16.不確実な希望(シュウ)
傷口から血が吹き出しているのに。自己治癒も追いついていないのに。折れた剣でテル君は、イーターに飛び掛かる。
「…シュウ…分かっただろ?テルはもう限界なんだ」
ファリスがさっきとは違って、冷静に話しかけてきた。
(冷静になんてなれない…)
イーターのこの強さは、ザレス国王軍の隊長。
対してこっちには、戦闘向きではない天使族と…手負いの私。
そんな私を守るために、テル君はたった一人で戦わなくてはならない。
ファリスは、死にかけた私を置いて逃げることも出来ない。
(このままじゃ…終われない…)
さっき食いちぎられた太ももに目を向けた。
(……まだ…試して無いことがある)
それは…母が開発して、父が発動できる魔法。
かなりの聖力を消耗し、普通の天使族には扱うことすらできない魔法。
この世でお父様しか使えないと言われている上級魔法。
それは聖域魔法だ…。
お父様は下級イーターであれば一瞬にして灰にする聖域を、広範囲に長時間作りだすことができる。
上位のイーターですら、その聖域内では動きが落ちる。
外から入ろうと触れたイーターは、その身が聖なる力によって弾き飛ばされて、触れたところが爛れるような聖域だ。
お母様から教えてもらったその魔法は、もちろん私には使いこなすことなんて出来ない代物だった。
でもそれは、父様のようには…ってことだ。
私の場合は自分が触れている物か、自分自身にしか聖域を作り出せなかった。しかも持続は数秒。
でも、決して聖域を作り出せない訳じゃない。
(だとしたら…この魔法を応用できたら…?)
傷は塞がっているけれど、まだ凹凸が残る内腿をそっと指でなぞった。
私はラウグルに喰われた。アイツの体内には、まだ私の血肉が残ってる。
喰われた血肉も私の一部だ。
だとしたら、ラウグルの体内は私に触れていることになる。
そうなると、ラウグルの体内に残る私の血肉に、聖域を作ることが出来るかもしれない。
隊長クラスのイーターに、どれだけのダメージを与えられるのかは分からない。
もしかしたら、無意味かもしれない。
けれど…これしか、テル君を助ける方法は残ってない。
(…ただ、試すにしても問題が残ってる…)
私の聖力がまだ回復してない。ここに来る前に、聖力はワイトに根こそぎ取られてしまったから。
(それなら貰うしかないよね…?)
逃げようと差し出されたファリスの手を取り、その顔を見上げた。
「…テルを守る為に逃げよう…シュ…」
安堵の表情を浮かべるファリスの顔を両手で引き寄せた。
「……えっ……」
困惑するファリスにその唇に口付けて舌を絡ませた。
『穢れた血』が皮肉にも役立った。粘膜の触れ合いで、魔力や聖力を吸収できるサキュバス。
そんな血が流れている、この身を『穢れた血』…と、いつも否定していたはずなのに。
私は結局は、土壇場でその力に頼っている。
それどころか、今はその血が流れていて良かったとすら思ってしまっている。
(じゃないと、聖域魔法を試すことすら出来なかったのだから…)
「…はっ…っ…!んっ…シュ…っ」
息をしようと、ファリスが大きく口を開く度、唇の端から銀糸が溢れる。
それでも離れないように、口蓋をなぞり頬の裏側を舌で撫でる。
身体に聖力が流れ込んで来るのを感じる。
まだ足りない。もう少し…。そう思いながらファリスの舌に吸い付いた。
指の先が暖かくなってきた。これだけ聖力で満たされると、聖域を作り出すことが出来る。
唇を離すと、聖力で満たされた体は軽くなっていて、自分の足で立ち上がることもできた。
でも、決して回復した訳じゃない。聖域魔法を使えば、体の中の聖力は無くなる。今度は自己治癒すらできずに、私は死んでしまうかもしれない。
(それでも…悔いなんてない…)
「……嘘だろ……?」
ファリスが困惑した表情で、私のことを見上げた。
ファリスとはガーディアン養成校に入学した頃から、同じ天使族の仲間として共に高め合ってきた。
もう、十年以上の付き合いになる私が、自分の知らないサキュバスの能力を持っていたのだから。
困惑するのも当然の反応だと思った。
「隠しててごめん、ファリス。驚いたよね…」
ファリスは私から目を逸らすと、大きなため息を吐いて、頭を抱えてしまった。
「あ〜…。ごめん。今まで気付かなかった。シュウみたいなクソ真面目な美女に、俺なんかが相手にされるなんて思って無かったからさ……」
「?」
話が見えてこない私のことを、もう一度ファリスは見上げた。
「俺、結構テルと仲良しだし…何で今なんだよ…」
「……何が?」
「あんなことしておいて、今更とぼけるの無理じゃない?」
「あんなこと……って……?」
(さっきのドレインのこと?)
「……シュウ、俺のこと好きなんだろ?」
「……」
「全然。全く好きじゃないから。そんな冗談言ってる状況じゃないから…」
こんな状況下ですら、訳の分からない冗談を言うファリスにため息を吐くと、目の前で戦ってくれているテル君を見つめた。
この魔法が無事発動されるなら…。テル君を助けることが出来るなら…。
私は死んだって構わない。そう強く願ってラウグルに向かって手を掲げた。




