……なんか新鮮だな。いつも下ろしてるから
学校を出たわたしたちは、江ノ島駅にいた。
「二十分くらい移動するけど平気?」
「はい、大丈夫です」
江ノ島電鉄、江ノ島駅。カントリー風の駅舎のなか、二番ホームのベンチに座って電車を待つ。
風丸くんは襟をゆるめてうちわをぱたぱたと仰いでいる。その風がわたしのほうまで流れて来るので、意図せず涼しさを頂いてしまっている。
とはいえ、ここまで十五分ほど歩いた結果、背中や首元は汗だくだ。さすがに暑いので、鞄の外ポケットからゴムを取り出して髪をしばる。
「……なんか新鮮だな。いつも下ろしてるから」
「下ろしているほうが落ち着くんですけれど。今はすごく熱がこもっているので、結んじゃいました」
「そっか」
――沈黙が流れる。ぱたぱたといううちわの音が耳に響く。
「そんなネックレス、してたんだ」
風丸くんの視線は、引き続きわたしの首元にあった。
髪をあげたことによって、ネックレスのチェーンがよく見えるようになったのだと気づく。
「ああ、そうなんです。これはその……気に入ってて。いつも着けてますね」
「……誰かからもらったのか?」
「まあ、そうですね。わたしが生まれたとき、お祝いとしてもらったものです」
「なんだ、そういうことか」
どこか嬉しそうな顔をして、彼は正面に向き直った。
それを不思議に思いながら、このネックレスのことをふと考える。
――魔女の子どもは、石を握りしめて産まれてくる。その石は神の祝福と考えられていて、その子にとって幸福のアイテムとなるものだ。ピアスに加工したり、指輪にしたり、わたしのようにネックレスにしたりと形は様々だけど、一生肌身離さず身に着けて過ごすのが、ソルシエールでの慣習となっている。
これが常識だったから、洋子さんから「人間の子どもは石を持って産まれないのよ」と聞いたときは驚いた。
そして珍しいことに、わたしの石は真珠だ。真珠とは宝石であり、ただの石ころを持って産まれる子どもが大多数のなかで、非常に稀なことらしい。そう思うと、わたしの人生は生まれた瞬間に運を使い果たしたのかもしれない。
長らく幽閉されていた関係で、祖国に関するわたしの知識は豊富とは言えない。幼いころの記憶や家族や近所の人の話し声、そして倉庫に積まれた大量の書物から知識は得てきた。修行が決まってからは、修行協会からもらった国内外の資料を読み込んで、そこでようやく人並み程度に身に付いた。
そんなことを考えていると、列車が近づいていることを知らせるアナウンスが流れ始めた。
「これに乗るぞ」
「はい」
ガタンゴトンという走行音とともに、緑と黄色の配色をした車両がホームに入ってくる。
江ノ電は二両編成で、こぢんまりとしている。彼の後について車内に入り、シートに腰をおろす。
県内の高校は今日が終了式だ。それもあってか、車内は制服を着た人が多い。あとは地元住民のような人がぱらぱらと座っている。
車内はクーラーが効いていてとても心地がよい。背もたれに身を預けると、思わずふうとため息が漏れた。
◇
窓の向こうに流れる海を眺めていたら、あっという間に時間は過ぎた。
わたしたちが下車したのは、鎌倉駅だった。駅舎は江ノ島と同じカントリー調。江ノ電の駅はすべてこうなのだろうか。
「鎌倉、小早川はよく来る?」
「いえ。名前は知っていますけど、初めて下りました」
「そっか」
西口と書かれた出口から外に出る。時刻は十三時近い。頭の真上にある太陽が、刺すようにわたしたちを照り付けた。
「店はすぐだから。もうちょい我慢して」
少し前を歩く風丸くんが、わたしを気遣うように声をかけてくれた。
「わたしは大丈夫です。それより、ずっと荷物を持ってもらっちゃってすみません……」
彼はずっとわたしの重たい鞄を持ってくれている。この暑い中、たいへんな重労働をさせてしまっている。何回か「自分で持てますから」と言ったんだけれど、彼はそのたびに断った。
「あ? このくらい全然平気だから。普段部活でめちゃくちゃ走りこんでるし」
「……」
またこの台詞だ。しかしそうは言っても、風丸くんはすごく汗をかいている。クーラーの効いていた電車内でさえ、しょっちゅうタオルで顔を押さえていたくらいだ。
パーマのかかった髪の下から頬を伝う汗。目で追うと、とても肌が綺麗なことに気づく。
「な、なんだよっ。本当に平気だから! あんまし見んなって!」
「……すみません」
それきり、彼は言葉を発しなくなってしまった。
仕方がないので、黙って後をついていった。
「――ここだ」
「はい」
彼が足を止めたのは、道沿いの他の建物と比べて、ひときわ緑が豊かな場所だった。
敷地入口のアーチには蔦が絡まり、背の高い木が覆いかぶさっている。それを眺めながら中に進むと、煉瓦でできたアプローチにもさまざまな植木鉢が置かれ、ひざ丈の植物が生い茂っている。非日常を感じさせる雰囲気に驚きながら、歩いていく。
店の入り口前にはモノトーンの看板がいくつか出ていて、そのうちの一つに「鎌倉ガーデンカフェ」と書いてあった。もう一つのほうはメニューのようだ。
風丸くんがドアを開けると、リンとベルが鳴る。少し離れた場所にいる店員さんがこちらに気づき、「お好きな席へどうぞ」とにこやかに言った。
「テラスのほうが眺めがよさそうだけど……暑いから中にするか?」
「風丸くんの好きなところで大丈夫です」
「……じゃあ、中で」
二方向がガラス張りになった店内は、とても開放感があった。ランダムに置かれている座席はすべてデザインが異なっている。ソファーもあれば、北欧風の椅子もあり、クラシカルな長椅子もあった。
ガラスの向こうにはパラソルがついた屋外テラスも見え、確かに緑が素敵な席だと思った。だけど、彼の言う通り今の季節はちょっと厳しいものがあるだろう。そこを利用しているお客さんは一人もいなかった。
風丸くんが選んだのは、ベロアの生地が張られたソファー席。背もたれにはパンチが加工されていて、可愛らしいデザインだ。
おしゃれすぎる空間に緊張を覚えながら、彼の正面に腰を下ろす。
「ほい。これがメニュー」
「あっ、すみません」
手渡された白いメニュー表を開き――わたしは目を疑った。