最低だ、わたし
「えっ」
「しらばっくれないで。二人で学校を出て、電車に乗るのを見たって子がいるんだから」
すごく怖い顔をした鈴木さん。ほかの三人も、同じようにこちらを睨んでいる。
ここではっと思い出す。彼女たちは風丸くんに熱視線を送る女子たちの一人で、先日の体育でも、バスケットをする風丸くんをコートの外で応援していたことを。
「なんであんたなんかが彼に気に入られるのよ。汚い手でも使ったの?」
「……い、いや、わたしはなにも……。ただ席が近いだけで……」
わたしだって、どうして彼に声をかけられているのか分からない。それを知るために一緒にお出かけをしただけで、断じてデートなんかじゃない。昨夜布団の中に入ってそのことをもう一度考えてみたのだけれど、やっぱり答えは分からないままだ。
――じっとりとした嫌な汗を背中に感じながら、そう答えた。途端、鈴木さんの表情がこわばる。
「あんた、うちらを馬鹿にしてんの!? それに、あんた自分の荷物を風丸くんに持たせてたんでしょ!? ほんとうに何様なのよっ」
「ちょっと美人だからって調子に乗りすぎでしょ!」
「いじめられてるくせにっ」
「風丸くんは優しいからあんたのことを気にしてあげてるだけ。勘違いしないでよね!」
次々と飛んでくる罵声。
不快さよりも、驚きが上回る。わたしなんかが風丸くんとどうにかなる訳がないのだから。鈴木さんたちが心配する必要は全くない。だから提案した。
「わたしに価値がないことはわかってます。風丸くんも、それは分かっていると思います。……みなさんは、風丸くんのことが好きなんですよね? そうしたら、今度彼の部活が無い日と言われた日はお声がけしましょうか……? わたしはいいので、みなさんが出かけたらどうでしょう」
――言い終えた瞬間。わたしの視界は激しく揺れて、頬に熱が走った。
しまった。わたしは何かを間違えてしまった。――そう気づくのは、あまりに遅すぎた。
頬を打たれて、よろりと地面に膝をつく。鈴木さんが胸ぐらを引き寄せ、何かを掴んで力任せに引っ張った。
――――ブチッ。
脳裏に残る、嫌な音がした。
「なによこんなものっ! 地味なくせして生意気なのよ!!」
「あっ……!」
鈴木さんの右手からは、ゴールドのチェーンがのぞいている。わたしのネックレスだ。
彼女は助走をつけてそれを振りかぶり――庭の端から海に向かって腕を振った。
彼女の手からきらりと光るものが見え――それはすぐに、見えなくなる。放物線は闇夜にまぎれ、もはやどこに落ちたのかさえ分からない。
「う、嘘……っ」
切り立った庭の端から身を乗り出し、眼下に広がる黒い海を見下ろす。
あれは、魔女の子どもが持って産まれる祝福だ。一生に身に着けて、その加護を受けるもの――
散々な人生を送っているから、祝福なんてただの言い伝えなのかもしれない。それでも、わたしがわたしである証のように感じられて、大切に身に着けていたのに。
呆然とするわたしをよそに、鈴木さんたちは周囲を見渡し、そして庭の隅に向かった。そちらにあるのは物置小屋だ。
「あ……そっちは……」
喉が締め付けられたようになり、上手く声が出ない。
そんなわたしを見て、彼女たちは歪に笑う。
「あんた、夜な夜な箒を作ってるんだって? 去年同じクラスだった子が言ってた。骸骨の癖に、気色悪いわね」
――そこからの記憶は曖昧だ。
鍵のついていない物置小屋はいとも簡単に暴かれた。中に入っている箒や、作りかけのものが次々と引っ張り出され、そして踏みつぶされていく。穂の枝が折られ、乾燥エニシダはぶちまけられ、座布団は踏みつけられ――。悪夢のような光景のなか、しめじだけが彼女たちを糾弾するように激しく吠えていた――――。
◇
意識が浮上した時には、わたしは布団の中にいた。
ひどく体が重い。先ほどの光景がフラッシュバックして、吐き気を催した。
「うっ……」
「起きたのね。いま洗面器を持ってくるわ。お水は枕元にあるから」
洋子さんの優しい声がした。そのトーンに、ほんの少しだけ心が落ち着く。ここはもう安全だ――。
体を起こし、枕元に置かれたコップを手に取る。よく冷えた水が身体を駆け巡る。
「はあ……」
背中が汗でべったりしていて気持ちが悪い。暑さでかいたものとは質が違って、とても嫌な感触だった。
静かにふすまが開き、洋子さんが戻ってくる。
「お待たせ。洗面器はここに置くわね。……動けそうなら、着替えましょうか。お顔の汗は拭いたけど、身体も気持ちが悪いでしょう」
「……そうします。すみません。洋子さん」
「いいのよ。大変だったわね。ごめんなさいね、気づけなくて」
何も聞いてこない洋子さんの態度に、涙がこぼれそうになる。
とうとう、わたしが学校でいじめられていることに気づかれてしまった。洋子さんには心配をかけたくなかったのに――。
「あとのことは気にしなくていい、とだけ伝えておくわ。治郎ちゃんが学校に連絡を入れて、彼女たちを島の入り口まで連れて行ってくれたから」
「治郎さんが。ご迷惑をおかけして、すみません」
関係のない治郎さんまで巻き込んでしまって。ますます自分が嫌になる。
「……アンジュちゃん。明日、詳しく教えてくれるわね? 今までのこと」
泣きそうな、洋子さんの声。
驚いて顔をあげると、ここに来てから初めて見る、とても悲しそうな表情をしていた。
その顔を見て、いっそう胸が苦しくなる。
「…………はい」
「ありがとう。じゃ、今はとにかくゆっくり休んだほうがいいわ。何かあったらいつでもわたしの部屋に来てちょうだい。スマホで連絡くれても大丈夫だから」
そう言って、洋子さんは部屋から出ていった。トンとふすまが閉まる音が、空しく響く。
「はぁ……。最低だ、わたし」
バサッとタオルケットをかぶり、その中で丸くなる。
不用意な発言で鈴木さんたちを怒らせて、自分の大切なものを失って。洋子さんにも心配をかけてしまっている。もう一度よく振り返ってみようと思うのだけれど、頭の中がぐちゃぐちゃで、無理やり思い出そうとすると吐き気がする。
これまでどれだけ辛い目に遭っても健康だけが取り柄だった。こうして体調に影響が出るのは初めてかもしれない。
「だめだ……とりあえず寝よう」
目をつむり、無心になると少しは楽だ。
一晩寝れば、身体は元気になるだろう。すべてを明日に先送りして、わたしは眠ることを選択した。
しかし次の日も、その次の日も、わたしは布団から起き上がることができなかった。




