第01話【なんてことない日】
一学期が終わりを迎え、今日から夏休みが始まる。
俺こと鹿戸朝陽の家では特別な事情がいくつか存在する。
まず一つに父子家庭であること。俺がまだ小学生にもなっていないような昔の話、俺の母は夜逃げした。
俺はもう覚えちゃいないが父の話によれば、姉と妹がいたらしい。
もう一つ、隣の家庭と密接な関係にあること。隣に住んでいる嶋柳家はうちとは逆に母子家庭で、そのお母さんはいわばキャリアウーマンってやつで、バリバリに働くお母さん。これは互いの親同士の助け合いの結果であり、鹿戸家と嶋柳家はともに食卓を囲むのが日常となっている。
とは言っても母親がいる間は元の家で暮らしているし、密接と言っても再婚を考えているわけでもない……らしい。
それは一般的な話で込み合った事情があるというだけで俺たちにとってはこれがなんてことはない日常の風景なのである。
そして最後に、うちの父は母に逃げられたあと俺を育てるためにその時の仕事を辞め、カフェを立ち上げた先輩に誘われて時間に融通を利かせられる形で働いていた。そして、今年俺が高校生に上がったことで店を引き継いだ。その先輩は働くのをやめたわけではなく、裏方で父を支えてくれているという話だ。
そんなこんなで今年に入ってからは父と共に朝食をとるためだけに俺は早起きをしている。
店の準備をするために父は早く出発する。それに合わせて俺も起きて父と共に朝食の支度をする。
ゆっくり過ごしているようで、時間はすぐ過ぎ去る。父は食器洗いを俺に任せて出発する。俺の仕事はここからが本番。
家のチャイムが鳴る。
朝、やってくるのは嶋柳姉弟。姉二人の弟一人。弟は次女によって押されるようにして入ってきた。
「おはよ」「おはよ~」「……」
一人目は長女の嶋柳志希。大学生とは思えないほどの身長の低さで、小学生と間違われることも多い。その性格はクールビューティでいつも落ち着き払っている。そして彼女は大学生でありながら漫画家も兼業している。彼女の漫画は中高生に人気があり、俺も読んだことがある。
二人目は次女の嶋柳希乃果。高校三年生で身長高め160cmを超えているとか。行動派で社交的で外で見かける時はいつも誰かと一緒にいる。学校で困ったことがあれば希乃果姉さんがそれに詳しい人を連れてくるなんてことはよく見た光景だ。
そして、三人目長男で末っ子の問題児。嶋柳優希。さすがに志希姉さんよりも身長は高いものの男子高校生としては前から数えた方が早いほど。髪は整える気がないのがわかるほど、寝癖がそのままに立ち上がっている。十中八九、昨日もゲームしていて寝るのが遅かったのだろう。
希乃果姉さんは、背中を押しながら運んできた優希を俺に押し付ける。
「優希今日もお願いね、朝陽」
優希を受け取るも優希自身は自分で立つ気がないらしく、俺に体重を乗せてくる。ここで俺が手を離せばその場に倒れこむだろう。
「ほら、起きろ」
「ん~……」
俺が押して食卓まで運ぼうとすると、引きずられることはなく優希は歩きだす。あくまで自分の意思で動く気はないらしい。
優希を食卓まで運び、椅子に座らせた後全員で食卓を囲んだ。ここでようやく俺も食事をとる。
「おい、零れてるぞ優希」
「んあ」
優希はまだ完全目が覚めてないようでボヤっとしながら食べている。
「大爺様からあんたらの夏休みにめがけて、別荘の誘いが来たけどいつ行く?」
切り出したのは志希姉さん。嶋柳の大爺さんは嶋柳グループの会長で超が付くほどの凄い人物である。今食卓を囲んでいる彼らとは父方の家系となっている。
当の父親は事故で無くなっているわけだが、こうやって気にかけて声をかけているようだ。毎年――いや、春休み夏休み冬休みと長い休みが入る度に連絡をよこしてきている。
部外者である俺は基本的に関わることはないのだが、嶋柳家だけで誘われているケースは別で着いていくこともある。
ひと家庭に別荘ひとつ貸し出すほど別荘を持っていると聞いた。なんだか怖くなる話だ。
「私は皆に合わせるよ~」
「俺はいつでもいいよ、いつも家にいるし……」
希乃果姉さんと優希がそれぞれ答えた。その後視線はこちらに向く。
「俺も行っていいの?」
「行くのはうちだけだし、問題ないわよ。おじさんにも昨日のうちに話しておいたから」
志希姉さんからすでに父に根回ししていたようだ。
「……だったら別に予定はないんで、いつでもいいですよ」
「そう、ならお母さんのスケジュール次第ってわけね」
「……おじさんの方はどうだったの? お姉ちゃん」
希乃果姉さんが志希姉さんに向けて聞いた。
「経営の方任されるようになったから今は厳しいって」
「そうだよね~」
「最悪、私達だけで行くことになりそうね」
志希姉さんはため息をついた。
「志希姉の方は連載大丈夫なの」
「一日ぐらい大丈夫よ。それに合わせて原稿もするから」
さすが志希姉さんと言ったところか。まさしく仕事のできる女。その自信持ってそう言えるところは母譲りだろう。
その後もたわいのない会話をしつつ、朝食を取った。そして、食べ終われば食器洗いを全員で手分けして行う。これがうちのルーティンだ。
それが終わればそれぞれの生活が始まる。志希姉さんと希乃果姉さんは家に戻り、俺は家事をこなす。優希はなぜかそのまま残りだらける。
俺があちこち動いている間、やつだけはテレビの前でゴロゴロしたり、ゲームをしたり、移動する様子は一切ない。
一通り家事をこなした後で俺は自由な時間が取れる。
俺はゲームをしている優希の隣に座る。やっているゲームは人気の謎解きありアクションありのゲームの最新作。ただただ優希がプレイしているのを俺は眺める。
「なんだこれ、わからん」
カチャカチャと音を立てながら操作する優希。謎解きが上手くいかず、場所をあちらこちらと探索している。
「優希、あれ」
「どれ」
「それ」
と画面に指を差して俺は気づいたことを伝える。単純明快なほどにこういう時はただの見落としであることが多い。
「ああ、そうかー」
優希はようやく理解したようで、謎解きを再開する。
「ありがと朝陽」
「ん」
その後もそんなのんびりとした時間は続き、眺めるのに飽きた時にはスマホいじったり、やることやったりして過ごした。
日が落ちる頃になれば父も帰宅し、夕飯の準備に取り掛かる。それぐらいのじかんになると嶋柳姉たちもやってきてみんなでテレビ観たり夕飯の準備を手伝ったりする。
そんなこんなで一日が終わる。
おそらく夏休み中似たような日々がずっと続いていく。なんてことはない日常。時には優希を連れてどこかに出かけようか。
しかし、そんな日常は二日目にして崩れた。
次の日、朝やってくる姉弟には弟が欠けていた。事情を聞くも二人は答えにくそうにして、「確実なことがわかったら話す」と深刻そうに言った。
優希がいなくなったその日はぽっかりと穴が開いたように寂しさを感じた。家事を終えて暇になっても構う人物はそこにいない。
まさしく暇が暇に感じるほどに。
次の日も、また次の日もそれは一週間続いた。
一週間が過ぎたその日、家に訪れたのは嶋柳家の母、嶋柳咲穂。戸惑いを隠せないといったような表情をして玄関の前に立っていた。その後ろにいるのは姉二人。
そして、一人見覚えのない少女が隠れるようにして立っていた。いや、正確に言えば小さすぎて隠れて見えたのだ。
「朝陽君、おはよう」
「おはようございます」
「……んとね、朝陽君には理解できない話になると思うんだけど、中で少しいいかな」
「……? ええ、いいですよ」
そう答えて四人を家に上がってもらった。通り過ぎる時、見知らぬ少女にすごい見られているような気がした。目が合ったとたん思わず気まずくなり、逸らしたがどこか誰かの面影を感じる。
俺と向かい合わせになるように座った咲穂さんと少女から告げられたのは、とても信じられないような話であった。
「この子は、優希。優希が突然女の子になっちゃったのよ」
それを聞いた俺の表情は間抜けだっただろう。
咲穂さんからそんな漫画やアニメのような言葉を聞く日がくるなんて思いもしなかった。その言葉を理解することを拒むように、頭の中がこんがらがった。
「……それはえーと、そのドッキリとかではなく?」
咲穂さんは頷いた。これがドッキリなら今もどこかでカメラが仕掛けられて撮られていることだろう。そんなテレビ番組を観たことがある。信じるか信じないか、みたいな。
しかし、そんな咲穂さんが嘘をつくタイプには思えないし、第一、志希姉さんがそういうドッキリはつまらないとバッサリ切っていた。
俺は自然と咲穂さんの横に座る少女に目を向けた。
「そういうことだ。俺もよくわかってないよ。朝陽」
「……」
教えてもいない俺の名前を呼ぶ少女。そうだ、この顔はいつも嫌というほど見てきた優希の顔だ。気だるげでめんどくさそうで……。
この後、咲穂さんから事情を説明されたが何一つ頭に入ってこなかった。
俺は状況を飲み込むのに精いっぱいで、離れたところに座る志希姉さんがため息をつき、希乃果姉さんが苦笑いをしていたような気がした。
次回6/13更新予定です。