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怪男子  作者: 変わり身
ゆくえ父めい
22/34

十頁 邂逅、そして



――そのノートの内側には、所有者の劣情が記されていた。


元々、それは単なる日記帳に過ぎなかった。

日々のちょっとした出来事を連ね、ほんの少しのストレス発散と共に記録する。そんなささやかで、些細なもの。


……しかし、それが歪み始めたのは何時の頃からだっただろう。


ページを埋める内容が不満に満ちたものへと変わり、それはやがて劣等感や憎しみといった負の感情となり。

最終的に、自らが陥れ蹂躙した者達の「記録」へと成った。


そうして長い間――それこそ数年、何十冊にも渡り積み重ねられてきたそれらは最早怨念にも等しく、文字の一つ一つに異常なまでの情念を纏い、放ち。

霊気、或いは妖気。見る者が見れば即座に「善くない物」と看破できたであろうそれは、最早魔本とでも表現すべき物となっていたのだ。


――だからこそ、「彼女」が宿る条件を満たしてしまった。


きっかけは、とある女性の死。

「彼」は、偶然からノートの中身を目撃し、尚且つそれを公にしようとしたその女性を口論の末に殺害してしまったのだ。


女性は自らの首を絞める「彼」に激しく抵抗し、その指や腕を力の限り引っ掻き、肉を抉った。

殺意と焦燥の含まれた、赤。それはほんの僅かな量であったが、激しく揉み合う内にノートに降りかかり――この瞬間、ノートは一線を越えたのである。


……怪異を操る超常の力。その使い方を理解した「彼」は、己の歪んだ欲望に容易く屈し、箍を外した。


殺害した女性の亡骸を怪異を用いて処理し、魂すらも自らの欲望の糧として。「彼」は女性の全てを奪い尽くした上で、極めて陰惨な蹂躙を行った。


――身動きの取れぬ場所に縛り付けられ、他者を貶す為に消費される日々。


それは善き教師であった彼女にとって、これ以上無い程の地獄であった。

一体何度泣き叫んだだろうか。止めてくれと、許してやってくれと懇願しただろうか。

それこそ肉体があれば喉から血が吹き出す程に、叫び、叫び、叫んだ。


しかし、その悲痛な声は「彼」に喜びしか齎す事は無く、「彼女」の無機質な心にも届かない。

彼女が醜態を晒す度に「彼」は笑みを深め、行いの悪辣さを加速させるだけだ。


後先も考えず、手を変え品を変え趣向を変え、一人、また一人。彼女にとって愛すべき存在だった者が穢されて行く。

その光景を間近で見せつけられる内に、彼女は怒りと憎しみに支配され、怨霊へと成り下がった。


拓かれるのは最悪の未来。「彼」の欲望が満たされ、劣情に満ちた哄笑が響き続ける世界。

怨霊は、これから先その醜悪な時間が永遠に続くのだと絶望し――。



「――梅の火、焔の明――!!」



――しかし、炎に揺らめく一輪の華が、その一切を終わらせた。


慈悲、浄化、告別――三つの意味が込められた、優しく色鮮やかな炎の華。

猛り狂うそれは、「彼」も女性も、魔本も、劣情も、怨念も。何かもを平等に焼却したのだ。


……本来ならば、怨念を払われた女性は穏やかに天へと昇る筈であった。

しかし彼女の精神は癒やされる事は無く、炎に塗れた身を抱え慟哭した。


何故、早く来てくれなかった。何故もっと早くに気付いてくれなかったのか。

もう既に数多の不幸がばら撒かれ、手遅れとなっているのに。

どうしようもない未来に育ち、悲劇を実らせる種が撒かれてしまったのに。何故、何故、何故――!


失われたものが戻らぬ以上、彼女に救いは存在し得ない。

狂い果て、理性が戻る事も無く、魂の消滅するその瞬間まで黒い汚泥を撒き散らし、呪詛の言葉を吐き続けた。


最早、自分が憎んでいたものが誰なのかも、自分が何者なのかも思い出せず。残ったのは、常軌を逸する程に昏き怨念だけ。


「……先生ぇ……」


……意識の消える末期に見た、焦げ付いた景色の中で涙を流す少女。

きっと大切なものであった彼女の名前も、黒に汚れ読む事は叶わなかった――。





――その夢から覚めた時。気付けば僕は、冷たいタイルに身を伏せていた。



「ッガ、ひゅ……ッ!」


脳に刺さるのは、背骨を走る激痛と、断続的に後頭部へと襲い来る鈍い熱。

本能的に呻き声を上げようとするけれど、気道が詰まり声が出ず――ここに至り、ようやく呼吸すら満足に行えていない事を知った。


「は――っげほっ、何……っぐ、ぁっ……?」


背中が痛い、首が痛い、何より頭が凄く痛い。

一体何が起きたんだ。床に爪を立て身を起こしながら、必死に頭を回転させる。


『……く、っう。そ、うだ。華、み……』


「!」


反射的に顔を上げれば、目から汚泥を垂れ流し、懊悩するように膝をつく花子さんの姿が見え――その瞬間、僕はついさっきまで死にかけていた事を思い出す。


多分、彼女に首を絞められ失神した後、ぶん投げられるか何かをされたのだ。

壁にでも打ち付けたと思しき背中が一際酷く痛み、その推察を補強する。


「っく、は、早く、ぅ……!」


現状把握をしたのなら取る行動は一つだ。

震える眼球を必死に抑え、手元から離れためいこさんを探す。


足元――無い。体の下――無い。目の届く範囲――無い。


どこだ、どこに行った。

今の花子さんはまともじゃない、何とか出来るのは彼女だけなのに……!


『…………めん、よ』


「っひぅ……!」


ビクリと肩を震わせ、恐る恐る花子さんの様子を窺った。

視線の先で蹲っている彼女は、未だ某かを呟き続けている。先ほどの絞殺される恐怖が蘇り、無意識の内に壁に縋りつき――。


『――ごめん、ごめんよぉ……あ、アタシ、アタシは……ッ』


……その声を聞き、初めて彼女が本当の意味で泣いている事に気がついた。


「っは、花子、さん……?」


先程まで抱いていた恐怖を忘れ、思わず声をかけてしまった。

しかし彼女はタイルに手を付き項垂れたまま、悔恨を湛えた黒い水溜りを作り続けるままだ。


『……こ、ここさ。このトイレで、三木も、若風も、沢山の娘が倒れた』


「……え?」


『最初に印をつけるんだ。ロッカーに「好き」って書いた紙を入れるだけで良い、それだけでその娘は爆弾を持つ事になる。アタシの手元まで導火線の繋がった、ふ、不幸が、詰まった、爆弾……!』


一瞬眉を顰めたが、すぐに『トイレの花子さん』の再現条件だと察した。

ラブレターを受け取りトイレを開けた生徒を気絶させ、保険医が許可を出すまで目覚めないという文面。


何の為にそんな怪談を編集したのか、ずっと疑問ではあった。

だけど、今ならば分かる。それは――哀れな餌の捕獲方法だったのだ。


『あ、後はその娘が手洗いに行くのを待てば良い。女の子ってのは何かと入用だからね、一日に一回は絶対行く。そうして……アタシが、気絶させて、あのクソ保険医の所に運ばれて、それで――それで……ッ!』


「っ」


右眼が再び痛み出し、彼女の記憶が脳裏に奔る。


それは、断じて僕みたいな十五のガキが見て良いような光景じゃない。

保健室。眠る少女達の裸と、彼女達に対する保険医らしき男の行為。

それは正しく畜生未満の行いだ。劣情なんて欠片すらも湧かず、ただ強烈な不快感だけが渦を巻く。


『酷い、話になった。ああ、思い出せるよ。町では面白おかしく噂されて、騒がれて。アイツは、それを聞いて笑ってた。自分がやったんだって、傷だらけになったあの娘達を、指差して……』


ふと、ここに侵入した際に収集した『ゆくえ父めい』という怪談を思い出す。


振り返れば、それが花子さんの様子がおかしくなったきっかけだ。

僕はどのような怪談だったか思い出そうとして――掌に痛みを感じ、止める。


見ると握り締めた拳から一筋の血が流れていた。

……怒り。そう、激しい怒りを感じているのだ、僕は。


『……ごめん、よ』


すると花子さんがほんの少し顔を傾け、大量の汚泥を流し続ける瞳を上げた。

視線は黒に覆われ見えない。でも、言葉は確かに僕の方へと向いている。


『アンタは、アイツとは無関係――それも、そんな風にあの娘らの為に怒ってくれる優しい子だ。感謝こそすれ、手を挙げるなんて筋違いに過ぎるのに……本当に、ごめんね』


「……い、え」


許す、とは簡単に言えそうもなかった。


詳しい原理は分からないが、僕は確かに花子さんの過去を見た。

保険医と同じ力を持った僕を殺そうとした気持ちは、理解できなくもない。


だけど、殺されかけた相手にいきなり歩み寄れ、なんて。それが例え肉親でも難しい事だと思う。

少なくとも、僕にその度量は無かった。


花子さんはそんな僕の様子に寂しそうに笑い、ふらつきながら身を起こす。


『……あと、これもだね』


「……!」


その手に、めいこさんが握られていた。

ポタポタと黒の滴る指で、赤い表紙をゆっくりとなぞる。


「あ、あの……それ……」


『何もしやしないよ。分かってんだ、これは――今のこの娘は、かつての冷たかったもんとは別モノだ。そもそもただの道具で、悪いのは使った奴……ああ、そうさ。何やったって駄々捏ねにしかならんのさァ。もう、ねぇ』


しわがれ、掠れた声。

何もかもを諦め、この世の全てに疲れ果てた者だけが持つ声域。


『……自分勝手だけど、思い出さない方が良かった。こんな気持ちになる位なら、アンタを殺そうとする位なら、いっそ何も思い出さないままで良かったよ……』


……その言葉は、僕の深い所に突き立った。


この一週間と少しの結末がそれなのか。

ショックを受ける僕を他所に、花子さんは静かに中空を見つめる。


何か、楽しかった頃を思い出すように。或いは自らの罪を思い返すかのように。

窓から差し込む月明かりに照らされながら、懇々と、粛々と。眼孔から流れ出る物が無ければ、ドラマか映画のワンシーンのようで。



――ああ、しにたい。彼女は絞りだすような声で、そう言ったのだ。



「え?」


カシャン、と。何かが砕ける音がした。

小さく、しかし確かにその音は僕の右眼を貫き、穿ち。同時に彼女の頬が弾け、黒いガラス片となり地に落ちる。


丸眼鏡の男の時と同じ現象にも見えたが、そこに救いは感じられない。


『……ん、ああ。何だ、消えるのか、アタシは』


その欠損は身体の各部位にも及び、少しずつ人としての形が失われていく。


しかしそんな状態だというのに、彼女は取り乱す事さえしなかった。

そこには一片の未練も無く、あるのは諦めによる後味の悪い解放感だけだ。


「っ、は、花子さん!」


このまま彼女を見送ってしまえば、僕はきっと一生後悔する。右眼の疼きに、そう予感した。


「あの! それで良いんですか? だって、あなたはそんな、ええと……!」


『良いんだよ、贅沢言うなら地獄にでも行ければ万々歳なんだけどねぇ』


「そうじゃなくて、だから……ああもう! 国語は得意な筈なのにッ!」


何て言えばいい。何をどう言葉にすれば、僕は。


伝えるべき言葉が出て来ない事がもどかしく、頭皮を引っ掻き地団駄を踏む。

花子さんはそんな半べそをかく僕を見て、泥を隠すように目を細めた。その諦めに満ちた表情に、目を逸らす事が出来ず。


『もう、良いんだ。アタシは、アンタの前から消えるべきなのさ――』


――頭の中を回る焦燥が、ハッキリとした像を結ぶ。


それは恥を晒すに等しい告解だった。

しかし幾ら葛藤しても他には選択肢は無い。紡ぐしか、無い。


「……さ、さっき、花子さんは僕を優しい子だって表現しました、よね」


『うん?』


「だけど、違うんだ。僕はそんな良い人間じゃない、もっと……侮蔑されるべき人間で……!」


訥々と。ともすれば震えそうになる声を無理やり押さえつけながら、痰の絡んだ言葉を吐き出した。


「本質的には、あんた以上に酷い奴なんだ。保険医ってクズとはベクトルが違うかもしれないけど、同じくらいに腐ってる。そうだよ、だって僕は」


『……なぁ、アンタ何言って――』



「――僕は! もうとっくの昔に二人殺してるんだよッ!」



……言った、言ってしまった。


彼女に幻滅される事、山原達への行為を罪と認めた事。

色々な事から逃げたくて堪らなくなり、僕は何も見ないよう顔を俯かせ、続ける。


「ひ、一人は僕の幼馴染で、もう一人の事はよく知らないけどクズだったって事は分かってる。そう確信できる程の事をされたんだから」


伏すべき秘密を他人に向かって吐き出す高揚感。あれ程鈍っていた舌がよく回る。


「使ったのはさっきも再現した『異小路』っていう怪談。僕は最初、殺すまでとは思ってなくて、異世界かどこかに飛ばすだけって受け取ってた。だ、だけど、違かった。引きずり込まれた二人はぐちゃぐちゃのよく分からない何かになってて、アレは絶対人間として死んでいた」


きっと、山原と井川という存在はその根底から死んでしまったのだろう。


人間としての形を失い、魂すらも交じり合っていた。

もしアレで生きていたとしても、それは彼らでは無く別の存在となっていた筈だ。

ならば殺したという事には何ら変わりない。


「最初あんたの願いを聞こうと思った切っ掛けも、殺人って重圧から逃げるためなんだ。ダメだって分かってるのに、何だかんだ理由をつけて自首やら罪の意識やら嫌な物から距離を離そうとしていた」


『…………』


彼女が何を思い、どんな表情を浮かべているのか。俯く僕には分からず不安が心を掻き毟るけれど、今ここで立ち止まっては意味が無い。


『……それで? アタシにそれを告白してどうしようってんだい』


「別にどうも、しない。ただ知って欲しかった。僕がやった事、優しい人間じゃないって事……そ、そして――」



――そして、あんたが消えれば、僕はまた新しい理由をつけて逃げ出すんだ。



『……あァ?』


その情けない言葉に返って来たのは、ドスの利いたハスキーボイス。

人生で初めて教師に怒られる事になるかもしれない――そんな事を嘆きつつ、僕は粘着く唾を嚥下した。





『それは……どういう事だい。あまりよろしくない意味に聞こえるけど』


強まる寒気に眼球が微細に震え、緊張に胃が引きつった。

けれど、正攻法に説得している暇なんて無い。


「だ、だってそうでしょ? 教職に就いてた人が罪を償わずに逃げようとしているんだ、だったら優等生たる僕はそれを見習って然るべきだ」


『っ……』


僕のその屁理屈に、花子さんは痛いところを突かれたように大きく顔を歪める。


「疲れたっていうなら、僕だってそうだ。疲れてるんだ。胃が痛んでる。悩んで、後悔して、理性は頷くけど、到底納得できなくて、嫌で、嫌で嫌で嫌で……!」


もう自分でも何を言っているのかよく分からない。

興奮し、上昇した体温に浮かれたまま、思いつく事を並べ立てるだけだ。


「そう、そうだよ。あんたがそうするんなら、僕だって地獄で償うさ。あんたが大義名分を用意した新しい逃げ道。まぁ自殺するつもりは無いし、そも寿命が来た時に罪の意識を覚えてるかなんて分かんないけどさ!」


『……ア、アンタは……!』


感じるのは怒りと憤りの混じる激烈の情。

花子さんは歯を食いしばり、両眼から流れる粘液の勢いを強めた。


だが、その代わりなのかどうかは知らないが確実に消滅する速度は遅くなっている。

未練、執着。そう呼べるものが彼女の裡に生まれ始めたのかもしれない。


『……だから、アタシにそれを告白してどうしようってんだい……!』


「ただ知って欲しいだけだって言っただろ! 僕がどういう人間なのかを、そして、」


『そんでアタシが居なくなれば逃げるって!? それがどう――、……』


はた、と。

そこまで怒鳴った瞬間、彼女は突然言葉を切った。猛る怒気も瞬時に立ち消え、歪んでいた表情も元に戻り。


『……なぁ、もしかしてだけどさ。アンタ、アタシを引き止めてんのかい?』


「…………」


返事はしない。ただ、まっすぐに花子さんを見つめる。


すると彼女は先程の剣呑さを引っ込め、虫食いの片手で静かに顔を覆った。

黒い泥のおかげで泣いているように見えたけれど、微かに笑い声が漏れている。


『……そう、そうかい。アンタは、一人じゃダメって事かい。まったく呆れる程に面倒な子だよ、ほんと……』


そう零す彼女の瞳は泥に塗れていたが、負の感情は無いように見えた。

強張る肩から力が抜け落ち、自然と口元が緩む。


『……アンタはアタシにどうして欲しい。まだるっこしいのナシで言ってみな』


「……背中に、憑いていて下さいよ」


『誰の?』


「僕の」


『それでどうする?』


「罪から逃げ出さないよう監視して、泣き言吐いたら尻を蹴っ飛ばすんだ」


『足、無いけど』


「なら飛ばすのは視線だけでも良い。惰性の優等生たる僕にとって、見られてるって事自体が重要だから」


それは僕が生きてきた中で初めて、お婆ちゃん以外にしたお願いだった。




「――あんたが居ないと、優等生が一人グレるんだ。教師なら、更生させてくださいよ……!」




懇願と見るには捻くれ、脅迫と見るには幼稚に過ぎる言い分。

出来ればもうちょっと格好良い事を言いたかったけどしょうがない。性根腐ってる奴なんて基本情けない物だ。


そうして互いに無言のまま、しばしばかりの時が過ぎ。


『……正直さ、アンタを見守ってもどうにもならないと思ってる。今更教師振れる訳も無いし、手遅れは手遅れのまま何も変わりゃしないんだ』


やがて彼女はそう告げると、僅かに残る掌で両眼を拭う仕草をした。


にちゃり、くちゅり。

不快な音を立てて粘液が払われ、その下から閉じた瞳を覗かせる。その長い睫毛の内側からは、新しい黒は流れてこなかった。


『でも、アンタはめいこの持ち主なんだよね。元凶みたいな、その一つ』


「……ええ、まぁ」


『なら、さ。これを持つアンタの背筋を正せるんなら、それはきっと――』



――少しは、アタシにとっての償いになるのかもしれないね――。



再び、引き金を引く音がした。


花子さんがめいこさんを掲げて力無く笑った瞬間、周囲を舞う黒のガラス片が一斉に動きを止めた。

顔から垂れようとした黒い雫さえも空中に留まり、やがて青い光を帯びて彼女の身体へと舞い戻り。欠損部分を次々と復元させていく。


まるでホタルが舞い踊っているかのような、美しい光景だ。


(この世に残りたいと思ってくれた、のかな……)


そう思った瞬間、途方も無い疲労感が押し寄せた。

立っていられなくなり、床へ座り込みぼうっと光の乱舞を眺め続ける。


『あーあ、戻っちまったよ。しょうがないね、どうも』


そして光が止んだ後、そこには元通りの花子さんがふわふわと浮いていた。つまらなそうに身体を眺め回し、溜息なんかをついている。


当然ながら、その表情は晴れているとは言い難いものだった。

けれど黒い泥に塗れていた時よりは大分マシなものであり――徐ろに、彼女はめいこさんを差し出した。


『ま、これから精々、罪悪感の慰め合いを頑張ろうじゃないさ』


「……もうちょっと、言い様なかったのかなぁ」


そういえば、めいこさんも含めてこの場には犯罪者しか無いのか。いやはや何とも薄汚い集団である。

反吐混じりの溜息と共に、苦笑を落とす。


(でも。これはこれで、居心地の良い関係性かも知れない、なんて)


流石にそれは後ろ向きに過ぎるかな。


僕はネガティブな爽快感という意味不明な情動を感じつつ、めいこさんを受け取った――。



















「――桜の火、焔の灯」



――凛、と。鈴の音のような声が通り抜け。何かが焦げる音がした。



「あ、っと、と……っ?」


ぽとり。

いきなり花子さんの指先から手帳が零れ、条件反射でキャッチする。


またからかいの類だろうか。僕は軽く混乱したまま、何気なく視線を上げて、


「は?」


――だけど、そこには何も無かった。


諦めと無気力が内包された眼も、意地悪そうに釣り上がった口端も。

あるべき場所にある筈の彼女の顔が無く、代わりに焦げ粕にも似た何かが桜吹雪のように舞い散っていた。


「……成程。やはり、貴方でしたか」


現実感の薄れた世界に再び声が響き、その方向に意識を転がす。

焦げ粕の舞う花子さんの身体の先。トイレの入口に、静かに佇む人影があった。


暗くて顔は余り良くは見えなかったけれど、シルエットは間違いなく少女のものだ。

夜闇よりも深い黒髪がたなびき、その一房に差し込まれた桜の髪飾りが月明かりを反射する。


(……桜、の……?)


そのどこかで見たような髪飾りに記憶が擦られ、止まっていた思考に火が灯り。

同時に、先程見た光景を思い出し、そして。


「……ひ、うぁ、あっ、あっ、ぁ――――!!」



――視界の端に映る、花子さんの身体。


胸部より上の部分が抉り取られたように焼却され、消滅していく彼女の姿を正しく認識、理解した瞬間。


僕は――本当に、馬鹿みたいに、情けなさ極まる泣き声を張り上げた。


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