わたしも魔女になれるんだろうか
魚心亭の自室に戻ると、真珠は「僕がいたら気になるでしょ? とりあえず、元の姿に戻るね」と爽やかに口角を上げ、ネックレスの姿に戻った。
てのひらに収まる小さなそれを見て、わたしはおもむろに頬をつねる。
「痛い」
――夢ではない。
壁にかかった時計を見る。朝の五時だ。魚心亭の営業が始まる十時まで寝てもいいのだけれど――。
「万が一にも夢だったら嫌だから」
たとえ夢だとしても、ずっと見ていたい。実はわたしには魔力があり、箒で空を飛ぶことができる。ずっと叶わないと思っていたことが、叶ったのだから。
寝るのが怖くなったわたしは、机の上に置かれた本を手に取る。夏休みに入る前に、図書室でどっさり借りてきたものだ。
ネックレスがあるということは、また丈夫なわたしに戻ったということ。であれば、一晩くらい寝なくても大丈夫だ。このまま本を読んで時間を潰そう。
そう考えたわたしはそっと首元のネックレスに触れて「ありがとう」と心の中で呟いた。
◇
すっかり元気になったけれど、洋子さんの言いつけでもう一日は大事をとった。
そして翌日から、魚心亭の手伝いに復帰することができた。魚心亭の営業中はお店の手伝いをして、夜は箒を作るか、勉強をするか、あるいは真珠と箒に乗ってドライブへ出かけている。
わたし一人では、相変わらず魔力は無いに等しい。真珠と一緒じゃないと――ネックレスではなく、青年の姿になった真珠と一緒でないと、魔力を行使して箒で空を飛ぶことはできないことが分かった。
ネックレスの真珠は、魔力を吸い、自身の中に溜めておくことしかできない。さらに能力が開花した青年の姿になると、溜めた魔力を使えるようだった。
そして面白いことに、しめじは真珠のことがなんとなく分かるらしい。しめじに魔力は無いから姿は見えていないはずなのだけれど、真珠のいる辺りをすんすんと鼻で嗅ぎまわり、ぺろりとその手を舐め上げたのだ。「ひえっ!?」と情けない声を上げた真珠を見て、思わず吹き出してしまった。彼はハンカチを取り出して手をごしごしと拭き、「僕、犬って苦手かも……」と小さく呟いていた。
逃げ惑う真珠と、鼻を効かせて彼を追いかけるしめじ。二人の姿を眺めながら、わたしは箒を編み込んでいく。
――彼と一緒なら、わたしも魔女になれるんだろうか。鈴木さんたちに壊された箒の補修が終わったら、魔法の練習をしてみたい。
◇
あっという間に日々は過ぎていき、夏休みは残すところ一週間となった。
今日も一日魚心亭の手伝いを終えて、わたしは自室で真珠と過ごしていた。宿題を仕上げるわたしの傍らで、彼は窓の下からこちらを見上げるしめじと睨み合っている。
「まったく。犬とは気が合わないよ。ほらアンジュ様見て。あいつ、僕のことを見て尻尾を振っているよ。威嚇してるんだ」
「犬が尻尾を振るのは、楽しいときよ。しめじは真珠のことが好きなんだと思うわ」
「ええ~? 嬉しくないなあ。あいつのよだれは生臭い」
渋い顔をする真珠に、思わず頬が緩む。出会ったときは無機質で掴みどころのない人物だと思ったけれど、案外表情豊かな一面があることが分かってきた。
教科書をぱたりと閉じて、横に置く。ページがめくれるため横に向けていた扇風機の首を、こちらに戻す。
「犬以外の動物はどうなの?」
「うーん。分からないなあ。この姿では会ったことが無いから」
「じゃあ、今度の飛行先は動物園にしてみる?」
「動物園か……」
二日に一回は箒に乗って出かけているので、そろそろ行き先に悩むようになっていた。
行ったことはないけれど、動物園にはいろいろな種類の動物がいるらしい。真珠が気に入る動物もいるかもしれない。
しかし、彼は半目になってわたしを見た。
「動物園は、アンジュ様が行きたいだけでしょ?」
「あっ……!」
言われてみれば、確かにわたしは動物が好きだ。理由は簡単、魔力が無くてもわたしを虐げないから。
魚心亭に来てしめじと触れ合ううちにその想いは強くなり、物言わぬ動物のほうが、よっぽど魔女や一部の人間より親しみやすいとい感じている。
「アンジュ様が行きたいなら、僕は着いていくまでだけど。ご主人様だからねえ」
窓の桟に頬杖をつき、長い足を投げ出した真珠がぼそりと言う。明らかに乗り気ではない。
いつものわたしなら、すぐに自分の気持ちを引っ込めただろう。でも、自分の片割れにも感じられる彼には、不思議とそのままの気持ちを出すことができた。
「じゃあ……次の夜は動物園に行きたいな」
「わかった。でも、夜は動物も寝てるんじゃない? せっかくなら昼間に行ったほうがよく見れるんじゃないの?」
動物が苦手なのに、わたしを気遣う真珠。
「そうね。でも昼間はお店の手伝いがあるから」
「一日くらい休んだって平気だよ。っていうか、休んだほうがいいよ。洋子さんにも休みを取るように言われてたでしょ」
「それは……そうなんだけど」
寝込んでいた約二週間以外は、毎日お店に出ている。わたしは全く苦ではないし、疲れてもいないから平気なんだけれど。洋子さんは「もうすぐ夏休みが終わっちゃうわよ!? 休んで大丈夫だから、少しは遊びに出かけなさいっ!」とここ数日毎日言っている。このまま休まなければ、八月三十一日は強制的に休みになりそうな勢いだ。
であれば、休みを申し出ても同じだという気がしてくる。真珠の青い目を見て、わたしは頷いた。
「……わかった。明日、洋子さんに聞いてみる」
「うん。いい子だね」
ぽんぽん、とわたしの頭を軽く叩く真珠。
子どもじゃないのになあ。と思って睨みつけると、彼はにやりと笑って大げさに肩をすくめた。
「じゃあ、僕は元に戻るよ。おやすみなさいアンジュ様。いい夢を」
「真珠もね。おやすみなさい」
瞬き一つの間に、彼はネックレスへと姿を変えた。ゴールドのチェーンに一粒の真珠が付いたそれが、かさりと音を立てて畳に落ちる。
丁寧に拾い上げて、首の後ろへと手を回す。
「真珠が現れるようになって、ずいぶん賑やかになった気がするわ。話し相手がいるって、こんなに楽しいことなのね」
しゃべることは不得意だったはずなのに。彼が来てからは、しゃべりすぎて頬が痛むということを何度か経験したくらいだ。
「動物園、かあ。ふふっ、どんなところか楽しみ」
たくさんの動物に会えることを想像すると、自然と頬が緩む。いつだかテレビで見たけれど、園によっては動物に触れるコーナーもあるらしい。ぜひ立ち寄りたい。
――時刻は二十二時。いつもの就寝時間より少し早いけれど、今日はもう寝よう。そう決めて、勉強道具を片付ける。
布団を敷き、照明から伸びる紐を引っ張る。カチンという音とともに、部屋は真っ暗になった。
しかし、わたしの心はいつまでも灯りがともっているかのように、晴れやかだった。




