表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

「社会勉強」とは何か

作者: キジロ・J

読みにくいとは思いますが、宜しくお願いします。

これは、あくまで持論になります。正しい考えとは限りません。

皆様、各々で己の考えと向き合ってください。

 私は生きている中で、よく言われてきたことがあります。それは、「社会勉強」です。聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。むしろ、大体皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。私の場合は、中学生の頃から聞いてきました。おかげで、教員には並々ならぬ不信感を抱いております。この「社会勉強」が、それに関係しています。


 まず、私は小学生の頃にいじめを受けていました。とはいえ、暴行などはありません。無視されたり陰口を叩かれたり、バイ菌扱いされる、仲間外れにされるなど陰湿なものばかりです。その際は、担任教員や信頼のおける教員に相談しました。すると、すぐに対応してくださいました。しかし、いじめはなくなりませんでした。教員の口頭だけの注意のみでは、何も変わりませんでした。それで、いじめが酷くなるといったことはありませんでしたが、私の性格はますます暗くなって、人間不信のようになっていきました。しかし、教員には多少なりとも感謝しています。相談して、すぐに対応してくれたこと。私の話を受け止めてくれたこと。あの時は恨んでしまいましたが、今の環境を見ると、話を聞いて信じてくれただけでもどれだけ救いなのか感じました。

 それから、中学生になりました。中学生になっても、周りの同級生の顔ぶれはあまり変わりません。小学生の頃の同級生がそのまま進級したようなものでしたから。そこで、私のいじめは落ち着きました。落ち着いたと言っても、中学でできた友達以外……いわゆる、小学生の頃から変わっていない同級生に仲間外れにされたり陰口を叩かれたりすることはたまにありました。その中で、陰湿な人が居ました。私を見てクスクス笑ったり、すれ違いざまにぼそっと悪口を言ったり、馬鹿にするような言動やあだ名を付けてくるような人です。その男一人でやっていることなので、無視していれば良かったのですが、とにかく鬱陶しかったです。また、大したことなくても傷付きますし苦しみました。相手は言ったところでやめなかったため、教員に相談することにしました。そこで言われた言葉を、私は今でも覚えています。

「これからそういうこともあるし、今の壁なのよ。社会勉強だと思って、今は我慢して」

 ……どういうことなのだろう。当時は頭が真っ白になって、言うなれば「は?」という疑問しか湧きませんでした。もっと強く訴えれば良かったのに、当時の私も素直に我慢しました。大体、私も粘り強ければ何か変わっていたと思います。たらればを今更言ったところで、意味はないのですが。


 何はともあれ、そういったことも経て、教員に対する不信感は強まりました。無論、上記のこと以外にも教員とぶつかったことはあるのですが、主旨とずれていくため割愛致します。

「社会勉強」。便利な言葉だと思いました。何かあるとすぐに言われました。看護学校でも言われました。それが正しいことならば、納得したでしょう。しかし、罵られたり無視されたり、そういったことが社会勉強とは一体何なのでしょうか。看護師に無視されたことを訴えると、「忙しいから仕方がない」と返されます。医療の現場であり、命のやり取り、1分1秒が大切な世界です。その意味はよく理解できます。しかし、仕方がないと返されて放置される、右も左も分からない私達はどうなるのでしょうか。教員は何もしてくれません。これも「社会勉強」だからです。「社会に出たらこういうこともある」と放っておかれます。私達は、何もまだ分かりません。自分達なりに考えて動くことはできますが、それが正解なのかは分かりません。だから、確認したいのに無視されます。教員も「自分で考えなさい」と言います。医療の現場での失敗は、責任が大きいです。何かあったとき、私達は責任がとれません。毎日が怖かったものです。……これも、社会勉強になるのでしょうか。分かりません。

 医療の現場は責任が重く、技術不足・知識不足で叱られることは正しいと思っていますし、実際正しいです。一つひとつの行動や言動が、が人の命や人生に関わるからです。それがパワハラだと思ったことはありません。しかし、そこで付け加えられる己への罵倒や人格否定は違う。それは、パワハラでモラハラになります。……社会勉強でも、何でもないのです。私はそれらを社会勉強で片付けられることに、非常に不快感を覚えました。忙しくて学生の存在を無視するほどなら、教育現場として成り立っていません。学生担当の看護師がナースステーションに居ない日も多々あります。看護師さんに、患者さんの目の前で無視され、患者さんに慰められたとき、どうしようもなく情けなくて、消えてしまいたいと思いました。しかし、そんな中で我々は勉強していました。それが、社会に出たときの勉強として。

 長々と愚痴を書きましたが、勿論学生に親身になってくださる看護師さんもいらっしゃいます。名前を呼んで、「今お時間宜しいですか」と聞くと、「無理」や「見て分からないの?」という一言や、最悪の場合は無視されることもありました。しかし、優しく常識的な看護師さんは「今忙しいから後で」や「これ終わったらね」など、こちらがいつ頃話しかけていいか尋ねれば教えてくださいます。急を要するときは「他の人に聞いた方がいい」など仰います。このように接していただけると、こちらもとても心が落ち着いて助かりました。

 看護を学ぶ場で、医師や看護師の機嫌を一々窺うなんて無駄な行為はしたくないのです。これは、他の業界でも言えることでしょう。

 実習生は金銭は貰えません。学ばせていただいている (・・・・・・・)立場だからです。だからといって、私たちはサンドバッグではありません。手が足りない時に派遣される存在でもありません。都合良くタダ働きする存在でもありません。どれだけ勉強しても、技術も知識も足りない学生なんです。訴えたくても、訴える場所がありません。モラハラもパワハラも、セクハラまで受けても、相談する場所がありません。相談しても、「社会勉強」で終わります。私の通っていた学校は、親身になってくださることはありませんでした。教員とのトラブルで自殺未遂者が出るほどですから、恐らく、普通の看護学校よりも凄まじいのでしょう。他の看護学校は、そうでないことを願うばかりです。私は、自身が通っていた学校しか存じませんので、視野が狭いです。全てがそうではないと思います。


「社会に出たらこういう人もいる」

 そう言われて放っておかれることは何回もありましたし、それは私だけではないでしょう。勿論、ある意味反面教師として学ぶことは多々ありますが、それで放っておかれる意味は分かりませんでした。

 例えば、あなたは新人です。よく暴言を吐くお客さんに会ったとします。接客をしているとき、私達は確かに精神が擦りきれます。その後、上司に「いつものことだから」と放っておかれるのと、「大変だったね」と慰められるのでは、圧倒的に後者の方が良いでしょう。意味はなくとも、慰められたり励まされたりした方がまだ安心します。逆に、放っておかれたり流されたりすると傷付いた精神は救われる思いも生まれず、そのままです。マニュアルもなければ、どう対処すればいいか分からないこともあるでしょう。誰も教えてくれないまま、傷付きながら私達は自力で解決することを求められているということです。


「社会勉強」というのは、培った経験を活用することや対処法を理解することで、ハラスメントをしていい理由にはなりません。

 私は誰かを教育したことはありません。しかし、人に教えるのならば具体的に指摘すべきだと思うし、自分で考えることは大切ですが、正解か否かすら教えてくれないのはおかしいことだと思います。少なくとも、私が教える立場なら、不便で不自由な教育だけはしたくないと思います。


 昔と比べると甘いと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、今と昔は違うのです。温故知新という言葉もあるように、古きを知って新しきを知るべきです。昔の教訓を活用しながら、今に適応していくのが一番ではないでしょうか。昔は厳しく苦しい思いをしたからと言って、なぜ今の子にもその苦しみを与えるのでしょう。不思議ですね。

 多分、ここまで書いても、「医療の現場では仕方ない」「甘えるな」「社会でやっていけない」などと言われることでしょう。言葉足らずで、伝わらないことも多いと思います。独りよがりで、自己中心的と言われると思います。しかし、学生は訴える場所がなく、学校側や病院側にハラスメントを受けても、泣き寝入りするしかありません。せめて、学生にも訴えるほどの力が欲しいものです。きっと、こんな言葉が誰かに伝わることはないのでしょうが。


「社会勉強」は、果たして良い言葉なのでしょうか。使い方を誤ると、ハラスメント問題を正当化させる理由にしか見えなくなるのです。今と昔、仕事とプライベート。公私混同せずに気を付けたいと、私は思います。

 ただ、こんなものを書きなぐるくらい、疲れているんです。学生という立場は、保障されませんし、世間の目には映りませんから。看護師のデモを見て、そんなことを思ってしまった私は、きっともう誰かを救うことはできない。ちょっとだけ愚痴って、誰かの目に触れていただけたら、それだけでいいや。どうせ、伝わることのない妄言ですから。



ありがとうございました。

コメントの返信はいたしません。


我慢することが「大人」なら、これに耐えられない私はきっと、まだまだクソガキなのでしょうね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] とても丁寧で論理的であり、非常に読みやすいです。 [気になる点] 妄言と自らを卑下しないで下さい。 それは力のある側が意見を磨り潰す為の方便とする言葉だと、私は認識しています。 [一言] …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ