表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

―九年後―


《恋人》

 盆、という言葉に託けて仕事を休んでやった。どうせ、休まずとも休んでいるようなものだから、誰も気にしないし、自分も気にしない。もし、抗議をする奴がいたとしたら、自分の心の端のほうにいる、砂の粒ほどに小さく乾いてしまった少年時代の自分自身くらいだ。それも、どうやら声が枯れてきているらしい。

 田舎に帰ってきていた。休むと言っておきながら、忙しい都会の毒気の中にいるのは、なにかしら矛盾のような感じを抱いたからだ。盆、という言葉に託けたのだから、先祖の墓参りには行った。珍しいことに、先祖、という括りの中に、自分の親も入っている。たしか、親の訃報を聞いたのは自分が二十四のときだったはずだ。何か病に冒されたというのではなく、元気なままで、車にはねられてしまったそうだ。こういうと何だか他人事のようで、そうして、友人にも自分の親のことを他人事のように言うなとしかめ面を向けられるのだが、別に自分は、他人事とは思っていない。訃報を聞いた、あの日は、確か泣いたような気がする。ただ、それ以上に、何も考えられなくて、それで、いくらか時を経るまでぼうっとしていたような気がする。だからほとんど何も覚えてないといってもいい。それから、他人事のような言い草になるのは、自分の話し方が原因だろう。三年ほどたった今、すっかり自分が立ち直っているというのもある。引きずっているものといえば、親孝行してやれなかったことと、孫の顔をみせてやれなかったことだ。前者は本当に後悔しているが、後者は既に諦めている。

 田舎に帰ってきたが、親もいなければ、親がいた家も無い。今は、友人の家に宿泊させてもらっている。今、自分が、都会で光の当たらないところで廃れて、ぐだぐだと今の職をやっているのは、責任転嫁も甚だしいとは思うが、おそらく、この友人にも原因の一端がある。

 夏の縁側で、子供、あるいは、爺のように胡坐をかいていた。窓など無い、開け放たれた面から好きなように走り回る風らが心地よい。ここは日の光が結構あたるから、奥に逃げていたほうが涼しいのだが、縁でいるほうがもっと気持ちいいような気がして、暑い日を浴びていた。風が指で鈴をつついて、それが一度行われるたび、周りの温度が一度涼しくなった気がした。人一人分くらいの横幅を広げて、隣で横になっている友人も、やはり同じように涼しそうだった。こいつのせいで、今の自分の人生は狂ってしまったのだ。自分の中で、そういう風にすり替えして、睨みつけると、視線に気づいて眉根を寄せた。

「何だ」ドスを聞かせようと奮闘した声が聞こえる。元の声が高いからか、似合わなくて鼻でふんと笑ってやる。こいつは、高校で一緒だった、二つ下の後輩だ。後輩なのに、一度も敬語を使われた記憶が無い。他の奴にはずっと敬語だったのは覚えているのだが。

 くしゃくしゃになった髪を撫で付けながら、友は上体を起こした。横から見ると、その高い鼻がよりくっきりと目立つ。猫背である自分とは違って、しっかりと伸びた背筋が、うらやましい。ただ、真面目さは感じられない。それは、二十五という若さ相応に、好き勝手やっているこいつの素性を自分が知っているせいだろう。利発そうに見える面の、すぐ内側は、ただの遊び人だ。この間も彼女に振られたとか言っていた。長い付き合いだったような覚えがあって、例えばもし結婚していたら、慰謝料とか大変そうだなと、他人らしい言葉をかけると、もとより結婚する気は無いと返された。そもそも振られた原因も、こいつの浮気が元だそうだから、言うまでも無いことだった。そしておそらく、結婚する気どころか、親がいるうちに、孫の顔を見せる、という気もまた無いに違いない。

「ところで、助、教授さまよ」助、教授とは自分のことだ。どうでもいい大学の、物理学科で助教授をやっている。自由な時間が割とあって、それを研究にあてるのが普通だが、どうでもいい大学なので、実はだらだらしている。友人は、助を強調して、嫌味のつもりらしいが、自分が教授になるつもりなどさらさらないのは周知の事実で、さらには、助教授の時点で結構安定したくらしができるのだ。嫌味になるはずもない。

「何だ」ふんと笑われるような気がするが、聞いてやった。

「何でお前、俺の家にいるんだよ」

「そこに家があったから」お前くらいしか頼れる相手がいなかったから。

「家っていうんなら、千鶴ちゃんとこがあるだろ」

「千鶴。誰だっけ」

 嘘を吐いた。その名前を聞いたとき、寂しさに襲われて胸が痛くなった。忘れたいと思っている名前だ。だから、ほとんど条件反射のように忘れた振りをしていた。だが、きっと、どんなに上手く嘘を演じても、通じないだろう。記憶を失いでもしないかぎり自分はその人を忘れることは無いからだ。そうして、そのとおりになった。

「嘘吐け」苦笑いしながら、こめかみを小突かれた。痛い。確かに、千鶴のことは覚えているが、家は忘れた。

「嘘吐け」苛立ちまじりの苦笑と、左拳が飛んでくるので、それをつかんで「嘘じゃない」と、小突きかえしてやった。こめかみを、思いっきり。痛そうに呻くと、しばらくこっちをじっと睨むように観察した。

「嘘だろ」「嘘じゃない」「え?連絡くらいは取り合ってるんだろ。昔の恋人の親と」友人の言葉には、途中から笑いが混じっていて、腹が立ってきた。茶化すべきでないこともあるだろうに。

「そもそも連絡すらしてない」

「そうか。それが当たり前だな」

 急に笑いをやめてため息をついた。その意味深な動作の意味は知っているが、こいつがやるとからかっているようにしか見えない。

「お前の最初で最後の恋人だったのにな」そう、こいつの言うとおり、千鶴は最初で最後の恋人だった。まだ二十代後半で、最後とかいうのは仰々しい。しかし、そのとき以来、恋愛沙汰には無縁だ。この年で、まだ経験が一瞬しかないというのは、恥らうべきなのだろうが、いかんせん、恋愛とかいう感情には乏しくなってしまった。 

 千鶴とは、高校三年の終わりごろに付き合っていた。ほんの一瞬だけだ。もう九年前のことになるのだが、九年前の記憶としては、きれいに覚えている。その人は、銀縁の眼鏡をかけていて、そして、元より切れ長の細い目をしていたせいもあって、眼鏡をとると、特に目付きが悪くなった。ただ、普通にしていると可愛いし、美人だ。目付きが悪くなるのは、目を凝らす故であるし。それに、性悪ということはなく、誰からも好かれていたような覚えはある。マイペースに振る舞っていたから、時として、無遠慮な言葉が出てくることもあったが、それでも誰かに嫌われるようなことは無かった。自分がその人と出会ったのは、いや、明確な出会いは無かったような気がする。

「あれは、俺が紹介してやったんだ」

「俺は紹介された覚えなんてないぞ」

「千鶴ちゃんに、お前を紹介してやったんだよ」

 そんなことがあったのか。しかし、確かにそうらしい。こいつの手引きがあったというのなら納得がいく。馴れ初め、とでもいうべきものは、千鶴が勉強を教えてくれと頼み込んできたことだった。当時の自分は、「天才」であった。自分で言うのは気が引けるが、そういうレッテルのようなものを貼られていた。勉強してるようには見えず、孤高で成績がいい奴。というものだ。しかし、孤高というわけではなく、たまたまそのクラスに連れが居らず、成績も、周りと比べれば自分より上がいるのは確かだった。ただ、確かに、自分から勉強というものを、したことは無かった。今のこの無気力は、学生時代からのものだったというわけだ。それはともかく、そんな、あまり関わるべきに思われない自分は、運命の人に出会ってしまったのである。

「残念だけど、スペルが違う」

 千鶴のことを少しでも知ろうと思ったのは、教える相手のことくらい、という単純なものだった。それ以外、何も無い。千鶴は可愛らしかった。ポニーテールにまとめた髪が、肩より少し下の位置まで、ゆらゆら揺れる。だが、一目惚れという概念は、今も昔も、理解しがたくて、そういうことで好きになることはなかった。

「えー」拗ねたような声をだす千鶴。もちろん、拗ねてるわけじゃない、と思う。

 少年時代の自分は、単語帳を捲って、目的の単語を人差し指でつつく。ほら、と見せると、仕方ないというようにため息をついて単語を直していた。

 放課後の教室は、こんな風に、いつも、千鶴と自分と、あと、数人いたりいなかったり、千鶴は他のクラスなのだが、わざわざ来ていた。千鶴のクラスに、頭がいい奴がいないというわけではなかった。わざわざ来てくれていたのは、今さっき聞いたとおり、友人のはからいのおかげか。

 気がつくと、風が止んでいた。つまり、不快な暑さに対抗する方法が無くなったということだ。クーラーも扇風機も、一応あるが、ここにいるのは、面倒くさがりの駄目な男が二人である。

「例えば、過去に戻ることができればどうしたい」真面目な振りをして友がつぶやいた。

「またSFか」

 面倒くさがり共は、暑い日の光から這うようにして逃げていた。

「またとは何だよ。それに、今のはSFなんて関係ないぜ」関係ない、らしい。高校時代、こいつとはよくSFの何がしを話していた。時間を移動するとしたら、未来はこういう文明が興っているのかも、あるいは、あのSF小説は面白かった、つまらなかった、だとかなんとか。こいつ以外にはそういうものに興味がある奴がいなかったから、というのが理由だ。そうして、そんな奴から、過去がどうたらこうたらと来ると、またか、と思ってしまうものだ。

「過去に戻れたら、か、お前はどうするんだ」

「戻んない」あっけらかんと。

「お前の話だろう」

「俺は今に十二分に満足しているから。お前は、よくよく考えてみたら、いろいろ未練がありそうだし」我が友は大真面目な顔をしていた。本当に大真面目なのか、どうも怪しいが。

 過去に戻れたら。考えをめぐらせようとしたのだが、そうはいかなかった。まず、過去に戻るの意味を考えてしまう。タイムスリップして、昔の自分たちにちょっかいでも出すのか、それとも世界がそのままやり直されるのか。前者は意味が無い。後者なら、ふむ、何がある。

「まず、第一に、過去に戻れないだろ」

「それは、助教授様が、研究でもして、タイムマシンでもつくればいいだろ」横っ面を殴ってやった。なめているのか、お前は。科学を。

 しかし、この時、一瞬だけ、ほんの一瞬だけだが、例えばこいつが懐からタイムマシンのようなものを取り出したら、などと考えてしまった。過去に戻れたらなんて話を急に持ってくるくらいだから、まったくばかばかしい。そういえば、高校時代、こいつが言ったことを思い出した。名案を思いついたというものだから、何も期待しなかった覚えがある。

「何だよ」

「時間移動のパラドクスを無くす方法だよ。つまり、未来を無くせばいいんじゃね」

「はぁ」その方法を聞いて、確かに画期的だなと思った。SFを書くシナリオライターの側からすれば、の話であるが。

 もし、過去に戻れたら、というより、時間を巻き戻せたら。もう一度やり直すことができたら。何もしない。心の中でそう答えた。


―九年前―

 

《恋人》

 今日も千鶴は来るだろう。いや、今日こそ千鶴は来ないかもしれない。昨日、一昨日と、そしてその前の日も、朝から千鶴は家に来ていた。うっすらとだが、雪が積もるようなこんな寒い中、何をしに来ていたのかというと、勉強だ。高校三年生の冬というのは、まさに受験の目と鼻の先、そんな時期だ。さて、その受験のための勉強を、自分ひとりでやらないとなると、塾や学校の補習、家庭教師を呼ぶ、と基本的にはそういった選択肢になるはずだ。だが、千鶴は少し違った。確かに塾にはいっているが、あれは限られた数時間のみ授業を受けるものである。学校の補習、というのは、どうにも教員たちが時代に逆らうのが好きらしく、無かった。家庭教師は、塾と一緒にやると金がかかって仕方が無い、ということらしい。そういう理由で、千鶴は、塾に行く以外は家で必死に勉強ということになるはずだが、しかし、いい教師を見つけてしまったのである。

 いわずもがな、俺である。そして、俺は今、起床したばかりだ。布団を蹴るようにして這い出て、まず、枕もとの時計に目をやって、また今日も早起きだなと心無くつぶやいた。つぶやいて、ベットから降りると、次に、ぐっと伸びをした。

 千鶴はいつも早い時間に来る。休みであれば、昼頃まで布団から出て来れない俺にとっては、ある意味拷問だが、それでも、千鶴が来る頃にはちゃんと起きだせるようになっていた。なっていた、というよりは、最初からそうだった。同い年の異性の前で、寝癖でくしゃくしゃの髪と、よれたジャージ姿を見せたくないと思う心が俺にもあったとは、少し驚きだ。来るかどうか分からない、日にも起きられるようになっていて、健康的な生活になってきていることにも、やはり驚きだ。

 朝食として、食パンを一枚、トースターに放り込んだ。こんがり焼けた姿で出てくるまでの五分間、頭の上の、台風一過のような惨状をどうにかすべく洗面台で格闘する。手で撫で付けるのも、櫛で梳かすのも、石を撫でるのと変わらない。洗面器にためた湯で髪を洗うようにして、そうすると、頑固な惨状はおとなしくなった。ドライヤーで乾かせば、もう寝癖の後は無い。ちょうどいいタイミングで、トースターから顔を出したパンに、マーガリンを塗って食べる。バターなんて割高な物は家にはない。食べながら、思いついて、コーヒーも入れることにした。たぶん、今日も千鶴は来るだろうから、そのためにも、入れておこう。

 ふと視界に入った窓の外で、雪が降っているのが見えて、綺麗だと思ったが、すぐさま、千鶴は寒そうだなと考えを切り替えた。まだかな、と、ワクワクしている自分がいて、子供みたいだなとおかしくなった。結局、その日、千鶴は来なかったのだが。

 

《友人》

「連絡がつかないって、どういうことだよ」

 右手の携帯の向こう側に居る奴は、頼りなく困り果てたように言葉をつなぐ。それが、いつものそいつからは思えない態度で、呆れに似た気持ちになる。

「言葉の通りだ。メールは返事が無いし、おかけになった電話は以下略だ」「電源切ってるだけじゃねえのか」まともに相手をする気は、今の俺には無いらしい。

「朝からずっとだぞ」そいつは語気を強めた。

「それはつまり、嫌われちまったんじゃあねえのか。元々、友達の少ないお前だ。人付き合いは得意じゃなかったろ」

 ポケットに突っ込んだ手は悴んでいた。それほどに外は寒く、それでも中でだらだらしている気にはなれなかった。しかし、いざ外に出てみても、結局することは無く。思いつくままに、近くの本屋で立ち読みでもしていようかと歩みを進めたのだが、その本屋にあと少しのところで、邪魔が入った。本屋の中で電話というものは、マナー違反だろうと思うので、外でしかたなく、またふらふらする羽目になった。車だとか店だとかの中、つまり暖かい密室、その外には誰もいない。それが、何というか寂しい風景を生み出していた。誰もいない、というわけではないのに、不思議なものだ。

「そういうことじゃない、はず」俺にまくし立てられて、少し弱腰になっていた。情けないやつだ。

「じゃあ何か。妙な事件でも起こったってか」

「そういうことに、」「ならねえ。事件てのは一般ピーポーには割りと無縁なものなんだ」 じゃ、切るぞ。切るな、待て。慌てる声を耳から遠ざけて、会話を途切ってやった。これで本屋にいける。しかし、ちゃんと考えてみると、確かに妙だ。電源なんて切るよりも、ただ、通話拒否にしてしまえばいいだけだろう。それ以前に、一言嫌いだと言ってやればいいはずだ。本当に何か、あったのだろうか。ただ、おっちょこちょいにも電源切ってそのままだとか、出かけ先で充電が切れてしまったとか、そういうものだと願いたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ