第04話【嶋柳家の別荘】
それは夏休みもあと両手で数えられるほど日数を残したある日のこと。
夏休みが始まったばかりの頃に聞いたあの話が再浮上した。
「そろそろ別荘に行こうと思う」
いつもの朝食の時間。志希姉さんが切り出した。
「優希のゴタゴタで有耶無耶になったのかと思ってましたけど」
「行くかどうかお母さんも悩んでいたのよ。でも、優希も落ち着いているみたいだから」
志希姉さんは優希の方を見た。優希はいつものように眠たそうに座っている。
「私たちの予定は昨日のうちに相談し終わってるから、あとは朝陽がどうするかだけだよ~」
希乃果姉さんがそう言いながら、ご飯を口に運んだ。
「いつ行くんですか?」
「明日よ」
「明日!?」
「おじさんにも了承は得ているわ」
うちの父にも話は通してあるという話で、父は仕事があるからと辞退したらしい。彼女らの母である嶋柳咲穂さんに関しても仕事に穴をあけられないらしく、不在となる。
「わかりました。行きます」
「あ、そうそう。水着用意しておいてねっ。みんなでプールに入るから!」
希乃果姉さんがワクワクとした笑顔をこちらに向けて言った。今日三人で水着を買いに行くという。優希は女性の水着など持ってはいないから買いに行こうというのが主な目的だろう。
俺はこの日三人に同行して、水着買いに出かけた。
俺の水着は小学生の頃に身に着けていたものはあったが、さすがに小さかったので自分の物も買うこととなった。
その後、その日は共に町を出歩きまわった。途中、優希が疲れてバテていたが、希乃果姉さんだけは終始元気なままだった。
そして翌日。
嶋柳家の別荘には専用の車が用意され、送迎してくれるそうだ。
いつものように朝食を取った後、俺含め四人はそれぞれ出掛ける準備をする。と言っても日帰りだし、荷物の方は既にセットしてある。
俺の方は身だしなみを整えるだけだった。
家の外に出てみると、まだ三人の準備は終わっていないようで誰もいなかった。
嶋柳邸に入り、中の様子を窺った。
「あ、朝陽! ちょっと待っててね~。急遽大爺様が出迎えてくれるって連絡が来てね~」
バタバタと階段から降りてきた希乃果姉さんの格好はまさしく準備中ですと言わんばかりに髪もセットし終わっておらず、服も乱れていた。
そのまま奥の部屋へと入っていく。入れ違いになるように出てきた志希姉さんの格好は質素でありながら上品さを漂わせていた。化粧もいつもとは違う印象を受ける。
「……」
「なによ」
「いや……」
俺は自分の格好を思わず見てしまう。もう少しいい恰好をした方がよかっただろうか。
「あんたは別に着飾らなくていいのよ」
「……いいんですか?」
「あんたがうちに婿入りするって話なら別だけどね」
「……」
それはつまり嶋柳家の人間としてそれなりにいい恰好をせざるを得ないのだろうか。大爺様が出迎えると希乃果姉さんは言っていた。希乃果姉さんが慌てて用意しているのは厳しい人ということか。はたまた。
何度か様々な別荘にお邪魔したことはあったが、今まで大爺様と呼ばれる人に会ったことはなかった。こんなにめかし込んでいる志希姉さんや希乃果姉さんを見るのも初めてだ。
「あ~志希姉~、優希お願い~っ」
嘆く様に声を上げる希乃果姉さん。準備に手間取っている上に優希の世話なんてしてられないよな。だからと言って俺が出る幕はないのだが。
「……しょうがないわね。朝陽、すぐ終わらせるから待ってなさい」
「はい」
志希姉さんはスタスタと足早に奥に戻っていった。その後、なにやら声を上げているのが聞こえたがそれは優希がまともに準備できてなかったからだろう。
男の時でもぐだぐだと準備していたから容易に想像できる。
「おはようございます」
「えっ」
俺は玄関のドアが開いた音に気付かなかった。突然現れたその女性の身長は俺よりも高く、スラっと背筋を伸ばして立っている。
「今年もよろしくお願いします。朝陽君」
「あ、どうも」
顔だけこちらに向けて、キリッとした表情で告げられた。
この人は毎年別荘とこの家の送迎を担当しているミヤジマさんだ。黒いスーツに身を包み、その立ち姿だけでも普通ではないとさえ感じさせる。
「この様子だと、連絡はいっているようですね。」
「俺も今さっき初めて聞きました」
「……優希様のお姿を拝見したいのだと思います」
「そうなんですか?」
ちらりとミヤジマさんの顔色を窺うと、特に表情を変えることなく視線も真っすぐのままミヤジマさんは答えた。
「検査の手配などは会長自らが動き、病院にかけあっていましたから。それほどまでに心配しておられたのですよ」
「なるほど」
それから三人が戻るまでミヤジマさんと話をしながら待った。一番時間がかかったのは希乃果姉さんの方であった。
優希の姿を見て、最初に目についたのはスカートを履いているところであった。
「スカート履くんだな」
「女性のパンツはピッチリしてて嫌。消去法でこうなった」
「ああ、そう……」
こうして四人で車に乗り、出発することとなった。なんだか周りの格好を見ると俺だけ場違いのように感じる。
志希姉さんが良いとは言っていたが、気になるものは気になるのである。
別荘のある場所はうちの自宅から約一時間半から二時間程度のところにある。俺たちの住んでいる町から二つほど町を抜けて、その先にある。
その間、静かに走る車内では普段のように志希姉さんと希乃果姉さん、それにミヤジマさんが加わって世間話をしている。俺にわかる話の時もあればわからない話の時もある。
俺は聞き専に徹することにした。
ふと、俺の横に座る優希に目をやった。優希は外をただひたすらに眺めていた。
「出かけるのが嫌か?」
「……え、ああ。そんなんじゃないよ。ただジジに会うのめんどいなって」
大爺様とやらに会うのが嫌らしい。俺の思考を読んだのか、優希の視線がこちらを向いて訂正した。
「……ジジ自体は嫌いじゃないよ。この姿でジジと会うのがめんどくさいなって」
「……イマイチわからない」
女性だと何か態度が変わるような人なのだろうか。
「朝陽、そんな深く考えなくてもいいわよ。大爺様は少しせっかちな方なのよ」
「……というと?」
「確実に答えを求められるよね~」
前の席に座る志希姉さんと希乃果姉さんがこちらに振り向いてそう言った。答えっていうのは――。
「男に戻りたいか女のまま生きていくか。絶対聞かれる」
「……ああ、なるほど。それは嫌だな」
嫌いではないけど、将来について早急に決断させられるから、面倒くさい。そういうことか。
それは優希もそんな表情をするわけだ。
「今のところどっちに傾いてるんだ?」
「しらん」
「だよな」
きっぱりと優希は答えた。
その後も車は走り続け、別荘に辿り着く。
辿り着いた別荘は家の塀だけでも遠くまで続いている。その長さはこの別荘が非常に広いことを示していた。高さも見え上げるほどに高く、内側は覗けない。
大きな門を抜けて中に入ると、敷地内がひとつの町のようにいくつかの建物が並んでいた。その道を真っすぐ抜けると、奥には並んでいた建物よりひとまわり大きな家が建っている。
その脇にはプールがあるのが見える。
本邸の前にはひと際大きなお爺さんを中心に大人たちが数人並んでいた。
到着し、車から降りると嶋柳姉妹の空気がピリッと緊張し始めているのが伝わるってきた。
「本日はお招きいただきありがとうございます。大爺様」
「うむ、ご苦労。よく来たなお前たち。そんなに固くならんでよい」
大爺様は豪快に笑った。気のいいじいさんであるのは間違いないようだ。
「朝陽と言ったかな、初めまして。話は聞いとるよ」
「あ、こちらこそ初めまして……お世話になります」
一礼すると、かわいらしいほどに満面の笑顔でこちらを見ていた。
大爺様はこちらの様子を確認した後、向けた視線は優希だった。
「……」
「……」
にらみ合うように視線を交差させる二人。まさしく大爺様の体格がクマのように大きいがあまり、巨人と小人のようだ。志希姉さんも希乃果姉さんもこの場にいる者たちが皆ただ見守ることしかしない。
沈黙は数秒続いた。
「お久しぶり、ジジ」
「うむ。元気そうじゃな優希」
「まあね」
会話の内容から感じられない謎の緊張感。大爺様の視線が一瞬だけこちらに向いた気がする。
「進展があれば連絡しろ」
「……」
優希は無言でうなずいた。二人の間で何やらやりとりがあったのだろうか。志希姉さんや希乃果姉さんも今の会話の意味を理解していないようだった。
するとその後、大爺様の後ろにいた女性が何か伝えた。
「……すまんな四人とも。ちょっと入用でな。すぐ出ないといかん。ゆっくりして行ってくれ」
そして、大爺様の視線はこちらに向いた。
「優希のこと、いや……皆のことこれからも仲良くしてやってくれ。朝陽」
「……はいっ」
「うむ」
俺の返事ににっこりと笑うと、お供を二、三人引き連れて去っていった。歩きながら
「まだこりんのかあのジジイ」だの何やらこれから相手に対して悪態をついているのが聞こえた。
去った後、優希は俺の服の裾を引っ張った。
「なんだ?」
「いや、ごめん」
「何がだよ」
「……」
優希は言いづらそうにしている。志希姉さんたちを見るが、二人も発言の意図がわからないと身振りで表現していた。
「ジジにお見合いの話持ってこられたから朝陽の名前出した」
「……なるほど」
「ごめん」
それ以上の返す言葉が見当たらなかった。志希姉さんがため息をつき、希乃果姉さんは苦笑いをしていた。
「もう婿入りするしかないんじゃない? 朝陽」
「逃げ道は?」
その後、残った俺たち四人とお世話係のような立場だろうか、使用人たちが着いて建物の中へと足を踏み入れた。
玄関だけでもとても広く、奥に続く通路が俺の家のリビングぐらいあった。
プールに入るため、それぞれ用意された個室へと案内される。
広さや豪華さよりも掃除や手入れが大変そうだな、なんて考えが先に来た。
この建物にはシャワー室やお風呂も完備しており、普段はレンタルしているらしい。それも庶民が見たら卒倒するほどの額だとか。
俺と嶋柳姉妹とで部屋は分けられ、俺は一人で着替えることとなった。
当然と言えば当然だが、彼女らよりも準備は早く終わり、俺だけ先に外に出て待つこととなった。
敷地内の庭にあるプールの広さは、大勢で使用することを想定されているのか十数人入ったとしてもまだ余裕がありそうなぐらいだった。
親戚一同読んでパーティでも開くことがあるのだろうか。
そんなことを考えながら俺はプールサイトにあるパラソルテーブルのベンチに腰掛けた。
少しすると、姉妹揃って三人やってきた。
ひときわ目立つのが志希姉さんの水着であった。普段は身に着けている自作の漫画のキャラに生えている角型のカチューシャをしているのだが、今日は大爺様に会うためかしていなかった。ところが水着の時にはまた違うものを頭に装着していた。
「志希姉さんそれは」
「これ? ああ、今度グッズとして出すカチューシャよ」
「はあ」
「私としてはもう少し素材にこだわってほしかったのだけど、コスト的に無理だったわ」
志希姉さんが漫画で描いているキャラの中で水をスイスイ泳ぐ種族がいて、そのモチーフのグッズが今度出るらしい。そのサンプルとしてもらったものだという。
希乃果姉さんはビキニの上から薄手の生地の服を着ている。生地が薄いため、中のビキニが透けて見える。
そのビキニは少しきわどくはないだろうか。
「あ、じろじろ見てーっ。朝陽のえっちっ!」
からかうように希乃果姉さんは言った。
「ごめんなさい」
「いいよ。この水着かなり際どいもんねえ……」
希乃果姉さんは上に来ていた服を脱ぎ去り、ビキニが露になる。ビキニの上はともかく、下はとてもでないが視線は向けられないほど、ギリギリのラインだった。
「いやさ、こういう気の許した相手とのプライベートじゃないとこういうのって着られないじゃない?」
「……まあ、そうですね」
俺も男だから気を使ってほしい、ということを思ったが飲み込んだ。
希乃果姉さんにとっては男というより弟なのかもしれない。
そして最後に、優希。
彼の水着は……ラッシュガードを着ておりわからなかった。しかし、ラッシュガードの下から見える素肌は白く、輝いて見えた。
「……」
「水着を着てないわけではないんだよな?」
「まあ……うん」
答えづらそうにしている優希の横から希乃果姉さんが割って入った。
「優希は恥ずかしがりすぎなんだよ。別に変じゃないからさ」
「いや! 男が女の水着きるの自体恥ずかしい」
俺もそう思う。身体が女性になったからと言って女性ものの服すら着たことなかったのに水着なんてもっと違和感の塊だろう。
「希乃果。強制するものじゃないわ」
「……はい」
ビシッと指摘した志希姉さんに希乃果姉さんはしょんぼりとして返事をした。
「それじゃあ、遊びましょうか!」
そう言って希乃果姉さんは来た時から手に持っていたビーチボールを掲げる。
「お前はどうするんだ?」
「ここで座ってる。朝陽は楽しんできなよ」
「お前がいいならいいけど」
「朝陽」
「なんだ?」
優希を置いてプールに向かおうとしたところすぐに呼び止められた。
「俺の水着姿見たい?」
「……どちらかといえば見たい」
「そう」
優希の水着が楽しみかそうでないかと言えば楽しみにしていたと言える。それは優希だけに限った話ではなく、志希姉さんたちの水着も楽しみでもあった。
といっても水着自体を期待していたわけではなく、プールで遊ぶというイベントの一環としてそういう楽しみもあったというだけの話。
本人が水着姿を見せたくないのならば見なくてもいい。そういうものだ。
優希は俺の返答を聞いた後、視線を外した。
俺もそれで会話が終わったのだと理解し、プールに入った。
希乃果姉さんと俺はビーチボールで球をトスしあって遊ぶ。志希姉さんはそこに混ざらず、ひたすら泳いでいた。
「ほれっ」
「とぅ」
「やぁっ!」
流し気味の俺とは対照的に本気で動き回って楽しそうな希乃果姉さん。バッシャバッシャと水しぶきを上げながらボールを高く上げる。
たまにボールを上げた後に俺に水をぶっかけられることもあった。
「それにしても……」
希乃果姉さんはボールをキャッチして、俺の身体に視線を向けた。
「朝陽、良い身体してんねえ……」
「希乃果姉さん?」
「いつ鍛えたんだい? フフフ」
なんて笑いながら俺の胴体を触り始めた。希乃果姉さんの柔らかい手が俺の身体を伝っていく。
「中学時代はまあ色々やってましたから」
「昔はもっとぷにぷにだったのになぁ」
「いつの話ですか」
「……小学生の時?」
希乃果姉さんは触る手の動きを止めた。
「あれから変わったものだね。朝陽も優希も」
「俺はともかくとして……優希はああなりましたしね」
「そうだね、ああなっちゃったもんね」
優希の方を見ると優希は使用人さんに出されたジュースを口にしていた。視線はこちらに向いている。
「水着見られたくないんですかね」
「それもあるとは思うけど……」
「けど?」
希乃果姉さんは言葉を濁した。
「まあいいや! どうにか誘ってきたまえ朝陽君!」
「俺っすか……?」
言われるがままに俺はプールを上がり、優希のもとへと歩いた。
「……どうだ? 気持ちは変わらないか?」
俺はパラソルテーブルを挟んで向かい側に座る。優希はかがむような姿勢でストローを咥えてチューチューと吸っていた。
「変わらん」
「そうか。じゃあ俺も休憩するかな」
そう言って俺は使用人さんにジュースを依頼した。サーバーを近くに完備しているようでものの数分で届いた。
「本当は嫌だったんだ水着買うの」
「だろうな」
「姉さんたちにあれよあれよという間に色々着せられて。いつの間にか買ってた」
優希が後悔しているかのような落ち込んだ声を出していた。嫌という割には今日持ってきているし、それどころか着ることまでしている。
「本当の本当は着てみたかったんじゃないのか?」
「……興味があったことは否定できない」
「実際着ると恥ずかしさが勝った」
頷いた。
「……本当に俺が見たいって言ったらどうする?」
「キモい」
バッサリと切られた。まあ、男友達にビキニ着た姿見せろなんて言われたらキモイが過ぎる。当たり前の話。
すると、優希は立ち上がり、おもむろにラッシュガードを脱ぎ始めた。
「どうした? 無理するな」
「……いや、脱ぐ」
恥ずかしそうに脱ぐ優希の姿を見ると逆にこっちも意識してしまう。もっと男らしく豪快に脱いでもらった方が助かる。
ラッシュガードの下から姿を現したのはクロスホルタービキニであった。優希の持つ豊満な胸はぎゅっと包まれている。
「似合ってんじゃん」
「……!」
俺の言葉に驚いて手を止めて、またラッシュガードを着ようとしてしていたがすぐそれも止めた。覚悟を決めたのだろうか。
「よし、行くぞ朝陽」
「おう」
俺は優希と共にプールへと入った。
その後は水に入ってゆっくり過ごしたり、志希姉さんたちを誘いまたビーチボールで遊んだり。時間はあっという間に過ぎ去っていった。
日も暮れてくるとプールから出て、夕食を取ることにした。別荘で出された料理はどれも高そうだったし美味しかった。嶋柳家と関わらなかったらこんな食事は味わえなかったであろう。感謝の言葉しか見つからない。
夕食後は少し休んで別荘を発った。その時にはもう日は沈んで空は暗くなっていた。それから車に乗り、送ってもらう。
同じ道を通っていたはずなのだが、いつの間にか寝落ちしていた。
希乃果姉さんから聞いた話だと、その道中優希と仲良く眠っていたらしい。
なんにせよ、今日は楽しませてもらった。
もうすぐ夏休みも終わる。
夏休みの間に大きく変わったことはひとつ。優希が女の子になってしまったということ。ただそれだけなのにすごく色んな事が起こったかのように感じられる。
優希が女子になったことはきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
俺は優希との関係に向き合っていくことになっていく。
第1章はここまで。
第2章は9月更新予定です。
ブクマ評価・感想などあればモチベあがります。よろしくお願いします。




