バスでは必ず右側の席に座る
「あんじゅ~! おはよーっ!」
「おはよう、小桃ちゃん」
ぱたぱたとうちわを仰ぎながら、わたしに笑いかける女の子。このお土産屋さんの娘で、同じ高校に通う小林小桃ちゃんだ。
十五歳になった昨年二月にこの世界にやって来て、二か月後の四月に高校に入学してから。最初はもちろん一人で登校していたのだけれど、ある朝「ねえ、その制服、同じ高校じゃん! しかもあなた、新入生じゃない? 島内に同級生がいるなんて嬉しい! せっかくだから一緒に登校しようよ!」と声をかけてくれたのが小桃ちゃんだった。わたしが新入生だとわかったのは、制服の着こなしがあまりにダサかったからだよ、とのちに教えてくれた。
そういうわけで、こうして毎朝小桃ちゃんと一緒に登校している。
「安寿は土日なにしてたの?」
「お店の手伝いをしてたよ。小桃ちゃんは?」
「またぁ~? 安寿は真面目だねえ。ちょっとは遊んだほうがいいんじゃない? 来年は受験で忙しくなるんだし。あたしはね、もちろん彼氏と新大久保。いっぱいポスターと化粧品を買ってきたの!」
「韓流活動ね」
小桃ちゃんは韓国のアイドルグループが大好きで、週末はデートを兼ねてだいたい新大久保へ繰り出している。韓国は美容でも有名らしく、化粧品のお店も多いのだとか。おしゃれな小桃ちゃんにはぴったりの過ごし方だ。
地味で化粧の「け」の字もないわたしと違って、学校に行くときでさえ小桃ちゃんはばっちりおしゃれしている。韓国で流行っているという「ツヤ肌」になるファンデーションを塗り、眉は「平行に太く」。リップは「血色感のある赤」を使うんだよと、先日教えてくれた。
そのような完璧なメイクに、茶色に染めた髪の毛は、すごく彼女に似合っている。
「安寿もさあ、ちょっとはお化粧してみたら? もとは悪くないんだから、一気に化けると思うんだよね」
本土へと続く長い道路を歩きながら、話は続く。
「ん~、小桃ちゃんみたいに上手くできないから。わたしはこのままでいいかなあ」
「そうなの? そのわりに肌身離さずネックレスをしてるから、てっきりおしゃれに興味はあるのかと思ってたんだけど」
セーラー服の襟元からちらりと覗くネックレスに、彼女の視線が注がれる。
胸元からネックレスを引っ張り出して、小桃ちゃんに見せる。ゴールドの鎖に、小指の爪ほどの真珠がついたネックレスだ。
「これは……もらいものなの。おしゃれじゃなくて、気に入ってるから付けているだけ」
「ふーん? まあいいや。お化粧したくなったら言ってね? メイク道具、いっぱい余ってるの。安寿にならどれでも好きなの貸してあげるから」
「ありがとう」
小桃ちゃんに嘘をついてしまった。ちくりと、胸が痛む。
――このネックレスは、もらいものと表現すると少し語弊がある。魔女がらみの品のため、わたしをただの高校生だと思っている彼女には本当のことを言えないのだ。
親切にしてくれているのに申し訳なくなり、心の中で謝罪をする。
島を出て十分ほど歩くと本土に着く。国道沿いにあるバス停から市バスに乗り、高校まで向かう。
わたしはバスでは必ず右側の席に座ることにしている。なぜなら、右手には海が広がっているから。その広大な姿を見ているだけで、自分までおおらかな気持ちになってくるから不思議だ。
バスを降りると、すぐ目の前が目的地。わたしたちが通う、私立鎌倉学院高等学校だ。
勉強に関しては、日本で修行することが決まってからの一年ほど、修行協会から与えられた資料を使って必死で学習してきた。もともと息をするように倉庫の本を読んでいたからか、勉強は苦ではなく、むしろ楽しかった。
成績はいいとは言えないけれど、落ちこぼれにならないくらいのレベルは保てている……と思う。
明るくおしゃれな小桃ちゃんは学校内でも人気者で。バスを降りてからは、わらわらと引き寄せられるように集まってくる生徒と挨拶を交わし、時には立ち止まっておしゃべりすることもある。
そんな彼女の邪魔にならないように、わたしは一人で先に下駄箱へと向かう。
「小早川安寿」と記名した下駄箱。
その前で、わたしは小さくため息をつく。
今日も、わたしの上履きはなかった。