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怪男子  作者: 変わり身
異小路
6/34

五頁 開門(上)



(……何で、こんな所に居るんだよ)


せっかくの休日に山原と会うなんて、世界は本当に僕に厳しくあるようだ。

自分の運の悪さを呪いたくなるが、しかし必死に不快感を堪え。表情筋を無理矢理に笑顔の形に固めて、憤りと共に仮面の奥へと押し込んだ。


「や……ま、原くんじゃないか。偶然、だね。こんな所で――ガッ!」


「お前今日どこほっつき歩いてたんだよ。俺の呼び出し無視するとかねぇわ」


 山原は僕の言葉を完全に無視。今度は腹に蹴りを入れられ、尻餅をつく。


「っぐ……、き、今日は、朝から出かけてたからね……」


「だから携帯持てっつってんべーや。せっかく親睦を深めて貰おうと思ったのにさぁ」


山原はそう言って背後に首を傾けた。視線を追って見てみれば、そこにはドタドタと走る丸っこい影が一つ。昨日紹介された井川という少年だ。

……推測するに山原は、今日一日『親睦』という名目で彼と一緒に僕を嬲るつもりだったらしい。当然ながら、暴力的な意味で。


「……そ、う。まぁこれからは気をつけるよ」


「チッ」


山原は舌打ちを一つ打ち、やっと追いついた井川と共にさっさと歩いて行った。


「何やってんだ、早くしろよグズ」


「……何でかな。意味が分からないんだけど」


まぁ、まだ続くよね。

崩れ落ちそうになる膝を支え、山原へと顔を向ける。すると彼は振り向き様、ニヤニヤと意地の悪い顔で僕を見つめていて――。


「――決まってんだろうが、お前の家に行くからだよ」


……ぎちり、と。心臓が裏返る。鼓動がその間隔を狭め、息苦しい。


「……どうして、そうなるのかな。できれば説明して欲しいんだけど」


本当ならば何も聞かずに拒否の意を叩きつけたかった。けれど僕の被っている仮面はそれを善としないのだ。

あくまでも柔らかく、角の立つ事のない様に応対しなければいけない。


「いやさ、お前今日電話に出なかったじゃん」


「……うん、確かにそうだけど、それが何か……」


「お前二人暮らしだろ。何で誰も出ねぇんだってオヤジに聞いてみたんだよ」


そしたらさ、ビックリしちゃったよ。山原はそう言い捨て、一度言葉を切った。

早鐘を打つ心臓が、虫の声と合わさってとても煩い。外と中から鼓膜が揺らされ、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されている。


そして、彼はそんな僕を楽しそうに見つめながら――言った。


「――お前んちのババァ、死んだんだって?」


「――――」


……握り締めた拳が、湿った音を立てた。


「知らなかったよ。お前全然俺に教えてくれなかったもんなぁ。葬式にも呼んでくれなかったとか、どんだけ嫌ってんだよっていう」


「…………」


「まぁ俺もあのババァはウザかったし、別に良かったんだけどな? でもなー、割とショックだよなぁー?」


「……っ……」


「だからさァ、『お友達』として是非とも拝むくらいはしたいんだよなァ」


いやらしい笑みを浮かべながら、彼はそう締めくくった。

僕にとって一番大切な存在だったお婆ちゃんの事を、僕にとって一番唾棄すべき存在である山原が語る。その悪夢のような事柄に、胸の粘付きが音を立てて煮立ち、取り繕った仮面に大きなヒビを入れていく。


「……そ、うだね。お参りくらいなら、別に」


「そうそう、んでお供え物もちゃんと買ってあるんだぜ。なぁ?」


「ん? おお、これな」


山原に話を振られた井川が、バッグの中から何かを取り出した。

……何か、白い粉末の入ったビニール袋。それを見た瞬間、思考が止まった。


「山、原……?」


「クン、を忘れてるぜ。いい子ちゃーん」


彼は少し興奮気味に、そして誇らしげにぴらぴらとビニールを振る。

その何ら罪悪感を感じさせない仕草に、手帳の物以上のとてつもない嫌悪が湧き上がった。


「お裾分けだ。これお供えすれば、お前のババァも元気になるんじゃね?」


「ラリって生き返るかもな、はっは」


ゲラゲラ、と。二人は下品な笑に笑いながら、不謹慎な冗談で盛り上がる。

救いようのない屑だ。激情を堪え唇を噛み、噛み切った。


「……そういう、の、良くないんじゃ、ないかな」


「あ? せっかくお前のババァの為に大金叩いたんだ、好意を無にすんなよ」


「……それは……でも」


「へぇ、優等生君がそんな意地悪をね。こりゃ草葉の陰でババァ泣いてるなぁ」


「っ…………」


その汚い雑音を垂れ流す口にペンを突っ込んで、脳みそを犯してやりたかった。

僕の黒い粘つきを。感じる負の感情の全てを直接コイツに刻み込めたなら、どんなに素晴らしい事だろう。


「ほーら、いいから早く歩けよ。日が暮れちまう」


「…………」


……嫌だ、こんなクズをお婆ちゃんの下に連れて行きたくなんてない。


「なぁ浩史、この眼鏡の家って他に誰か居ねぇの?」


「あ? あー、今は一人暮らしなんじゃね」


「へぇ、じゃああれだな。溜まり場に使えんな」


嫌だ。こいつらを家になんて上げたくない。沢山の思い出が詰まった、お婆ちゃんと僕の家。そこに残ったたった一人の家族の匂いを、ヘドロの悪臭で上書きなんてしたくない。

もう、止めてくれ。口を開くな、これ以上雑音を聞きたくない。


「――あ。いい事思いついた」


止めろ、止めて。頼むから、もう――。



「せっかくだからさ、これ墓にもぶっかけてやろうぜ。その方が絶対効く――」



「――やめろッ!!」


頭の血管がぶち切れ、我慢の限界を超えた。

力の限り仮面を投げ捨て、山原の背に握り締めた拳を思いっきり叩き込む。


「っぐぉ……!?」


僕はその隙を見逃さずその腕を掴み、地面に倒そうと力の限り引っ張った。

肉を抉る様に爪を立て、何時もは殆ど使わない筋肉を酷使して。目の前に居る害悪に向かって、今まで抑えていた悪感情を叩きつける。


「お前らみたいなクズが、クズが……ッ!!」


「チッ……ってェな!!」


だが、やはり足りない。山原はよろめく事すら無く、大きく腕をなぎ払う。

僕の貧弱な体はその勢いに逆えず、彼の目の前へと飛び込み――そして、衝撃。骨ばった脛が、脇腹深くにめり込んだ。


「ごっ!?」


ミチリ、ミチリ。内蔵が押し潰されたかのような圧迫感が身を襲う。

そのまま蹴り飛ばされ、塀に衝突。夕暮れの空に眼鏡が舞い、ぶつかった左肩が嫌な音を立てた。


「ぁか、ひゅっ……」


「は、へ、へへっ。そうだよ、それで良いんだよ……!」


壁伝いにずるずると崩れ落ち、横たわる。痛みと衝撃で途絶えた呼吸を呼び戻そうと必死に肺を震わせる僕を見下ろし、山原は愉快そうに笑い声を上げた。


そんなに僕の苦しむ姿が愉快か。動けないまま、充血まみれの眼球からこれ以上無い程の殺意を向けてやる。

しかし彼はそれを嬉しそうに受け止め、一層深く笑みを浮かべた。


「気に入らねぇなら言えばいいんだ、なのにいっつも隠しやがって」


「は……っ、何を――ぐぁッ」


「ほら! クズが何だって? もっと言ってみろよ、オイ!」


山原は意味不明の文句を怒鳴りながら、僕に追撃を加えた。

踏みつけ、蹴り飛ばし。いつもの比ではない暴力の嵐が吹き荒れる。


何度も、何度も、何度も。

体中を荒れ狂う痛みに意識が遠のきかけ、亀のように丸まって耐え忍ぶ。食いしばった歯が口内で歪み、耳障りな音を奏でた。


「嘘つき野郎が! 言えよほら、早く!!」


「ぅ……ぁぐ……」


「……おい浩史、もういいだろ。行こうぜ」


そうやってしばらく蹴りの雨に耐えていると、井川がそう切り出してきた。


「うっせぇ、黙ってろピザ。今良い所……」


「馬鹿、動けなくなった後、これどうすんだよ。まだ明るいんだ、放置するにしろ持ってくにしろ誰かに見られるぜ」


「…………チッ」


山原は口出ししてきた井川に鋭い視線を向けた後、大きく舌打ち。

僕を踏みつけていた汚い足を退かし、最後に一発蹴り飛ばしてから背を向ける。歩く先はやはり。僕の家がある方角だ。


行かせまいと妨害に立ち上がろうとするけど、体が思うように動かない。

そんな僕の様子が分かったのか、山原は振り返らずに手を振り、嘲笑した。


「――それじゃ、先行くから。早く来いよ」


お前が来る頃には、お家はどんな風になってるかな――。

最後にそう吐き捨てて歩き去る。眼鏡が外れ朧気な視線の先で、二つの影が揺れていた。


(……穢、される。大切な物が、暖かい、記憶が……)


それは絶対に止めなければならない。なのに、身体がまともに動かない。

痛みが酷い。指先を伸ばす事すらままならず、ただ無様に地面をひっかくだけ。


「……そ、クソがッ!!」


気付けば、熱を持った雫が頬を伝い落ちていた。


悔しかった。憎かった。何故良い子である筈の僕がこんな目に遭う。

そんな理不尽は無いだろう。淘汰されるべきは奴らだ、決して僕であっていい筈がない!


「……お婆、ちゃん……」


耐え難い憤りと屈辱に心の中が黒い粘液で溢れ、力を入れ続けた爪が割れた。

縦に入った割れ目から血が溢れ出し、指先を赤く塗らす――心が、折れ曲がる。


「くそぉ……!」


嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。負けたくない、折れたくない!

折れたら全部に意味がなくなる!


今まで培ってきた反発心をかき集め、体を持ち上げ近くの壁にもたれ掛かった。


(……何か、無いのか。山原を止める方法はッ……!)


罵声を浴びせる、無理を押して突撃する。

単純な方法なら幾らでも浮かんでくるが、それではダメだ。だからこそ嘆き、焦りが空転を続けている。


何か無いか、どうにもならないのか。何か、何か、何か、何か、何か――。


「……っ……!!」


――脳裏に、赤い手帳の姿が浮かんだ。


そうして重い瞼を無理矢理こじ開けた先、視界の端に文字を見た。

それは一部が欠けた「界」の文字。異界の扉を開くための、未だ揃わぬ鍵の欠片。


「ぐ、そっ……!」


何だっていい。少しでも可能性があるのなら、どんな物でも縋りたかった。

足りない一角を書く為のインクは既にある。割れた爪から溢れ出る、どろりと濁った血液だ。


「どこ、か。どこかに……!」


痛みに耐え、壁を伝い文字の下へとナメクジのように這い寄って。

怒りと憎しみを指先の粘性へと封入し。歯をこれでもかと食いしばる。


胸中に溢れるドス黒い激情のまま、文字の欠けている一画目の根元に指を合わせ。



「――消えて、しまえ……ッ!!」



――ぱきん、と。


爪が更に亀裂を深めた音を聞きながら――赤黒い火花と共に、引き摺った。



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