第11話【よあけのアルストロメリア】
それに気づいたのは次の日の朝。
全員が朝食をとるために俺の家に来る時間のこと。
いつも姉たちに連れてこられるはずの人物が来なかった。
志希姉も希乃果姉も困り果てた様子で俺に状況を説明した。
昨日家に逃げ去った後から部屋に閉じこもり、一向に出ることがなかったという。
優希自身も事情を話すことはなく、黙り込んでいるそうだ。
夜まで出てこないものだから部屋に入ってみると、部屋で泣いていたらしい。
原因と言われれば昨日やってきた陽葵さんたちだろう。
「……優希自身が何も話さない以上見守るしかないわよ」
「でも昨日から何も食べてないのはマズいんじゃないかな」
「……」
二人とも心配しているようだった。
確かに優希はゲームで徹夜して部屋から出てこないこともあるような人物ではある。それでもご飯の時には起きて家にやってきた。
泣いていたというのが気になる。
「朝陽あんたも一度うち来なさい。優希と話してみて」
「わかりました」
言われるまでもない。
俺がいない間に何かを言われたのか、それとも……。
いや、あのことであれば優希が気にする必要などない。そう伝えればいい。
朝食を取った後、志希姉たちは「片づけは自分たちでやるから任せて」と言った。言葉に甘えて俺は優希のもとへと向かうことにした。
家に入ると誰もいないかのごとく静かで盗みに入った泥棒の気分になる。
いやまったく泥棒じゃないんだけど。
階段を上がり、優へのいる部屋の前へと足を運ぶ。
妙な緊張感がある。
部屋の前に辿り着いた。
扉は当然閉じられているが、鍵が付いているわけではないから開けようと思えばいつだって開けられる。
「優希」
「……」
返事は返ってこない。
だけど、そこにいるのは感じる。物音がした。
「何かあったのか?」
ひとまず探りを入れる。
「……」
「中入っていいか?」
「……うん」
小さく声が聞こえた、気がする。
気のせいだったらごめん。
俺はドアノブへと手をかけて、ゆっくりと扉を開く。
部屋にいたのは毛布にくるまった優希だった。
部屋の中は暗くしていて背が向けられていた。
俺は扉の前に座った。
「……」
俺が黙っていると優希の方から話し始めた。
「俺は朝陽のことが好き」
「……」
俺はその言葉を聞いて驚きはしたが、何も答えなかった。
言葉の続きがあると思ったからだ。
「それは女になる前からだったと思う。ずっと前から。別に自分が女の子だとは思っていなかったけど、好きだと思った」
「けど、それはおかしいと言われると思って誰にも言えなかった」
「だから女の子になった時戸惑いの方が大きかったけど、少しうれしかったんだ」
すすり泣く声がする。
「でも自分を否定するようで苦しくて、女の子になったことを受け入れきれなかったんだ」
「最近は慣れてきていて自分が男だったころどうしていたかが忘れ始めていて」
「この前ね、朝陽と結婚する夢見たんだ」
その発言は自傷行為をするようで、自分を否定してほしいと言っているようで。
俺が言葉を選んでいる最中にも優希は続けている。
「今でも朝陽は好きだと思う。変わらない」
「でも昨日朝陽とあの人の会話きいたら思い出しちゃってさ」
やはりあの会話を聞いていたのか。
「キモいよね」
「……そんなことはない」
「嘘言わないでよ! そう思っているんでしょ!」
勢いよく振り向き、包まっていた毛布は剥がれ落ちた。
その顔は泣きはらして真っ赤になっていた。
「自分が嫌になる……俺といることで朝陽が変な目で見られるのがもっと嫌だ」
ここで否定をしたとしても今のままでは優希には響かないだろう。
何を伝えたらいいのか。
「お前の気持ちは全部とは言わないが、まあなんとなくわかった」
俺は一息ついてから続けた、
「前にも言ったよな。お前がどっちを選んでも一緒にいるって」
「それは……」
「あれには嘘はない」
「……」
優希は俯いた。
「お前がどう見られているかじゃなくて、お前はどうなりたいんだ?」
「……朝陽と一緒にいたい」
「女のままでいたいか? それとも男に戻りたい?」
「…………わからない」
悩むように黙り込んでから答えた。
「うん、もうそれでいいんじゃないか?」
「……なにそれ」
「お前がお前自身のことキモいと思っても、俺は思っていないってこと」
「……?」
考えながら言葉を繋げているせいで自分でも何を言っているのかわからなくなる。
真面目に何言っているんだこいつみたいな顔をするな恥ずかしくなる。
「じゃあ、俺からもいいか?」
優希は頷いた。
「俺はお前のこと好きだ」
ガタッと音がしそうなほどに飛び上がって後ろに下がっていった。
実際は布団の上だからボフッといったところか。
その顔はさらに赤みを増していた。
「お前のことを女と見ているからとかじゃない。お前だから好きなんだ。女として見始めているというのも否定できないが」
「女として」
「そうだ、お前の身体を意識している」
優希の視線が俺の股間あたりに向いた。
「待て、どこを見ている」
「興奮しているってことじゃないのか」
「今じゃない」
そのやり取りにようやく優希も笑みがこぼれていた。
わかりやすく笑っているわけじゃないが、さっきまでのこわばった表情が緩んでいる。
「そっか。朝陽は俺に女の子でいてほしいんだ」
「違うって」
優希はのっそのっそと這って俺の胸にもぐりこんできた。抱き着くというより胸の中に入り込むように身体を丸まらせている。
身体は震えている。
優希の手は下へと伸び
「おいこら」
「……触ったら大きくなったな」
「触るからだ」
珍しくえへへと笑う優希。
「じゃあ、したい?」
「姉さんたちにバレてもいいならな」
「俺はいいけど」
「俺は良くない」
そう言って俺は後ろを向けなかった。
そこには女性が二人立っていたからだ。
二人が怖くて俺は今振り向けない。
「ふーん、朝陽もすることしたいわけね」
「違いますっ!」
思わず振り向くとそこにいるのは志希姉と希乃果姉。
やれやれと俺を睨む志希姉と楽しそうに笑っている希乃果姉。
「するのはいいけど、責任はとるんだよ?」
「だから!」
ちょっと怒り気味に言うと「ごめんごめん」と希乃果姉は謝った。
「それで? 話は終わったの?」
俺は優希の方を見た。
俺の横で倒れるようにして寝ていた。
「まあ、ひと段落って感じですかね」
「そして恋の新章開幕ってわけね」
「志希姉までからかうんですか」
「漫画家たるもの妄想力では負けられないわよ」
キリッと決め顔でそう言った。
「あんたには言っておくけど、この子の気持ちは前から知ってたよ」
希乃果姉が優希を抱き上げて布団に寝かせた。
「前から。でも相談とかはしてないんですよね」
「そうね。もしかしたらぐらいの認識だったけど」
「小さいときは小さいからどういう感情なのか本人もわかっていなかったみたいだしね~」
二人は優希の傍に座り、語りだす。
「前、うちのお母さんとおじさんとの結婚しないのかって話があったでしょ」
「ああ、そういえばそうですね。結局二人とも忙しいからでなあなあにされましたけど」
「あれね、本当のところこの子のためだったりして」
「え?」
驚きを隠せなかったのは言うまでもない。
前と言うほど前の話ではないが、結構前の話。
ずっと一緒に共同で暮らし続けているうちの家と嶋柳家。もう結婚してしまえばいいんじゃないかと誰かが言ったことがあった。
父は嶋柳家の母、咲穂さんの気持ちを考えてしないような答え方をしていた。
夫を亡くして数年経つにせよ、その人の思う気持ちはないがしろにするべきではないと。
「あの後、私達もね。お母さんに聞いたのよ。どうなの?って」
「そしたらね。ふふ、もしかしたら朝陽と私らの誰かが恋仲になるかもしれないでしょ? だって」
笑って話す希乃果姉。
その様子は、自分たちは俺と恋に落ちないと思っているような様子だ。
実際そうなのだろうけど。
「でも、あの時は優希も男でしたよね」
「そうね。でも関係なかったのかもね」
「……そうですか」
それから俺の知らない優希と嶋柳家の話を聞いた。
気づいていなかったのは俺だけだったのかもしれない。
父はああ見えて察しが良い。結婚に対する話もわかっていてそういう答え方をしたのかもしれない。
一通り話すと志希姉は仕事に、希乃果姉は用事があるからと部屋を出ていった。
取り残された俺は優希の寝顔を覗いてから退出しようとした。
その瞬間に目が開き、視線が交差した。
「起きてたのか」
「……恥ずかしかったんだが」
「それは自分の姉に文句言いなさい」
「……むぅ」
「それはそうと、腹減っただろ。飯用意してくる」
優希は寝たままでこちらを見つめていた。
「姫は目覚めのキスにより起きます」
仰向けになって機械音声のように棒読みで言葉を放った。
「何が始まったんだ」
「目覚めの口づけを」
「……」
「一生起きないぞ」
ため息が零れた。
「初回サービスだ」
俺は優希に顔を近づけて、接吻した。
どこに?
もちろんおでこ。
キスをする場所によって意味が異なるらしい。
もっとも俺もその意味は憶えていない。
こういうのはノリだ。
俺は逃げ去るようにその場を後にした。
だからその時優希はどんな反応をしていたかはわからない。
だけど、嶋柳家の玄関を後にするとき普段きかないような大声が聞こえてきた。
振り向くとものすごい勢いで階段を下りてきて、俺の目前に突っ込んできた。
その勢いを殺すように俺の服を引っ張った。
俺は引っ張られて体勢を崩して、
「……っ!」
唇を奪われた。
「逃げはなしだ」
顔を赤くして優希はそう言った。
逃がしてはくれないらしい。
最終回です。
来週も更新するでしたが、ちょっと未定なのでこれで完結です。
今年1年読んでいただきありがとうございました!