表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】江ノ島の魔女  作者: 優月アカネ@重版御礼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/51

俺は……楽しいけど

「じっ、ジュースが六百円もします!!」


 その言葉を聞いた風丸くんは、ぶっと吹き出した。店員さんが置いて行ってくれたお水を口に含んだところだった。


「お前……そこかよ!?」


 急いでハンカチを取り出し、顔を赤くして叫ぶ風丸くん。


「あ、いえ……。すみません。ちょっと驚いちゃって。だって、うちのお店では……あ、わたしの下宿先は食堂なんですけど。そこでは三百五十円で飲めるんですよ」

「まあ、ここは立地もいいし、いろいろ凝ってる店だからな。こんぐらいするのは普通だろ」

「はあ、そうなんですか……」


 その言葉に、再びメニュー表に目を落とす。そこに書かれているのは「丸しぼりグレープフルーツジュース」「イギリス直輸入アールグレイティー」「自家製ジンジャエール」などといったものだ、確かに魚心亭に置いている瓶ジュースよりも、こだわりが感じられた。

 それにしても、ジュースが六百円するならば食事はいくらするのだろう。お財布の中身に心細さを覚えつつ、食事のメニューに視線を移す。

 そちらは思っていたよりリーズナブルなものが並んでいた。一番安いパスタは千円ちょっとで食べられる。


「あ。じゃあ、わたしはグレープフルーツジュースと、森のきのこパスタにします」


 そう言って、風丸くんにメニュー表を渡す。

 彼はそれを受け取り、パッと目を走らせる。そして、すぐに店員さんを呼んだ。


「グレープフルーツジュースと、森のきのこパスタ。それから、アイスコーヒーと鎌倉野菜のパスタをお願いします」

「かしこまりました。お飲み物はすぐにお持ちしてよろしいでしょうか?」


「大丈夫?」


 彼がこちらを見たので、こくこくと首を縦に振る。


「先でお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 店員さんはにこやかにオーダーをとり、去っていった。


「……っていうか、小早川って下宿してたんだな」


 こちらに向き直った風丸くんが呟いた。


「そうなんです。親戚のおばさんのところに」


 魔女になるための修行で、とは言えない。


 洋子さんと共有している人間界用の設定はこうだ。わたしに母親はおらず、父親は海外赴任中。そのため叔母である洋子さんのところから高校に通っている。高校卒業とほぼ同時に修行は終わるため、そのあとは父親のところへ行ったということにしてもらう予定だ。


「そうなんだ」

「はい……」


 修行は残り一年半。そのあとのことについては、何も決まっていない。


 修行を終えたからと言って魔力が発生するわけではない。形式的に魔女と名乗れるようになるだけだ。なんの取り柄もなく、国に居場所がないわたしは、どうやって生計を立てていけばいいのだろう……。


 このことを考えると、いつも暗い気持ちになる。時間が後戻りをすることはないし、時を止められるのは大魔法使いぐらい。修行終了までのタイムリミットは、今この瞬間も刻々とカウントされている。


「……あー。ごめん。俺といても、つまらないよな。本当は、しゃべるのはあんまり得意じゃないんだ」

「えっ?」


 顔をあげると、風丸くんが困ったような顔をしていた。

 その表情を見て、わたしは自分の無礼に気が付いた。考え込んでしまい、知らず知らずのうちに俯いてしまっていた。


「すっ、すみません! 風丸くんといるのがつまらないんじゃなくて、ちょっと嫌なことを思い出しただけなんです! 一緒にいるのに違うことを考えるなんて、すごく失礼でした。ごめんなさい」

「……ほんとうに?」

「はい。もちろんです。むしろわたしこそ……しゃべるのは苦手で。風丸くんに気を使わせちゃってますよね」


 ここまでの道中、彼はたくさん話しかけてくれた。しかし、わたしはそれに一言二言返すだけで、気の利いた返事は何一つできていない。


 ソルシエールにいたときは誰とも会話がなかったし、こちらに来てからも洋子さんと小桃ちゃん、たまにの治郎さんとしか話さない。そもそも会話の経験が少ないのに、そのうえ男性ともなれば、もうどうしたらよいのか分からないのである。父親以外でかかわる男性としては治郎さんに次いで二人目、同年代では初めてなのだから。


「俺は……楽しいけど」


 ぎりぎり聞こえるぐらいの小さな声で、風丸くんは言った。


「風丸くんは、楽しいんですか」


 驚いたわたしは、その言葉を繰り返した。一緒にいて楽しいなど、生まれて初めて言われた。


 にわかには信じられないようなことだけれど……こうして面と言われると、どこかくすぐったくて、恥ずかしいような心地になる。彼のことはよく知らないけれど、悪い人ではないというふうに感じた。


「お待たせしました。お飲み物をお持ちしました」

「あっ、ありがとうございます」


 店員さんが飲み物を持ってきたことによって、空気感が改まる。

 氷がたっぷり入ったグラスを手にとり、さっそくストローに口をつける。よく冷えたグレープフルーツジュースが喉から食道へと流れ込むのがよくわかる。果実の酸味とほろ苦さが、口いっぱいに広がった。


「……もし小早川が嫌じゃなかったらさ。このあと、ちょっと鎌倉をぶらつかない? 駅の向こう側にはお店とかお寺がたくさんあるんだ」


 風丸くんは、アイスコーヒーには手を付けず、わたしを見ていた。

 ご飯だけじゃなくて、そのあとも……? 彼の言葉を聞いて感じたのは、戸惑いだ。


 こんなわたしと長時間一緒にいて、本当に大丈夫なんだろうか。男の人と街をぶらつくなんてしたことがないし、今は楽しいと言ってくれても、ほどなく飽きてしまうんじゃないだろうか……。さまざまな不安が胸に渦巻く。


 しかし、ふと洋子さんの言葉を思い出す。「その日は彼の言うことに従って、楽しんでらっしゃい」と。それが、風丸くんという人間を理解することになると。

 そういえば、と更に思い出す。ポケットに入れたスマホを確認すると、メッセージアプリに一件通知が入っている。タップして確認すると、やはり洋子さんからだった。

 学校を出るときに送った内容の返信で、「わかったわ。素敵な時間を過ごしてね」という文章だった。


 ――素敵な時間。果たしてそうなれるかはわからないけれど――。

 そうなればいいな、というささやかな希望は確かにあった。江の島に修行に来て以来、他の街に来たのは初めてだから。


 緊張しているような面持ちの風丸くんに向かって、わたしは口を開いた。


「はい。わたしでよければ行きましょう」


 その瞬間、彼の目がぱあっと輝いた。

 そして、わたしの胸には温かいものが広がった。


 ――修行が終わるまで、あと一年半。少しはこういったことをしてみてもいいのかもしれない。友達、と呼ぶのは恐れ多いけれど。悪意無くわたしに接してくれる彼のことを、単純にもっとよく知りたいと思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ランチデート 良いなあ~ また後で読みに行きます。
[良い点] 風丸くん、いい奴だな。 お互い初々しい感じがまた良いです。 しかしジュース六百円は少し高いですね。 アンジュと風丸くんはお互いにコミュ障っぽいから お似合いな感じもするが、これを機にまた虐…
[良い点] んぁぁあああグレフルみたいに甘酸っぱいよぉおお~!! 二人のことをちょっと離れた席でにっがいブラックコーヒーを飲みながら、ニヤニヤと眺めたいですww このあとのデート(といっていいのか?…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ