似合ってる。可愛い……
翌日。
風丸くんとの待ち合わせは、十三時半時に桜木町駅。桜木町は、ここ神奈川県でも有数のおしゃれ観光地らしい。いつだったか自分では覚えていないけれど、行ったことがないとぽろりと話したことを彼は覚えてくれていて、誘ってくれたのだった。
昨日の夜、布団の中でスマホを見ながら、いろいろと情報は収集済みである。新しくロープウェーができたとか、ショッピングモールがあるとか、少し歩けば赤レンガ倉庫という名物があったり、映画館もあったりだとか。海沿いに位置するみなとみらいエリアは眺めも良く、デートにもお勧めなんだそう。
「映画を見て、お茶に誘いましょう。その時に……!」
気合を入れるわたしを、根岸線が桜木町へと運んでいく。
タタンタタンという走行音は、馴染みのある江ノ電よりスマートな気がした。背の高いビルが車窓から流れていき、都会に来たことを実感する。
――桜木町。桜木町。お降りの際は、お忘れ物などないようお気を付けください――。
車内アナウンスに見送られながら、ホームに上陸する。新しいサンダルのヒールが、かつんと軽快な音を鳴らした。
北改札を出て東口から外に出ると――。わたしの心は、一気に弾んだ。
「すごい! これが桜木町……!!」
駅前の広場から見える景色だけでも、ここが県内随一の観光スポットだということが理解できた。清潔なコンクリートで整備された地面やビル。開けた広場の向こうには帆船があり、更に向こうには観覧車も見える。運河の上を通るロープウェーが、ゆっくりと青空を進んでいく。
「江ノ島とは全然雰囲気が違うわね……。えーと。風丸くんはまだ……あっ、もう来ているわ!」
柱の前に立っている、青いボーダーの半袖とショートパンツの人物に駆け寄る。声をかけると、彼はスマホから目を上げた。
「お、おはようございますっ。お待たせしてすみません」
「おう。俺も今来たとこ。――なんか今日、雰囲気違うな?」
そう言う彼の目線は、わたしの服装にあった。
実はまた、洋子さんが一式揃えてくれたのだった。いつも量販店の無地ティーシャツとデニムを着ているわたしに「少しはおしゃれしないと風丸くんに失礼よ」と言いながら、流行りのお店のショップバックを差し出してくれたことを思い出す。
ワンピース、というものは初めて着るけど、裾がひらひらして落ち着かない。制服より軽い生地でできているので、少しの風でも舞ってしまう。ヒールのあるサンダルだって初めてで、スニーカーやローファーに慣れた足には、今のところ違和感しかない。
だけど、今日という一日を素敵にしたくて、頑張ってみた。
ワンピースの裾をつまみ、彼を見上げる。
「へ、変でしょうか。ちょっと、おしゃれしてみたんですが……」
「――いや。似合ってる。可愛い……」
「あっ、ありがとうございます……!」
彼が顔を赤くするものだから、わたしもつられて顔に熱が集まってしまう。
どこかぎこちないやりとりで、お互い昼食は済ませてあることを確認する。ロープウェーに乗ったあと、映画を見に行くことになった。
◇
「――すごかったですね、映画! まさかあそこでゴリラがお姫様を助けるだなんて……!!」
「確かにあれは予想外だった。アニマルものかと思ってたけど、壮大なSFっていう感じだったな」
思わず上ずった声が出たのは、映画に興奮しているからではない。――遂にこのあと彼に伝えるのだと思うと、いよいよ緊張してしまっているからだ。
「――風丸くん。ちょっと、お茶でもしませんか」
「腹減ったのか? いいけど」
映画館を出て建物内のテナントを見て回るも、休日ということもあってかどのお店も満席だった。
仕方がないので外に出て、歩道沿いに等間隔に置かれているベンチに座ることにする。
自動ドアを一歩出ると、まとわりつくような熱気が襲い掛かる。夕暮れ時とはいえ、まだまだ蒸し暑い。
「す、すみません。暑いですよね……」
「俺は平気。暑いのは部活で慣れてるから。小早川こそ大丈夫?」
「わたしも平気です。祖国は結構暑かったので……」
「そうなんだ」
「はい……」
もじもじと膝の上で組んだ手を見つめる。彼に伝える台詞についてあれこれ考えてはみたものの。結局、すべて頭の中から飛んでしまっている。
――ああもう。考えるだけ無駄だわ! 暑い中彼を待たせているという状況もあって、半ばやけくそ気味に口を開いた。
「あの! 風丸くん。去年のクリスマスに言ってくれたことについてなんですが――」
「! あっ、ああ……」
彼がぎくっと身体をこわばらせる様子が視界の隅に入る。
ぐっと汗ばんだこぶしを握り、叫ぶように続けた。
「ようやく自分の気持ちが固まりました。――あの。その。わ、わたしも風丸くんのことが、好きです!」
一気に言い終える。顔が、身体が、すごく熱い。恥ずかしさからか、勝手に体がぷるぷるしている。
「――ほんとに?」
かすれた小さな声が聞こえた。
「はっはい! お返事が遅くなってしまってすみません……」
おそるおそる隣を見ると、口元に手を当てた風丸くんが、顔を真っ赤にしていた。
「――やべ。まじで嬉しい。正直、もう駄目なんじゃないかと思ってたから。……じゃあ、俺と付き合ってくれるってこと?」
「わたしでよければ。ぜ、ぜひ、よろしくお願いします」
そう返事をすると、風丸くんは、今まで見たことがないくらいにくしゃりと顔を綻ばせた。
「いや……なんか嬉しすぎて、実感がないわ。俺今、めちゃくちゃふわふわしてる」
「わ、わたしもそんな感じです。……あ、それで。もう一つお伝えしたいことが」
未だにひかない熱を持て余しながら、わたしは話を続ける。
「なに?」
「わたしが魔女見習いでこの世界に来ていることはお伝えしましたよね。それで、修行って言うのは三年間なんです。つまり、高校卒業と同じくらいで、その期間は終わるんです」
「え!? じゃあ、そのあと小早川は――」
笑顔が一転、風丸くんはどん底に突き落とされたような表情になった。慌てて先を続ける。
「続きがあります! そのあとはですね、いったんは手続きのために帰国しますが、日本で暮らすつもりです。大学にも行きますし、その先もずっと、ここに住むつもりです」
「――なんだよ。あー、びっくりした」
ほっと肩で大きく息をつく。そしてわたしのほうに向き直った。
「じゃあ。魔女としてというか、この世界の人間として、生きていくってこと?」
「はい。正直、祖国に思い入れはないですし、家族もいないようなものなんです。わたしはここで、生きていきたいです」
自分でも驚くほど、その言葉は自然に流れ出た。
言葉にして誰かに伝えることで、いっそう自分の決意が固まったような感覚がする。
風丸くんは、痛ましそうな表情で目を細めた。
「そっか。――なんか、大変だったんだな。ごめん。俺、お前のこと、まだまだ知らないな」
「いえ。昔のことですし、楽しい話ではないので、わたしもお話ししてきませんでした」
「俺、頑張るな。お前がここで困らないように」
向けられる真剣なまなざしに、きゅっと心臓が締め付けられる。ゆっくりとその言葉を噛みしめると、風丸くんへの想いが、切なくあふれ出しそうになる。
「……ありがとうございます。とても、心強いです」
涙をこらえながらの笑顔は、あまりいい顔じゃなかったかもしれない。でも、風丸くんも優しく笑みを返してくれて、それだけで心が満たされていく。
「……あー。なんか、喉乾いたな。ちょっと冷たいもの買ってくるわ」
おもむろに彼は立ち上がった。
暑さからか緊張からか、わたしも風丸くんも額に汗が浮かんでいた。
「小早川もなんか飲む?」
「あ、わたしは大丈夫です。お茶を持って来ているので」
「そか。じゃ、ちょっと買ってくるわ」
そう言って、彼は向かいの道路沿いにある自動販売機を指さし、小走りしていった。
「……無事に伝えられてよかったわ」
ほうと、ようやく肩の力が抜ける。気づけば、わたしの喉もからからだ。お茶を飲もうと、ハンドバッグの中からペットボトルを探す。
これでわたしと風丸くんは恋人同士かあ。そう思うと、再び顔から汗が吹き出す。ああもう、ハンカチはどこに入れたっけ。
――と、その時。甲高い叫び声と、いやにうるさい車の走行音が聞こえた。
一体なんだろう? そう思って目を上げると。眼球に映る光景に、色を失った。
「――風丸くん! 危ない!!」
横断歩道を渡る彼に向かって突っ込んでいく、常軌を逸したスピードの車。
――それは、わたしの声に気づいた風丸くんが、不思議そうな顔をしたのとほとんど同時だった。見開いた目に映ったその光景は、生涯わたしの脳裏から離れることはないだろう。
時の流れが止まったような、あるいは早送りされたかのような、おかしな感覚だった。
我に返ったわたしの目の前にあったのは、横転して大破した車と、横断歩道よりだいぶ離れたコンクリ―トの上にうつぶせる彼の姿だった。




