ。
「俺は朝陽となら良いと思っている」
なんて腕の引っ付き虫が宣言するものだからみんな盛り上がった。
周囲の人々の視線が俺に集まる。俺はため息をついた。
「ノーコメントで」
ブーイングが響いた。
その後ようやく二人きりになったところで優希が口を開いた。
「……案外みんな受け入れてくれた」
「そうだな」
「……朝陽は俺と一緒にいるのは嫌?」
「嫌……うおっ」
腕を引っ張られた。
「冗談だよ」
「……」
「本音トークってやつか?」
優希は頷いた。俯いているから表情は見えない。
「嫌だったら腕は掴ませてない。考えればわかるだろ」
「わからない」
「そうかい」
「朝陽の口からはっきりと言って」
少し声が震えているかもしれない。
「ノーコメントだ」
「はぁっ!?」
優希の今日イチの大きな声が出た。その大きさに俺も驚いた。
「ヘタレ!」
優希は俺の腕から離れて、自分の家へと向かっていった。気づけばそこは俺の家と優希の家の前に辿り着いていた。
大きな声に出てきた姉たちは玄関から顔出して、俺を見つめていた。
「ヘタレー」
「ヘタレー」
平坦な声で呟いて戻っていった。もちろんいたのは俺の家だ。二人は俺の家に先に上がってくつろいでいたらしい。
俺がヘタレなことぐらい知ってらい。
だけど、俺の気持ちを伝えてしまうとその先がちょっと怖かった。今はまだこの曖昧な距離感でいたい。
あれから数日。
瞬く間に優希の学校生活において周囲の人々は慣れていった。むしろ慣れていないのは俺の方だと言いたい。
まずトイレ。俺が席を立つと一緒についてくるのだが、男子トイレに入ろうとするとそこまで着いてくる。その度に俺が女子トイレの前まで押し出すのだが、こう何度も同じことさせられるとわざとではないかと思ってしまう。
全校生徒に優希の事情が伝わっているわけもなく、先にいた男子は驚きのあまり固まってしまうこともよく見る。
ほかにも体育前の着替え。優希は周囲の目など気にせず教室で着替えようとしたり、男子更衣室に入ろうとしたりする。
さすがにそれはいけないと俺がどうにかする前に女子が連れていってくれるのでありがたい。放置されると俺が着替えの手伝いをさせられる。
実際、朝寝ぼけているときはこいつの着替えを手伝わされることは多々ある。
1週間も経てば周囲の人間も優希の変化にも慣れ、トイレも着替えも「またか」というような反応が向けられる。
優希が女子になる前は同性だったこともあり、俺が世話係のように扱われていた。異性ともなれば何でもかんでもというわけにはいかない。それは俺だけじゃなく、みんなもわかっているようだ。
文化祭の出し物とはいうと、「女装男装喫茶」ということになった。
きっかけは優希であるのは明白で、優希が男の格好も女の格好をしてもいいという気遣いだという。
もちろんそれだけではなく、女装してみたい男装してみたいなど盛り上がり、そのままの流れで決まった。
と言っても女装しなくてもいいし男装しなくてもいいという話にもなっている。その話に俺は胸をなでおろすが、優希からの視線が訴えかけていた。
お前は女装しないのか、と。俺はしたくないと思い視線をそらした。
授業合間の休憩時間。俺の目の前に座る女子がいた。
それは優希ではない。やつは机に突っ伏して眠っている。
彼女は種村。幼稚園からの付き合いで今は志希姉のところで漫画のアシスタントをしている。
メガネ越しに俺を見つめている。
「朝陽は女装しないの?」
「しない」
「なんでよ」
そんなことを言いに来たらしい。
「優希はどうするって?」
「知らない。聞いてない」
「聞かないの?」
「聞いてどうする」
「いや……」
確かに優希はどっちを着たいのだろうか。夏休みの間は自分の元々持っていた服はサイズが合わなくて着なくなって、姉や母に用意された女性ものの服と俺の借りパクしたTシャツを着ていた。
優希自身は男でなくなることに不安を感じしていた。女装は進んでやりたいものではないのかもしれない。
「あんたに女装してもらってペアルックみたいにしてくれれば、優希も着てくれるんじゃないかなーって」
「……結局それか」
「まあね。本人は言えないけど」
種村は優希の方に視線を向けた。しかし、優希は相変わらず机と同化している。
聞き耳は立てていないだろうな。
「……お前はしないの」
「私? 私はほら……これがこれなもんで」
種村の手は自分の胸の形に添うように動き、見せつけるように胸を張った。つまりは自分の胸の大きさ自慢だ。
「潰して男装してもいいんだけどねえ。私は女装でいいかな」
「女子が女装だったら普通だろ」
「そりゃあそうよ。私はそれでいいのよ」
そんな話をしていて、ふと気になった。
「そういえば、女装男装するのは決まったけど、仮に女装をするとしてどんな服を着るんだ?」
「そりゃあ……まあ次の話し合いで決めるでしょ」
「そうだよな」
そんなこんなで授業のチャイムが鳴り、種村は自分の席へと戻っていった。ふと優希に視線を戻すとその視線はこちら向いていて、ぎょっとした。
別にやましいことはしていない。
昼休みは俺と優希で机を並べて、昼食をとる。
弁当はもちろん俺の手製。嶋柳の姉たちの分も俺が作っている。趣味と実益を兼ねているのだ。
「それで、朝陽は女装するんだよな」
「しない」
「じゃあ俺が女装したらするんだよな」
「お前話聞いていたな」
こいつは寝たふりをして俺と種村の話に聞き耳を立てていたらしい。
「優希は嫌じゃないのか? 女装」
「好き嫌いっていうよりめんどくさい」
「なんで」
「男の服と勝手が違うから」
まあ、確かに男性と違い種類も豊富で着こなし術も千差万別。男性もおしゃれにきこなせばそれなりに種類があるのだろうが、女性服ほどじゃない。
「それでお前はどうするんだ? みんなは女装してくれることを期待しているようだが」
「……」
口に頬張った食べ物を租借しながら俺を見つめる優希。なんだ、文句あるのか。
「朝陽が女装するなら女装する」
「……またそれか」
「俺は朝陽の女装姿を所望する」
女装すると言っても別に際どい衣装を着るわけじゃない。……はず。まだどんな服になるかは決まっていないからわからないが、女子が全面サポートするという話だ。
半分は優希を着せ替え人形にしたい口実だったのだろう。優希はなんだかんだ顔が良いし、スタイルもいい。
まあ、俺としても別に無理を通してまで拒絶する気はない。
頷こうとした瞬間、優希から提案があった
「わかった、女装したら朝陽に褒美をやろう」
「褒美?」
「俺のしょ……」
「洒落にならん」
俺は言葉を遮った。こいつはいきなり何を言い出すのだ。仮に本気だとしてもそんな安売りするものじゃない。
「……願いを一つ叶えてやろう」
「じゃあ、お前の介護生活を止めさせてくれ」
「却下」
「なんでだよ!」
こいつは俺を解放してくれる気はないらしい。別に一緒にいるのが嫌という話ではないのだがな。
「……わかった。何か考えておくよ」
「ってことは、良いのか?」
「何をいまさら。自分から言っておいて」
「うん、わかった覚悟しておく」
「覚悟はいらん」
まったく、こいつの考えていることは俺にはわからん。
一緒にいる時間が長いほど人の考えていることが読み取れるようになるだとかそういう話を聞くが、未だに俺には優希のことは分からん。
6話は9月12日(火)予定です。




