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「それはそれとして、三人は天太とどういう関係なの?」
変に重い空気になってしまったので羽沙が話を切り替えた。
「どういう関係でもない。俺だってさっき会ったばかりだぞ」
「え? じゃあなんで天太の家にいるの?」
途中から来たこいつは、ラビリスたちが来た理由を聞いていない。
「わらわたちが別世界の者だと信じてくれるのか……えーと、ウサギ、だったかの?」
まだ少し涙目のラビリスが羽沙の対面に座る。
「羽沙ね! 別世界とかどうでもよくて、なんで天太のところにいるのかがわかんない」
「近々わらわは婚約をせねばならなくなってな」
「へー、小っちゃいのにもう婚約なんてするんだ」
「小っちゃい言うな! 小娘が!」
「はいはい。で? 婚約しなきゃならないお姫様がなんでここにいるの?」
問われてラビリスは頬を赤くする。
「ちゅ……チューじゃ」
「チューって、キスのこと?」
「そっ……そうじゃ」
「キスって……え? どゆこと?」
「そのー……天太とな……そのー……チューを」
ものすごく恥ずかしそうな視線が俺に向く。
そんな目で見られても困るんだが。
「天太と……? え? えっ!? 天太にキスをしに来たってこと!?」
「そんな大声で言わんでもいいじゃろ! 節操のないウサギじゃのう!」
「羽沙ね! でもなんで天太と? もしかして、婚約する前に他の男と遊んでみたかったとか?」
「なんと破廉恥な!」
「破廉恥って……ねえ?」
そこで俺を見るな。
「わらわはそんな不純な動機で来たわけではない。わらわは……わらわは、まだ婚約なぞしたくないのじゃ」
ラビリスだと話が進まないので、セリカさんが「ここからは私が」と口を開いた。
「天太と粘膜接触をすれば、姫様の婚約は破棄される。私たちの目的はそれだ」
「粘膜って、ディープキスのこと!?」
羽沙は思わず口に手を当てる。
フレンチなやつではなく、大人のキス。
「なんで俺なんだよ? それにキスだけで婚約破棄だなんて出来るのか?」
「できるからこうして来たのだ。
王族である姫様が婚約を目前にして男と関係を持つなど言語道断。純潔であることを相手側に示さなければならぬのだが、そこですでに他の男と粘膜接触があったとわかれば、そうそう婚約など成立はしない」
「キスなんて本人の目の前でしなけりゃ証明しようがないじゃないか」
「異性との粘膜接触が行われたか探る魔法がある」
嫌だなそんな魔法!
「わらわだってお父様を裏切り、皆に迷惑をかけたくない。でも……」
ラビリスの瞳に涙がにじむ。
「……わらわは世界を見てみたい。お母様が旅してきた世界にわらわも行ってみたい」
ポタポタポタ。
その言葉には、一瞬で涙を流すほどの思いが詰まっていた。
大粒の涙は純白のドレスに染みをつくる。
ベルハイム王はとても有能で国民からの信頼も厚く、ラビリス自慢の父親らしい。
王様は我が子を溺愛し、それが今回の騒動を起こすきっかけになってしまった。
ラビリスの母親が二年前に亡くなったのは図らずしも聞いた。以後、王様のラビリスに対する過保護は加速し、娘の将来を思うが故に、早くも結婚相手を探してきたという。
「十歳で婚約って早すぎだろ? 許嫁とかならわからなくもないけど」
「私たちの世界では十三歳で成人として扱われる。王族なら十歳で婚約という例は珍しくない」
「じゃあ十三歳で結婚しちゃう人もいるの!?」
「いるな」
うひゃーっと羽沙が声を上げた。
十歳以下に見えるこいつが婚約だなんて想像つかんぞ。
なぜラビリスが大好きな父親を裏切ってまで婚約を破棄したいのかは、母親が旅をしてきた世界を見てみたいという夢があるから。
ラビリスの母親は、もとは世界を旅する冒険者だったらしい。その最中、ベルハイム王と出会い、王様がぞっこん。最初は相手にされなかったそうだが、幾度目かの求婚で王様の根気に負け、結婚を受け入れたそうだ。
「お母様は世界の色んな話をしてくれた。わらわの知らない事ばかりで、話を聞いてるだけでも楽しかった。けど、お母様はもういない。もう世界の話をしてもらえない。だから、お母様から聞いていない、お母様が見てきた世界をわらわも見てみたい」
「……見に行けばいいだろ? って、簡単な話じゃなさそうだな」
俺の問いに紗矢さんが答えてくれた。
「女の王族が結婚、もしくは婚約をするとね、自分の意思で国から出ることが禁止されるの」
その言葉にラビリスがぎゅっと拳をにぎる。
女だからという理由で課せられる束縛。
歴史の授業や外国の文化で何度か聞いたことはあるが、どうにも理解し難い。
「お母様はいつかわらわにも世界を見てほしいと言ってくれた。わらわも大人になったら、世界中を旅するのだと夢見ていた。お母様のような冒険者にはなれんが、セリカたちがいてくれれば、どんなところにも行けると思っていた」
けれど、婚約をしてしまえばそれも叶わなくなる。
「お父さんはそのことを知ってるんだよね?」
羽沙の問いにラビリスが唇を噛みしめる。
「知ってるからこそ、早く婚約をさせたいのじゃろう」
ラビリスに寄り添うようにセリカさんが隣に座り、小さな手を優しく握った。
「王は姫様が国外に出られることを反対しておられる。ローズ様がご存命の頃からそれは変わらぬのだが、ローズ様を亡くされてからは、そのお考えは更に硬くなられたようだ」
母親はローズというのか。
夢に出てきた女性がローズさんだったとしたら、俺は幽霊と会ったことになる。
「でもこんなにラビリスが嫌がってるのに、子供の夢を叶えてあげようとは思わないの?」
羽沙のやつ、少しづつラビリスに感情移入してってないか?
「王は姫様の夢よりも身の安全を選ばれたのだ。外に出れば必ず危険が付きまとう。自らが治めている都ですら、王族というだけで好からぬ者たちが姫様に近づいてくる。もちろんそんな輩から姫様を護るために私たちがいるのだが、それでも絶対に安全とは言い切れない。そう考えるからこそ、王は姫様が国外に出られることに反対しているのだ」
親の気持ちってやつか。
守りたいからこそなんだろうけど、ラビリスにっとっちゃたまったもんじゃないな。
「仮に婚約が破棄されても、根本的な解決になるとは思えないけどな」
難しい顔でセリカさんが頷く。
「だが婚約が成立してしまえば、それを解消する事がほぼ不可能になる。なにしろ姫様は次期王位継承権を持つ唯一の御方だ。婚約の事実は各国を渡り、歴史に刻まれる。そうなってからでは遅いのだ」
事実上、ラビリスの旦那に選ばれた人が次の国政を担うってわけだ。
こんな重大な決め事を「やっぱり無し」なんて取り止めるわけにはいかねーか。
「……なんでキスの相手が天太なの?」
純粋な羽沙の疑問。
本当に異世界があるのか信じるかは別として、なぜ俺なのかそこがずっと知りたかった。
「わらわの世界の者に頼むことはできん。こっちの世界の者なら、お父様も探し出して処罰しようとは思わぬはずじゃからのう」
なるほど。
ラビリスから要求されたとしても、親父さんの怒りは男に向くわけか。
「いやいやいや! もし本気で探しに来たらどうすんだよ!?」
「それはない。天太を詮索しようとするなら、大規模な人海戦術をしなければ、よほどの偶然でもない限り見つけられん。お父様といえども、私情でそこまでの人員をこちらに送ることはできん。たぶん」
「バルモンドって人はすぐに来てたじゃないか!」
「それは姫様の護石の反応を辿ってきたのだ。なんの手掛かりも無い天太を探すのは不可能と言っていい」
セリカさんはラビリスのティアラに埋められている宝石を指した。
「こっちの人なら天太じゃなくてもいいんでしょ? 他の人じゃダメなの?」
「むふふ、羽沙ちゃーん。そんなに天太君の唇を奪われたくない?」
「いやっ、そういうわけじゃなくて」
紗矢さんは完全にからかってるな。
「おぬしのところへはバァバの魔法が導いたこと。出会うまではどんな人物かも知らんかった。言うてみれば、バァバが天太を選んだことになるのう」
「……つまり、俺がキスをする相手に最適だと?」
「違う。チュッ……チューをする相手を探す魔法などあるわけなかろう」
そんなの知らねーよ。
「天太に会ったら、手紙を渡すようにとも言われておる」
ラビリスが紗矢さんに目配せをすると、紗矢さんは一枚の白い封筒を俺に手渡した。
差出人も宛名も何もなく、赤い蝋で封がしてある。
「これは?」
「バァバが天太にと渡したものじゃ。何が書いてあるのかはわらわたちも知らん」
「それにこれは天太君にしか開けられないみたいだよ」
え? と紗矢さんを見ても微笑み返されるだけ。
「またまたそんなこと言っちゃって。あたしが開けてみてもいい?」
頷いて羽沙に封筒を渡す。
「こんなのすぐに開きそうだけど」
羽沙はまず蝋を剥ぎ取ろうとしたが、取れない。
「うん」
何に頷いたのか、今度はハサミを持ってきて、端から切ろうとするが――
「……すっごく硬いんだけど」
全然刃が通らないようだ。
触った感じ、ただの紙封筒なのに?
「おまえ、マジで言ってんの?」
「ほんとだってば! 天太やってみなさいよ!」
疑いつつ封筒とハサミを受け取り、ハサミを入れると――
「普通に切れるんだが?」
「うそー……」
簡単に封筒は切れ、中には何枚か便せんが入っていた。
「この封筒、どれだけ力を入れても破けなかったのよねー」
「紗矢、お前まさか……」
セリカさんのジト目に紗矢さんは、
「天太君にしか開けられないなんて言われたら開けてみたくなるじゃないですか」
悪びれもなく笑った。
「今度からこういう物はセリカが預かるようにしてくれ」
「はい、そうします」
主人と従者の会話は無視して、俺は中の便せんを取りだす。
「……ッ」
内容を読む前に、見覚えのある文字で誰が書いたものかすぐに分かった。
「……天太?」
俺が固まってしまったからか、羽沙が少し心配そうに顔を覗きこんできた。
「この手紙、俺の母さんからだ」
「えっ!? うそ!?」
体を寄せて羽沙も手紙を見る。
「天太よ。なんと書いてあるかは知らぬが、それを読めばわらわたちのことを信じてもらえるか?」
「ちょっと待ってくれ」
ラビリスの促しに文字に目を走らせる。
すぐ読み終わった気もするが、どれだけ時間が経ったのかはわからない。
ただ、何度目かの羽沙の呼びかけに、ようやく俺は手紙から目を離した。
「天太、ねえってば」
「あ……ああ、悪い。気づかなかった」
「そうじゃなくて、大丈夫?」
なにが? と聞き返そうとして気づく。
いつの間にか、俺は涙を流していた。