もうだめ!!
高校二年生――修行二年目の夏休みが終了した。
学校が再開して、またいつもの日々が始まる。朝七時十五分に小桃ちゃんと合流して、学校に行く。授業を終えて、図書館に寄って帰り、お店の手伝いをする。そんな毎日だ。
しかし、三つ変わったことがある。まず、お店の手伝いのあと、これまで箒を作っていた時間は、魔法の練習にあてるようになった。詠唱する呪文は、かつて閉じ込められていた倉庫で読んだ書物に記されていたものだ。その言葉に真珠と一緒に魔力を練り込み、魔法を発現させるのだ。
「近所迷惑にならない程度ならいいわよ」と言ってくれた洋子さんも、興味津々な様子で練習を見に来ている。
そして二つ目。わたしの上履きは、毎日下駄箱でわたしを迎えてくれるようになった。そのほかの細々とした嫌がらせのようなものも、ぴたりと無くなった。多分、というかほぼ確実に、これまでの件は鈴木さんたちによるものだったのだろうと、小桃ちゃんは推理していた。
洋子さんは詳しく教えてくれなかったけれど、彼女たちが魚心亭に来たあの夜のことは、器物損壊ということで警察沙汰になっていたらしい。学校と家族に相当しぼられたみたいだと、これも噂話に詳しい小桃ちゃんが教えてくれた。
教室で顔を合わせても、相変わらず会話をすることはない。でも、攻撃的なことは一切なくなった。
最後は――風丸くんのことだ。二学期が始まってからも、何回か「今日、部活が休みなんだけど」と言ってくれたのだけど。あの綺麗な女の子の顔が脳裏にちらついてしまい、「わたしも予定はない」と答えることができなくなっていた。
彼がどういうつもりでわたしに声をかけているのか、その真意が知りたいようで、知りたくなかった。だから、適当に返事を濁して、逃げるように図書館へ向かった。どうしてか彼はひどく傷ついたような顔をするのが、わたしの心を締め付けた。
◇
「真珠。今日も成長の魔法を練習したいわ」
「わかった。成長の魔法だね」
夏が過ぎ、肌寒い日も増えてきた十月の終わり。枯れ葉舞い散る魚心亭の庭で、わたしは小枝を握りしめていた。
目の前には、茶色の植木鉢が一つ。店のデザートに出したスモモの種をまいたものだ。それをじっと見つめながら、胸の奥のあたりに意識を集中させる。
――ある一点で、感覚のピースがカチッと合う。そこから座標をずらさないまま、定められた呪文を口にする。
「תן לך את דמעות האל.」
手に持った小枝で、植木鉢に軽く触れる。
途端、真珠の身体が虹色に光る。夜の庭が一瞬だけ昼間のようにぱあっと明るくなり、すぐにまた暗くなる。
目の前の植木鉢の土が、こんもりと膨れ上がる。そして、にょきっと音を立てて芽が吹き出した。
「ここからね、アンジュちゃん。昨日は葉っぱがいくつか出たけれど、つぼみで終わっちゃったものねえ」
縁側に座っておはぎを食べている洋子さんが言う。
「――昨日よりは、いいタイミングで発動できたと思います。だんだん感覚が掴めてきました。つぼみまで出来てくれたらいいんですが――」
魔力を練ったあと、呪文を唱える前。その感覚をとある一点に合わせるという段階がなかなか難しかった。真珠曰く、わたしは強大な魔力を持っているらしいので、そこさえ掴めればどんな魔法でも使えるようになるらしいのだけど。いかんせんこの歳まで魔法を使えなかったので、一般の魔女が自然に習得するこの感覚がわたしには難しい。
植木鉢から飛び出た芽は、夜空に向かってぐんぐんと伸びていく。ぽんぽんっと左右に新鮮な葉を突き出し、まるで意志を持っているかのように茎をくねらせる。
「おっ。いい感じだよ、アンジュ様。もっと魔力を尖らせるようにして、送り続けてみて」
真珠が耳打ちをする。言われたとおりにぐっと精神を集中して、スモモに送り込む様をイメージする。――手ごたえはない。しかし目の前のスモモは成長の勢いを増し、みるみるうちにわたしの背丈を超える。
呆気に取られていると、どこか遠くから洋子さんと真珠の焦った声が聞こえた。
「ちょっ、アンジュちゃん! それ大丈夫なの!?」
「アンジュ様! もういい! もうやめて!」
植木鉢が砕け散るけたたましい音で、はっと我に返る。スモモの木はまるで魔物のように枝を伸ばし、魚心亭を包み込もうとしていた。ミシミシという不穏な音が、すぐそこまで迫っている。
これはまずい。やりすぎた――――!?
「すっ、ストップ!! もうだめ!!」
慌てて声を上げて、魔力の送り込みを中断する。唸り声をあげていたスモモは、ぴたりと成長をやめた。
ほっとすると同時に、くらりとめまいがして、芝生に膝をつく。
「アンジュちゃんっ。大丈夫!?」
駆け寄ってきてくれたのか、洋子さんの手がわたしの肩を掴む。ふわりと香る柔軟剤のにおいに、少しだけ安堵する。
「……すみません。大丈夫です。ちょっと、力を送りすぎたのかもしれません」
めまいは一瞬で収まった。きっともう大丈夫だ。しかし、立ち上がろうとしても、膝が震えてしまって力が入らない。
その様子を見た洋子さんは、ため息をついてわたしに告げた。
「……ちょっと? ――とにかく、今日はもうおしまいにして。部屋に戻ってしっかり休んでちょうだい」
「はい……。わかりました」
「ほら、わたしに掴まって」
「ありがとうございます」
洋子さんの肩を借りて、室内に戻る。
――その様子を後ろから見守る真珠。彼の頭にたわわに実ったスモモの実が一つ落ちてきてたんこぶを作ったことを翌日知って、わたしは申し訳なくも吹き出したのだった。




