逃げるなよ
巨大なスモモの木は、幸いにして店側からは見えない位置に生えたため、近隣住民などから特に怪しまれずに済んだ。庭から続く森の一部として景観に馴染み、豊富に実った果実は定食のデザートとしてお客さんに提供されている。魔法で育ったこの木は次から次へと実をつけ、かれこれ一か月は毎日収穫できている。
「うふふ。どうなることかと思ったけれど、食材費が浮いて嬉しいわあ」
「このスモモ、とびきり美味いよなあ! 実にハリがあるし、酸味と甘みのバランスが絶妙だよ。まさかここの近辺にスモモが生えてたなんてなあ!」
閉店後。洋子さんと治郎さんが楊枝でスモモをつまむ傍ら、わたしはテーブルの備品を補充するなどして、翌日に向けた準備をおこなう。
治郎さんはわたしが魔女修行中だということは知らない。だから、このスモモについてはわたしが付近の森を散策中に見つけたということになっている。
「喜んでもらえてよかったです。これが終わったら、明日の分を採って来ますね」
「ありがとう。助かるわ」
「俺も行こうか? 一人じゃ大変じゃあねえか?」
「いえ、平気です。お二人は休んでいてください」
スモモを囲んでなごんでいる二人を見て、自然と笑顔になる。魔法の練習の副産物とはいえ、自分のしたことで喜んでもらえることが嬉しかった。
真珠と共に魔法の練習を開始して数か月。最初は自分のために魔法を覚え始めたけれど。こうして他の人に喜んでもらえる、役に立てているということが一番嬉しいなあと感じるようになっていた。
だから、果樹や野菜を成長させる魔法や傷を癒す治癒魔法など、世の中の役に立てそうなものを優先して練習するようにしている。真珠曰く、七割くらいの完成度らしい。まだまだ鍛錬が必要だ。
テーブルの上をダスターで拭きながら、窓の外をちらりと見る。
月は雲に隠れていて、その姿は見えない。もうすぐ冬を迎える江の島の海は、静かで真っ暗だ。その様子を見て、ふとポケットの中にあるスマホのことを思い出す。
いつものように店の手伝いをして、閉店後。つまりついさっきなのだけれど――何気なくスマホを見たところ、一件メッセージが来ていた。小桃ちゃんだろうかと思ってそれを開くと、なんと風丸くんだった。
なぜ彼がと思うと同時に、今日の昼間連絡先を聞かれたことを思い出す。帰り支度をしていたとき、声をかけられて振り向くと。あっという間にスマホを奪われ、「友達に追加」されてしまったのだ。
真剣な顔で「お前は俺が嫌いなのか?」と聞かれたので、そんなことはないと正直に答えた。そうしたら、「じゃあいい。部活終わったら連絡するから、返信しろよな」と彼は言い、と教室を出ていった。
「はぁ」
――小さくため息が出た。スカートのポケットからスマホを取り出して、改めてメッセージを確認する。
『来月二十五日、空けといて。予定が無いっていうのは小林から聞いてるから。逃げるなよ』――画面には、そう映し出されていた。
はあ、と再びため息が出る。来月二十五日――つまり、十二月二十五日。日本においてクリスマスと呼ばれる日だ。この日は家族や恋人など、自分にとって大切な人と過ごす日だと、昨年洋子さんが教えてくれた。
「今年も、洋子さんと治郎さんとパーティーするつもりだったんだけどな……」
日常の延長線上に感じていたためか、予定のうちに入れていなかった。今朝小桃ちゃんにクリスマスの予定を聞かれたとき「特にないよ」と答えた自分を恨む。というか、そういった話をするほど小桃ちゃんと風丸くんは仲が良かったのか……。
ともかく。クリスマスは特別な日のはず。風丸くんはどうしてわたしなんかに声をかけたんだろう? ――あの日隣にいた、綺麗な女の子と過ごすんじゃないのか。思い出すとまた胸がちくちくする。
「二十五日に、はっきり聞いてみよう。どういうつもりでわたしに声をかけているのか」
手元のダスターに目を落とす。
興味本位なのか。それとも、万が一にでも友達にでもなりたいのだろうか。彼はすでに人気者だから、わたしみたいなのと友達になる理由は一つも見当たらないのだけれど――。
彼のことをよく知れば、その意図が分かると思って一緒に鎌倉へ行った。でも、結局分からなかった。
脳裏にちらつく、綺麗な女の人。もう、このことを思い出して嫌な気持ちになりたくなかった。きっとはっきりさせた方が楽だ。
スマホに指を滑らせる。
『わかりました』
送信アイコンをタップして、すぐに画面を消してポケットに戻す。さっさと残りの仕事を片付けて、話に花を咲かせている洋子さんと治郎さんのところへ行く。
「終わりました。しめじと一緒にスモモを採って来ますね」
「ありがとう! 気を付けてね。このあとわたしは治郎ちゃんと一杯飲みに行くから、アンジュちゃんも好きに過ごしてちょうだいね」
「アンジュちゃんの夕飯は厨房にあるからな! 海鮮丼だ」
「はい。ありがとうございます」
手を振る二人を残して、わたしはしめじとスモモのところへ向かう。このまま時が止まってしまえば――来月二十五日なんて来なければいいのにと思いながら。
◇
こういう時に限って、いつもより早く時が流れる気がするのはなぜだろう。
紅葉した木々が散るころには長袖では寒くなり、セーターを引っ張り出す。そして吐く息が白くなり、しめじは冬毛で丸々としたシルエットになる。勉強と店の手伝い、魔法の練習と忙しくしているうちに、あっという間にその日はやってきてしまった。
来ないでほしい来ないでほしいと思っていたその日――十二月二十五日の朝。何とも言えない気分で、わたしはのろのろと出かける準備をしていた。




