好き、だと思う
そして時は流れ、三年目の夏休みがやってきた。
八月のとある日。わたしは藤沢市にある、秩父宮記念体育館に来ていた。
「安寿は試合を見に来るのは初めてだよね?」
そう言うのは、連れて来てくれた小桃ちゃんだ。白いブラウスにベージュのサロペットを合わせていて、今日もすごくおしゃれだ。わたしはいつものように、ティーシャツとデニムという姿。
「うん。小桃ちゃんは、彼を見に何度も来てるんだよね?」
「そー。一応大会の決勝とかだと、新大久保を我慢して見に行ってるよ。今日は悩んだけど、引退試合だからね。ああっ、ビッグボムの生ライブ見たかったのに……!」
ビッグボムとは、小桃ちゃんが追っかけている新大久保の韓流地下アイドル。今日は彼らの結成五周年ライブとかぶっているらしく、小桃ちゃんは朝から残念がっていた。
しかし、彼女の鞄からはみ出ているペンライトにわたしは気づいている。もし試合が早く終わったら、行こうと思っているに違いない。
「安寿の彼氏に頑張ってもらって、早く終わらないかなあ」
「か、彼氏じゃないよ」
五分ほど前に始まった試合。早くも点差は十点ほどついており、うちの高校がリードしている。四番のユニホームを着た風丸くんと、七番を着た小桃ちゃんの彼氏は、縦横無尽にコートを駆け回っている。
風丸くんがバスケットをする姿を見るのは、いつの日かの体育の授業以来かもしれない。機敏な動きで敵チームをかわして切り込んだり、遠くからシュートを放ったりと、素人目にも活躍しているのが分かる。
ちなみに彼は、今日わたしが見学しに来ていることを知らない。小桃ちゃんいわく、「そのほうが面白いから」だそうで、事前に連絡することを禁じられた。
「……まだ、風丸のこと好きか分からない?」
ドリブル音と声援の声に交じって、その言葉はぽつりと聞こえた。
わたしはごく自然に、口を開く。
「……好き、だと思う」
「えっ!? いつの間に! なによ、早く教えてよ!」
大声は、わあっという歓声にかき消される。近くに座っている人たちは試合に夢中だ。
「ご、ごめん」
「いつから!?」
「いつからだろう……。多分だけど、風丸くんが魚心亭のお手伝いに来てくれるようになってからだと思う」
魚心亭に馴染んだ風丸くんは、皿洗いだけでなく、ホールの仕事もするようになっていた。モデルのような外見で、物腰柔らかく接客する風丸くんが、女性客に人気になるまでに時間はかからなかった。
――そして、その時胸に感じたのは、はっきりとした嫌悪感。どこか漠然として掴みどころのなかったこれまでのもやもやとは、まったく違う感覚だった。
そしてその感覚は、彼と一緒に図書室で勉強すると、不思議と晴れていくのだ。
そう伝えれば、小桃ちゃんはにやりと笑った。
「へえー。つまりやきもち焼いて、気づいたってこと?」
「うん……。不思議だよね。風丸くんがモテるのは今に始まったことじゃないのに。急に気になり出しちゃって……」
「ま、それが恋ってやつだから。急に落ちて、急に去っていく。まるで嵐みたいなね。いつ何がきっかけになるかなんて、誰にもわからないから」
小桃ちゃんはふふんと鼻を鳴らして、そう言った。
「――去らないといいけど」
「ま、安寿たちは大丈夫じゃない? すいぶん時間かけてたみたいだから。ま、心配なら、とりあえず早く気持ちを伝えた方がいいんじゃない? 今日の試合で、またあいつのファンが増えたと思うし」
「!」
おしゃべりに夢中になってしまっていたけど。慌ててコートを見ると、得点係がうちの高校に三点を入れていた。右手でガッツポーズを作りながら走るのは風丸くん。甲高い歓声に包まれながら、ディフェンスの持ち場へと素早く戻っていく。
パーマをかけた長い前髪はヘッドバンドによって左右に分けられ、顔がよく見えるようになっている。いつもは隠れているシャープな眉と目がくっきり見えていて、真剣な表情も相まっていつも以上にかっこよく見えた。
鈍感なわたしですらそう感じるのだから、普通の感覚で言ったら相当なものだろう。
「……そうだね。返事、すごく待ってもらっているし。夏休み中には伝えようと思う」
わたしも彼のことが好きだと気づいた後も、タイミングを計りかねてしまって、返事ができないままでいる。早く伝えないとそもそも失礼だし、そうこうしている間に他の子が接触してきたらと思うと、急に焦りの気持ちが湧いてくる。彼のような人がわたしを好いてくれていること自体が奇跡なのだから。
しかし、わたしの考えは甘かったようだ。
「だーめ! 今日このあと言いな!」
「えっ! 今日!?」
小桃ちゃんが目を三角にして詰め寄る。
だけど、今日というのはずいぶん急な話だ。さすがに今日の今日では気持ちというか、覚悟が決まらないんだけど――。
「だって安寿のことだから、タイミングを逃し続けることが目に見えてるもん。いい? 今日だからね。完了したらメッセージで報告してよね」
「ううっ」
さすが小桃ちゃん。わたしの性格をよく理解している……。分かってはいるのだ。自分の恥ずかしさを置いておけば、返事は一日でも早い方がいいことくらい。
わたしは腹をくくった。
「わかった……。今日、伝える」
「偉いっ! いい報告を楽しみにしてるね~」
試合観戦で終わるはずだった一日が、急に重みを増した。顔がひどく熱いのは、会場の熱気にあてられたからだろうか。
 




