甘くも辛くもない
わたしの座るテーブル。その五つほど向こうに、こちらを向いて座る男女がいた。男性は、風丸くん。そして彼の隣に座る女性は――。
「……誰かしら。同じクラスではないと思うけど……」
アッシュブラウンに染めた髪を、サイドから後ろへ編み込みにした女の子。少し離れたこの場所からでもわかるぐらい顔立ちは整っていて、まるでモデルのようだった。小桃ちゃんが可愛い系の美人だとすれば、この子は大人っぽい系の美人さんだ。
年齢としては、同じくらいかちょっと上だと思う。でも見覚えはない。もちろん、わたしが知っているのは去年と今年同じクラスだった女の子だけだけれど。
女の子はお水を汲んできたらしい。風丸くんの前に透明なコップを一つ置くと、彼は顔を上げ、ちょっと頭を下げた。そして二人は親し気に話し始める。
「……」
何を話しているのかまでは、さすがに分からない。なんとなく気になりつつも、手元のブザーが鳴ったので、自分の食事をとりに行く。
サファリカレーセットを受け取って席に戻ると、風丸くんたちはちょうど席を立つところだった。万が一にでも気づかれたら気まずいなと思って、慌てて顔を下げる。
しばらくそのままじっとして、そろりと視線を上げて彼らがいなくなったことを確認する。ちらりと窓の外を見ると、背の高い男女が連れだって歩いていくのが見えた。二人ともすらっとしていて、空気感がとてもしっくり馴染んでいるように感じた。
「……デート、かしら」
口にした途端。むずむず、と胸に違和感を覚える。今は夏休み。なんでもない女の子と二人で来るなんてことはしないだろう。
目で二人の姿を追う。楽しげに笑う、彼の顔。それはわたしに向けられたことのない種類のもので――何故だか心臓がきゅっと締め付けられた。
視線をテーブルに戻し、ゆっくりとカレーを口に運ぶ。甘くも辛くもない。香辛料の、ぴりっとした痺れと苦みを感じた。
◇
食事のあとは、犬の館や猫の館を見て回った。
そして最後にお土産屋さんに立ち寄り、洋子さんと小桃ちゃんにサファリ饅頭を購入した。白い饅頭に、可愛らしいライオンの焼き印が付けられたものだ。同じような饅頭は江ノ島にもあるのだけれど、結局こういうものを手に取ってしまうのはなぜなんだろうか。
薄暗くなってきた空を見上げながら、サファリ公園を後にする。蚊に刺された腕がかゆい。
少し迷いながらも箒を隠した茂みまでたどり着き、アトマイザーでネックレスに海水をかける。瞬き一つの間に真珠が姿を現した。彼のきらきらした色彩に、周囲がほんのり明るくなる。
「アンジュ様。お疲れ。帰るってことでいいのかな?」
「ええ。充実した時間を過ごせたわ」
「それは何よりだね」
暑さが和らいだためか、真珠はにこやかで元気そうだ。一つ頷き、彼と一緒に箒にまたがる。
そうしてわたしと真珠は、夜闇にまぎれて魚心亭まで戻ったのだった。
◇
洋子さんにお土産を渡して、可愛い動物にたくさん会えたことを伝える。洋子さんは「それは良かったわねえ」と喜んでくれた。
シャワーで一日の汗を流し、タオルで髪を拭きながら自室に戻る。
「……今日は、すごく楽しかったな」
この世界に来てから、自分の娯楽のために出かけたのは初めてかもしれない。学校か、お店の手伝いか、箒作りか。九割九分の日はそうやって過ぎていく中で、今日という日は宝石のようにかけがえのない輝きを持っていた。
今までの自分だったらしなかったであろう、時間の使い方。それをわたしにもたらしたのは、間違いなく真珠だ。彼と出会って、魔力を行使できるようになって。箒で空を飛べるようになってから、わたしの世界は少しずつ広がっている。
そっと首元のネックレスに触れる。
「真珠。今日もありがとうね」
わたしの祝福の石であり、わたしを強大な魔力から護ってくれている存在。生まれたときから一緒にいるこの宝石は、実の家族以上に身近で、そして温かい。他人と交流することが苦手なのに、彼とは気安く話せるから不思議だ。
時刻は二十二時。まだ少し時間があるから、夏休みの宿題を終わらせてしまおうか。そう考えて、机の上に問題集を並べる。
――ふと、昼間のレストランでの光景が頭に浮かぶ。風丸くんと、その隣に並ぶ綺麗な女の子の姿だ。
「風丸くんには、ああいう人が似合うわね……」
顔も、佇まいも、雰囲気も。彼の隣にいるその姿は、それが当たり前であるかのように自然だった。――わたしとは全然違う。
「比べる意味なんて全然ないのに可笑しいわ。わたしはそもそも、そういうんじゃないもの」
一回だけ、一緒に出かけたきり。その理由も、結局のところ分からないままだ。
この胸のむずむずは何だろうか。少し考えてみるけれど、分かる気はしなかった。
「――――宿題、やらなきゃ」
答えのわからない問題に頭を使うよりも、答えの出せる宿題に時間を使うべきだ。そう思って、数学の問題集をめくる。
――扇風機が生ぬるい空気をかき混ぜる。いつもは気にならない暑さが、なぜか今日は身にまとわりついて仕方なかった。




