12.日常と違和感(テル)
シュウは何も言わずに海を見つめていた。
その横顔があまりにも儚げで…今にもどこかへ消えてしまいそうだと思った。
「もしも…なんてないし、そんなこと考えても無駄だって分かってる…でも…」
シュウは俺を見つめると、儚げな笑顔を見せて話を続けた。
「もしも…ブルームン王国の王族じゃなかったら?…って考えるの」
そんな言葉が出てくるとは思わなかった俺は、目を丸くしたまま固まってしまった。
「そしたら…誰から命を狙われることもなくて、大切な人が私の為に命を張らなくて良くて…私が産まれて来たことで誰かが不幸になることも無くて…」
シュウは膝を抱きながら静かに微笑んで、視線を水平線に移した。
「なんの負い目も感じない。誰の目も気にせずに友達と笑って…誰かに恋をして…。そんな普通の女の子のように、何気ない日常を送ることが出来たのかな?って思ってしまうの」
呟きながらシュウは膝に顔を埋めた。
「ごめん…私らしくないよね?忘れていいよ。こんな話しをするつもりじゃなかったの…」
その声は震えていた。見せないように膝に埋めた顔は、きっと初デートと同じように泣いている。
シュウの涙を見たのは二回目だ。普段は見せない弱さを俺には見せてくれる。
「…じゃあ、二人でこの国を出ようか?」
俺の言葉に、ようやく膝から顔を上げてくれた。
「俺にとってシュウがプリンセスだとか、そんなことはどうでもいい。でも、この国にいる限りシュウが普通の女の子になれないのなら…一緒に普通になれる場所を探そう?」
頷くわけでも、首を振るわけでもなく、シュウは嗚咽をあげながら、泣いてしまった。
その涙の理由は分からないけれど…。そうなりたいと思って泣いてくれているのなら嬉しい。
「シュウほど高度な治癒魔法を使える天使族なら、どこに行っても重宝されるし。それに俺はどこへ行ってもシュウのそばにいる」
溢れ落ちる涙を親指で拭い取り、そう呟いた。
「だから…この国を出よう」
全てから守りたい。心の底からそう思えたのは初めてだった。
シュウが当たり前の日常を送れるように…。さっきのような笑顔を毎日見せてくれるなら、国を出ることなんて容易いことだと思えた。
ユリアを守るという、生まれながらに背負わされた使命は、放棄することになるけれど。
そんな使命よりも俺はシュウを守りたい。
全ての罵詈雑言をたった一人で受け止めてた。
慕っていた人に裏切られて、親族から命を狙われて。
心が壊れそうになっても弱さは見せず、周りの人に優しさと強さを振り撒くシュウはそんな人だから。
泣いている、シュウの手に指を絡めて強く握りしめた。
この手は二度と離さないと勝手に心に誓った。
「テル君…お願いが…あるんだけど…」
声を漏らしながら泣いて…。少し落ち着いてきたところで、声を震わせて呟いた。
「……今までのお願いにろくな物ないんだけど……?」
なんて少し意地悪を言うと、シュウは想像した以上に苦々しい顔を見せて、焦り出してしまった。
「あ……そうだね」
「うそ。…いいよ。今度はどんなお願いだったとしても叶えてあげたい」
言った後に少し後悔もしたけれど、今は何でも叶えてあげたい気分になった。
「…ハグ…してもいいかな?」
「………え?何?その可愛いお願い」
前にされた可愛くないお願いを想像していた俺は、思わず笑ってしまった。
「ご…ごめんなさいっ…何言ってるの?ってなるよね?」
いきなり笑い出した俺にシュウは慌てている。
「違うよ、ごめん。…俺なんて許可も取らずにハグしてたから」
「あ…そうだね。確かに…」
顔を赤らめ大きく深呼吸しているシュウに向かって、手を広げて大袈裟に受け止める体制を整えてみた。
「どうぞ?」
「…ありがとう…じゃあ…」
真っ赤になりながら、ぎこちなく背中にまわる手が緊張して震えていた。
膝立ちになり頬を胸に押し当てて…ギュッと瞳を閉じて…。身体を固くしているシュウを包み込むように抱きしめた。
熱が伝わってきて心地いい。熱が移る。自分の鼓動が速くなっていくのが分かる。強張っていたシュウの身体がほぐれていく。
「…私…まだ伝えて無かったよね?」
「…何を?」
「テル君のこと好き……」
波音以外何も聞こえない海岸で、小さいはずのその声は大きく響いた。
「…え…?」
嬉しくて今度は俺の方が固まってしまった。
目を丸くする俺のことを、シュウは見上げて静かな笑みを浮かべている。
「…初めはね…セイレーンの息子だから。だったの。でも…今は違う。《《テル君》》が好き。それだけどうしても伝えたかったの」
その声は、どこか寂しそうで…何かを決意しているようにも聞こえた。
それなのに、嬉しくて…舞い上がってしまっていて、その異変に気付かない振りをした。
「…ありがとう…すごく嬉しい…」
抑えきれない高揚感とは裏腹に余裕を演じて、見上げるシュウの頬に手を添えた。
「俺も好き…」
耳元で呟くと、頬に唇付けて額を合わせた。
そこから真っ赤になっているシュウと唇を合わせた。合わせるだけの軽いやつ。
(じゃないと、我慢できる自信がない…)
そっと唇を離すと、シュウは顔を真っ赤にしてうつむいた。
絶対に照れている。毎回キスした後の反応が可愛い過ぎて、顔がにやけてしまう。
そんなシュウにもう一度口付けた。
海の色が夕陽の色に変わっていくのを、二人で静かに見つめた。言葉を交わすことも無く、ただ寄り添いながらぼんやりと。
「…夕陽…沈んじゃったね?そろそろ帰ろうか…」
「帰したくないって言ったら?」
苦笑いを浮かべて「…どうしようか」とだけ言うと、無言になってしまった。
離れたくないのは本当だけど、困らせたかったわけじゃない。
ごめんと謝って名残惜しいと、艶やかな髪に触れる。
「冗談。帰ろうか…」
砂浜から立ち上がると、座ったままのシュウの手を取った。
***
夕暮れの海を後にして、お城へと向かう道を二人で歩いた。
好きだと伝えてくれたシュウは、伝えてくれたこと以外何も変わらない。
自分だけが嬉しくて、舞い上がっているような気がして、恥ずかしくなる程にはいつも通りだった。
そんなシュウがお城まで後数十メートルのところで、不意に足を止めた。
「…水族館で『もっと早くに出会いたかった』って、私が言ったこと覚えてる?」
いきなりで戸惑ったけれど、あの日は俺にとっても特別だったから。
「もちろん忘れてないよ。今からでも遅くないって俺が答えたことも」
あの時シュウが俺に言った言葉は一語一句違わず言えるくらい覚えてる。
『プリンセス』として。ではなくて、初めて本音を聞けた気がしたから。
嬉しかったし、本当は泣いているシュウを抱きしめたかった。
でも…止まらなくなりそうだったから堪えた。
子供が見てる前で濃厚なキスをするわけにはいかないし、そんなことしたら、嫌われてしまうと思ったから堪えた。
「そうだね。でも…やっぱり、もっと早くに出会いたかった。もっと…たくさん時間を過ごすことができたならって…そう思うの」
シュウの視線はお城の門を見つめている。あの時に言った「焦らなくていい」は俺の本音だった。
「大丈夫。今までの時間を取り戻すくらいに、沢山の時間を二人ですごしていけばいいよ」
それには何も答えずに歩き始めた。
門の前では引き継ぎのガーディアンのエリックは気付いて手を振っている。
シュウはそれにお辞儀をすると、切な気な笑みを浮かべて俺を振り返った。
「こんな自分を知ることが出来て良かった。一生知ることはないと思ってた気持ちを知ることが出来て嬉しかった…。ありがとう…」
ありがとうの意味が分からなくて「何が?」と、聞こうとしたのに。
いきなり近づいてきたシュウにネクタイを引かれて、俺はバランスを崩した。
その瞬間、見上げて微笑むシュウは、懸命に背伸びをして俺と唇を合わせた。
柔らかい唇の感触を感じる間もなく離す、軽いやつで…。
でも、シュウからされるのは初めてで…。気付いて固まった。
「……え……?」
それに混乱して顔が真っ赤になった。
慌てる俺を見て、シュウも頬を赤らめながら笑っている。
「顔…真っ赤だよ?」
「いや…だって…」
真っ赤になるだろ。そんなの。
「忘れない日になったね?」
「それ…自分で言う?」
「あはは…言っちゃう」
また勝ち誇った顔して、そんなことを言いクスクス笑うシュウが可愛くて顔を覆った。
(…エリックさんに見られたけど、シュウはいいのか?)
チラリと門の方に視線をやると、エリックが気を使って視線を逸らしてくれている。
「これ以上待たせるわけには行かないね」
それだけ言うと、シュウは「おやすみなさい」と手を振って、お城の門へと行ってしまった。
(…そんな簡単に離れられるんだ)
振り回される。いきなりあんなことを呟いたかと思ったら、即行で帰ってしまうし。
違和感も悲しそうな顔の理由も、全部どうでもいいと思えてしまうくらい、舞い上がってしまっていた。




