真郷さんと真里さん
「お兄ちゃ〜〜〜〜ん!! 怖かったし、心配したよぉ〜〜!!」
「ごめんごめん、心配かけちゃって。でも、よく1人で家に戻って来れたな。偉いぞ」
住み慣れた我が家に帰ってくると、先に逃した弟が勢いよく抱きついてきた。腰にしがみ付いて泣きじゃくる弟の頭を少しでも安心するように撫でるが、余計に泣き声が大きくなってしまう。吸血鬼2人に追いかけられたうえに兄1人を置いて逃げるという経験は、僕よりも更に幼い弟にはやはり酷なものだったのだろう。当分、落ち着きそうにない様子だ。
「お兄ちゃんはかすり傷ぐらいで済んだし、無事だったんだからもう泣くなって」
「な〜〜にが無事だった、じゃ!! この馬鹿者が!!」
「ッ!! いったぁ!! 何するのさ、お爺ちゃん!!」
弟の頭を優しく撫で続ける僕の頭に怒声と共にゴチンとゲンコツが降ってきた。目がチカチカするほどの衝撃に、思わずしゃがみ込んでしまう。
いつの間にか背後に立っていたお爺ちゃんに抗議の視線を送るが、あまりの形相にサッと視線を逸らしてしまう。あ、これは本気の本気でお怒りなご様子。
「あれほど森には近づくなって言っておったじゃろうが。しかも蛍まで巻き込みおって」
「ち、違うよ、お爺ちゃん。ぼ、僕がお兄ちゃんを誘ったんだよ。お爺ちゃんの腰痛に効く薬草があるんじゃないかって……」
「じゃったら蛍をお前が止めにゃならんじゃろう。お前は蛍の兄じゃろうが」
ごもっともなお叱りなので反論もせず、素直に反省するしかない。たとえ可愛い弟の善意からくる提案だったのだとしても、お爺ちゃんのいう通り危ないから辞めようと僕の方から言うべきだった。いくらこの周辺で吸血鬼が現れることが少ないとはいえ、子供2人で森の中を探索しようなどと、賢明な行動とは程遠いだろう。
「ごめんなさい……。蛍を止めるべきだったし、せめてお爺ちゃんに事前に相談するべきでした……」
「……まあ、わかればそれでよい。お前は他の子供達よりも精神的に成長しとる方じゃからな。一度叱るだけでも十分反省するじゃろう。――それより後ろの2人じゃ、問題なのは」
お爺ちゃんの鋭い視線が僕の背後に立つ2人に向けられる。2人とも会釈をしてくれるのだが、お爺ちゃんの警戒は全く緩まることがない。急いで2人の事を紹介して危険な人物ではないことを説明しないと、ここから追い出されかねない。
「ふ、2人は僕を助けてくれたんだ。命の恩人なんだから、そんな怖い顔しないでよ」
「……名前は?」
そういえば、名前を聞く事も伝える事もしていなかった。ヒーローさんが口にしていたので、女性の名前は一応わかっているのだが。
あの場でのんびりと自己紹介をし合う余裕は状況的にも精神的にも厳しかったので仕方がないのだが、命の恩人相手に名前すら教えていないとは失礼な事をしてしまった。
「名乗りもせずにお邪魔してしまい、申し訳ありません。僕は真郷といいます。彼女は真里。僕達は2人で旅をしておりまして、その道中に吸血鬼に追われている彼を見かけましたので――」
「助けてくださったというわけか。……それに関しては、感謝しておる。お前さん達がいなければ、この子は無事では済まなかったじゃろう。しかし、吸血鬼を相手にして無事という事はお主らも――吸血鬼、というわけじゃな」
問いに対して、真里さんは首を横に振る。
「いや、確かにコイツは吸血鬼だが、私は人間だ。私達は吸血鬼と人間の2人で旅をしている」
その答えにお爺ちゃんは怪訝な表情を浮かべ、まるで品定めでもするかのように彼らをジロジロと眺める。人間に対して支配的な吸血鬼が多い現状、一緒に旅をしている吸血鬼と人間の2人組なんて稀有な関係を怪しむのも無理はないだろう。しかも、2人には上下の関係は存在せず、吸血鬼である彼は人間相手にも平和的かつ紳士的に対応しているのだ。長く生きているお爺ちゃんでも殆ど見たことが無いタイプの吸血鬼だろう。
「……悪いがすぐに出て行ってくれ。ここにはもう老い先短い儂と小さい子供らしかおらん。怪しい奴らをもてなしてる余裕は無いんじゃ」
「ちょっとお爺ちゃん!! 助けてくれた恩人にそんな言い方――」
不躾な物言いを咎めようとする僕を遮るように真里さんが前に出る。失礼な言葉を投げかけられたにも関わらず、彼女の涼しげな顔は崩れない。
「構わんよ。御老人が警戒するのも無理はない。それに、安心してくれ。長居するつもりは毛頭ない。すぐにここから去るつもりだ」
「え!? もう行っちゃうんですか!? お礼がまだ……」
「お礼など不要だ。こちらとしても試作品のテストとして良い機会となったからな。さて、そろそろ行くぞ真郷」
「――いや、待って真里ちゃん。さっき遭遇した吸血鬼2人を見逃した場所から、ここはそんなに離れていない。もう暫くは、この辺りで様子を見ておいた方がいいと思う」
「……ふむ、それもそうか。御老人、少し離れた場所に寝床を用意して、そこにもう少しの間待機するぐらいは構わないか? 勿論、極力面倒はかけないよう善処する」
「……ああ。ただ、我々にあまり干渉せんでくれ」
「了解だ。真郷」
「うん。それじゃあね――え〜と……」
「あ! 宏兎です! 命を救ってもらったのに、今の今まで名前も伝えずにごめんなさい!」
いいんだよ、と優しい笑顔を浮かべて真郷さんは真里さんと共に我が家を出て行った。それを見届けた後、お爺ちゃんは奥の部屋へと戻っていく。
その隙に家を出て、僕は2人の後を追いかける事にした。後ろから弟が呼ぶ声がしたが、湧き出る好奇心を抑える事は出来なかった。