本当に殺したかったのは
「うん、分かっているよ。わざとじゃないってことはね。アンジュ様が本当に殺したかったのは両親だものね?」
「っ、それは」
大きな手のひらが、優しくわたしの背中をなでる。
「我慢ができなかったんだよね。あんな扱いをされて。わかる、わかるよ。だから僕はアンジュ様を責めているわけじゃない。僕を信じてくれたらそれでいいのさ」
低く澄んだ声で、彼はささやいた。しかし、わたしは当時のことを思い出してがたがたと震えるばかり。何か言おうとしても口がはくはくするだけで、まるで喉が締め付けられているかのように苦しい。
「倉庫の地窓からギリギリ手の届くところに毒草が生えてた。アンジュ様はそれを集めて、干して、雨水で抽出して。毒成分が濃縮された薬液を作ったんだ。使うかどうか悩んでいたよね。で、結局倉庫の奥のほうにしまい込んだ。それを忘れたころ、ノアが薬瓶を倒して中身を舐めてしまった――」
――そう。それは、わたしが何もかもを諦める前の話。
おそらく、十歳頃だったと思う。魔力がないから虐げられても仕方がないと分かってはいたけれど、頭と心が追い付いていかなくて、寂しさとフラストレーションが募っていた。
そんな中、「あれは毒草だから、口にしてはいけないよ。少量なら大したことにはならないけれど、たくさん飲むとただじゃすまないからね」と昔おばあちゃんが教えてくれた草が手の届くところにあることに気づいて――。
「……わたし、どうかしていたわ」
「うん、分かってるよ」
作り方は倉庫に積まれていた『調合大全』に書いてあった。暇で暇で仕方なかったわたしは、それを空で言えるほどに読み込んでいた。
使うかどうかは別として、やり場のない思いをぶつけながら毒薬を作った。完成した紫色の毒液を見て我に返り、すごく怖くなった。これを飲めば、両親は死ぬ。なんて恐ろしいものを作ってしまったんだと。目に入るのも恐ろしくて、倉庫の隅にしまい込んだ。まさかノアがそれに興味を持つなんて思わなくて――。
冷たくなり、動かなくなったノアの遺骸を前にして。わたしは涙が枯れるまで泣いた。大変なことをしてしまったという焦燥感。ノアを失った悲しみ。自分の罪深さ。虐げられるつらさ悲しさを嫌というほど知っているのに、なんの罪もない命を奪ってしまったと。
その瞬間から、わたしは己の身に降りかかるすべてのことを受け入れるようになった。わたしは大切にされる価値なんてない。虐げられるのも当然だ。罰を受けるべきなのだから。
だから今、震える資格だってないのだ。必死に両腕をつかみ、歯を食いしばる。
そんなわたしの状況とは正反対に、青年は明るい調子で続けた。
「さあ、アンジュ様。これで僕が真珠だって信じてくれた? 大丈夫だよ、もちろん僕はアンジュ様の味方だから。ごめんね、こんなに震えちゃって。例えが刺激的過ぎたかもしれないな」
「…………ええ。あなたが真珠だってこと、信じる」
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
彼を疑う気持ちなど、もはや微塵も残っていなかった。打ちひしがれたような気持ちでわたしは彼から離れる。
その様子を見て、真珠は長い腕を曲げて頭をかいた。
「……怖がらせちゃったかな? ごめんね。僕は人間でもないし、魔物でもない。だから、相手の感情がどうとかっていうのがよくわからないんだ」
困ったように微笑む真珠。その顔に一切悪気は感じられない。どこか他人事な一面に、確かに彼は無機質な石なのだと感じさせた。
からからに乾いた喉で、なんとか声を絞り出す。
「……あなたは、海の中からどうしてここに戻ってこられたの?」
「僕とアンジュ様は魔力を共有しているからね。魔力のありかを認知できれば、簡単に側に来ることができるよ。夢でアンジュ様が僕を見つけてくれて、本当に嬉しかったよ」
ふたたび、混じりっ気のない笑顔をこちらに向ける。
わたしの魔力は普通の魔女の千分の一しかないのに。そんな微量でも感知できるなんて、祝福の石との繋がりはすごいのだなあと思う。
習わしに従って付けていた祝福の石が、こうして戻って来られるなんて――。不思議なこともあるものだと、まじまじと彼の顔を見つめる。
ふと、薄暗い部屋で話すのもなんだなと、今更気づく。力の抜けた足を叱咤して、天井の照明からぶら下がる紐を引く。カチッカチッという音がして、一気に部屋が明るくなった。
「やあ、ずいぶん明るくなったね。もしかして僕のことを気遣ってくれた? ありがとう。でも大丈夫だよ。僕は魔力が具現化した存在だから、明るくても暗くても同じなんだ。感覚ですべてを認識しているからね」
「そっ、そうなの……」
彼の言葉よりも。わたしはその姿に目を奪われた。
蛍光灯に照らされた真珠は、場違いに美しかった。年季の入った和風の部屋に、まるでそこだけ絵画のように別世界だ。
すっと通った眉と鼻筋に、長いまつげ。神経質な芸術家が作り上げたかのような、細部まで完成された顔立ちだ。暗がりでもきらめいていた髪は眩しいくらいに輝き、青い瞳はまるで澄んだ海を思わせ、肌はきめ細かくまるで陶器のよう。余裕感のある態度も相まって、わたしにあてがわれたことが不思議なくらい、何もかもが完璧だ。
「真珠は……ずいぶん美しい姿をしているのね」
先ほどまで感じていた恐怖を打ち消すくらいの美しさ。圧倒的なそれに、思わず感嘆の言葉が口を漏れて出た。
「ありがとう。僕はただの石ころじゃなくて宝石だからね。見た目も能力も、それなりに備わっているんだ」
「能力って、なんのこと?」
祝福の石は、その子どもに対するラッキーアイテムのようなもの。だからそれは、言い方を変えれば古くから伝わる信仰に過ぎない。日本で言うお守りのようなものだから、具体的に能力があるという話は聞いたことがない。
聞き返すと、真珠は目を細め、口角を上げた。
「じゃあ、さっそく体験してみようか」
「た、体験!? ちょっと、どういうこと……?」
彼は長い足ですたすた歩き、おもむろに窓を開ける。そしてわたしの手を取って引っ張り、窓のほうへ誘い――
「えっ、ちょっ、待って!? ――――きっ、きゃああああああ!?」
真珠はわたしを抱えて、窓から身を投げた。




