帰ってくるよな?
最終回まで残り四話です。
自室に戻ると、風丸くんがスマホから目を上げた。
「終わったの?」
「うん、待たせてごめんね。さっそく出発しようと思う」
部屋の隅に用意していた麻袋を持つ。これはわたしが魚心亭に来た時に荷物を入れていたもので、ローブや書類なんかが入っている。そこに念のため着替えなど一泊分の用意と宿賃などを入れているので、ぱんぱんに膨れ上がっている。
「途中まで持つよ」
「えっ、悪い――」
言い終わる前に。肩がふわっと軽くなって、麻袋は彼の肩に移動する。
「――ありがとう。ふふっ、なんだか、昔のことを思い出しちゃった」
「昔?」
不思議そうな声。
階段を降りながら、懐かしい思い出に想いを馳せる。
「初めて風丸くんと出かけたときのこと。あの時も、わたしの荷物を持ってくれたよね。修行式の後だったから、わたしの鞄はぱんぱんになっていたの。今と同じように」
「あー、そんなこともあったな。――二年生の夏か。ずいぶん昔のことみたいに感じるけど、まだ一年半しか経ってないのか」
玄関を出て、外に出る。春の日差しが、柔らかくわたしたちを包む。
今日は家の前の坂を下らず、上る方向へと歩いていく。眼下に海を見下ろしながら、島の縁を進む。
海は穏やかで、午後の穏やかな日差しが水面にきらきらと反射している。
会話しながらしばらく歩くと、下り坂になる。道の舗装も変わり、赤い手すりのついた特徴的な歩道を進む。この道を通るのは二回目。初めて日本に来た日以来だ。
屋根のある入口に着いたところで立ち止まる。
「この岩屋のなかに、ソルシエールへ続く抜け道があるの。詳しい場所は機密事項だから言えないんだけど……」
係員に聞こえないように小さな声で伝えると、彼は目を丸くした。
「マジかよ。てっきり、なんか魔法で移動するのかと――。あ、ごめん……」
「……ううん、大丈夫。日本は魔法が使えなくても行き来できるようになってるの。もちろん、中には魔法陣でしか行き来ができない国もあるみたいだけどね」
わたしはもう魔法が使えない。そのことを風丸くんはずっと気にしている。
メーアが居なくなってからの半年は、喪失感との戦いだった。魔法が使えないことはもはやどうでもよく、わたしにとって重要なのは、魔力ではなくメーアそのものだったのだと気がついた。
しかしそうは言っても、祝福の石の修復なんてわたしにはできない。悲しみを風丸くんと分かち合い、勉強に打ち込むことでやり場のない気持ちを紛らわし、今日までやってきた。彼が居てくれて、ほんとうに救われた。もし一人だったら、わたしは抜け殻のようになっていたと思うから。
腕時計を確認する。今日は三月九日金曜日。時刻は十三時十七分だ。
修行の達成手続きをして、あとは実家に寄って、もう一か所寄って。今日中に帰れたとしても、深夜になるだろう。
「じゃあ、行ってくるね。たぶん帰りは深夜になると思う。戻ったら連絡するね。荷物を持ってくれてありがとう」
三年ぶりの祖国。気が進まない気持ちと、これで決別だという覚悟が相まって、複雑な感情だ。
そして、なぜか風丸くんも複雑そうな表情をしていた。
「風丸くん? どうしたの?」
「…………帰ってくるよな?」
その問いかけに含まれる意味を、わたしは瞬時に理解した。
服の上から、ぎゅっと胸元にあるロケットを握る。このなかには、わたしの大切なひとが入っている。
「もちろん。わたしはここで生きていくって決めたんだから。――まあ、石ぐらいは投げ付けられるかもしれないけど。でも、大丈夫。この修行を通して、わたしは結構たくましくなったと思うもの」
にこりと笑いかけるけど。長い前髪からのぞく彼の目には、まだ不安の色が見え隠れしている。どうしたら安心してもらえるかしら――?
「――そうだ。じゃあ、指切りしよう。風丸くん」
「ははっ。俺は子供かよ」
そう言いながらも。彼の右手の小指は準備万端だ。
長くしなやかなその指に、自分の小指を絡ませる。
「約束する。わたしは必ず帰ってくるよ」
しっかりと彼のこげ茶の瞳を見て、そう伝える。
ようやく彼の目が弧を描いた。
「――おう。待ってる」
「うん」
指が離れた瞬間、一抹の寂しさを覚えたけれど。その気持ちを深追いすることはせず、わたしは一人岩屋の中へと入っていった。
◇
岩屋の中は薄暗くひんやりとしていて、外よりも二段階くらい寒さを感じた。オフシーズンのためか、わたし以外に人はいない。灯篭で照らされた通路を進み、奥を目指す。
数分行くと、道が二つに分かれたところに行き当たる。左の道の先には、日蓮上人の寝姿石と、富士山麓へ続く氷穴が待っている。右の道の先には、江島神社の発祥の場所がある。わたしが選ぶのは、そのどちらでもない。
再度、周囲を見回して人がいないことを確認する。
「さて。急がなきゃ」
道が二つに分かれる分岐点、その中央に積みあがる岩を、素早く退けていく。女性の力では持ち上がらないような大きさの岩でも、小石のように軽々持つことができる。岩に見えるこれは、魔女の血を引くものにしか扱えない特殊な素材でできていると聞いた。ソルシエールではいろいろと開発されていて、国の防壁や特殊武器なんかに応用されているらしいのだ。
大きな岩を五つほど横にずらすと、ぽっかりと空洞が姿を現した。言うなれば、ここが第三の道だ。
麻袋を背負い直し、第三の洞窟に入る。横に退けていた岩を内側から何個か戻し、この洞窟が見えなくなるようにする。
「これでよしと。さあ、ここから三十分くらいだったかしら」
進行方向を向くと一斉にランタンが灯り、進むべき道を照らしてくれる。
――大丈夫。わたしはもう、あの時と同じ自分じゃない。何を言われたって、気にする必要なんてない。わたしの帰る場所はここなんだから。
ふうと息を吐き、呼吸と心を整える。大丈夫、大丈夫。
「行きましょう」
三年ぶりの祖国へと。




