逃げて、追われて、捕まって (元悪役令嬢編)
はぁ……やっと逃げきれた。
とある教室の一角で息を潜める中、私は壁に背を預け肩を激しく揺らしながらに、流れる汗を手で拭っていた。
廊下からバタバタと走る音に大きく肩を跳ねさせると、私は四つん這いになり這いながら扉から離れる。
すると足音がピタリッと止まったかと思うと、ガラッと大きな音を立てて扉が開いた。
まずい……ッッ。
慌てて身を隠そうと体を起こすが……その前に私の肩に手がかかる。
「ひぃっ、!!!!」
「ふふっ、みぃ~つけた!」
うん……?
思っていたものとは違う、可愛らしい声に振り返ると、そこには友人がイタズラが成功した子供の様にニヤリと笑みを浮かべていた。
「はぁ……もう、驚かさないでよ!」
「ごめんごめん、この部屋に入るところが見えたからさ。……それよりもまた追いかけっこをしているの?」
「追いかけっこじゃないわ。私は真剣に逃げているのよ!!」
そう力いっぱい叫ぶと、友人はケタケタと楽しそうに笑って見せる。
「もういいじゃない、あきらめなさいよ。彼って容姿端麗で、頭も良くて、剣の腕もすごいらしいじゃない。それになんといっても貴族様だしねぇ~、玉の輿よ、羨ましい~。貴族様が平民へ目を向けてくれることなんて、そうそうあることじゃないわ」
「だから……その貴族ってのが一番のネックだって何度も言っているでしょう!!!私はね、貴族にはなりたくないの……」
「もう~またそれ。あなたって本当に変わっているわよね~。普通平民の私たちは貴族にあこがれるものよ。私だって貴族様になれるのなら、今すぐにでもなりたいわ~。綺麗なドレスに、豪華な宝石、甘いお菓子もお腹いっぱい食べられる。それになんといっても煌びやかな夜会、あぁ~女のあこがれよ」
友人の夢見る姿を横目に私は深いため息をつくと、彼女の話を馬耳東風に、真っ赤な夕日が傾いていく、窓の外へと視線を向けた。
私は生まれも育ちも平民だ。
街の小さな商店に生まれ、優しい父と母に育てられた。
しかしそんな私は普通の人とは違い、なぜか生まれる前の記憶がある。
この世界の過去に生きてきた、貴族令嬢だった悪夢の記憶が……。
友人の言う通り煌びやかなドレスを纏い、扇子を口元にあて、平民を蔑んでいた昔の私。
自分を着飾り、他の貴族たちと張り合いながらに生きてきた。
自分の価値をどれだけ高められるか、自慢できるか……それが私の全てだった。
そんな昔の私は、俗にいう悪役の令嬢そのものだったわ……。
物語ならば悪役は正義の味方に倒されるのが世の常。
でも物語の世界とは違って、現実はそう甘くない。
品行方正にやっていても、上へのし上がる事なんて出来ないのよ。
あんな様々な思惑が絡み、どろどろとした貴族社会ではね。
邪魔になる女は蹴落とし、不要な女を切り捨て、自分の理になるものを傍に置く。
時には白を黒に染め上げ、断罪する事も何度もあったわ。
そうして自分の地位を、居場所を確立し、皆が私にひれ伏し、恐怖に慄く姿を楽しんでいた昔の自分。
そんな私は貴族社会の中心人物まで上り詰めると、王子と政略結婚を果たす。
貴族女性の誰もがうらやむ頂点にたった私だったが……全く幸せではなかった。
政略結婚に愛など微塵もなく、王子は愛人を作り、私はお飾りの王妃に据えられる。
子を作る為だけに体をあわせ、会話など一切なく、私はいつも孤独だった。
そんな私はとても惨めで悔しくて……でもそれを認める事なんて無駄に高いプライドが許さなかった……。
そうして苛立ちをぶつけるように、メイドや部下に当たり散らした私の傍には……気が付けば誰もいなくなっていた。
過去の私がどうやって死んだのかは思い出せないが……きっとろくでもない最後だったのだろう。
私を恨み妬む者はたくさんいる。
そんな暗い記憶がある限り、私は貴族には戻りたくない、そうずっと思っていた。
そりゃ最初は……平民なんて下等な者に生まれてショックを隠せなかった時期もあったわ。
でもいざ生活してみると、様々な柵がある貴族なんかよりも、平民の生活は自由だった。
確かにお金はないが……好きなことを好きなだけできる。
父と母の愛情に包まれ、子供が子供らしく居られる世界。
お母さんもお父さんも優しくて、高価な食事よりも、手料理の方が数段美味しいことを知った。
貴族だった時は、父も母も政略結婚で、屋敷で二人が話をしている姿なんて見たことがなかった。
愛情を注がれた記憶もなく、いつもメイドが私の世話をしていたわ。
物心ついた頃から、マナー叩き込まれ、ダンスの練習に、ありとあらゆる分野の学問取得のために家庭教師が付き、毎日が勉強ばかりだった。
子供なのに、外で自由に遊ぶことも出来なかった貴族の生活。
だから友人と呼べる人もいなくて、お茶会や夜会で知り合う貴族たちと上辺だけの付き合いばかり。
恋愛も自由にはできず、家のための結婚が当たり前だった世界。
でも今の私は違う。
人と対立する事ではなく、寄り添えることを知った。
友人と呼べる人もたくさんでき、平民には政略結婚なんて存在しないのだから、恋愛だって自由にできる。
だから次はちゃんと自分の好きな人と結婚して、幸せになるの、そう思っていたのに……。
はぁ……どうしてこんなことになってしまったのかしら。
私はどこで間違った道へ進んでしまったの……?
そう……事の始まりは私がこの王都一の学校へ入学したあの日。
前世の記憶も相まって、一度終えた人生で学んだ学問の知識は、当たり前だが平民の中では飛びぬけていた。
そんな私の噂はあっという間に広がり、そして私は王都一の学園へ推薦された。
王都で一番というだけあって、学生の8割以上が貴族で占められている。
そんな中、学費免除で入学できる試験を突破出来た平民は少数だけ。
最初はこの推薦を断ろうと思っていたのよね。
だって貴族には極力関わりたくなかったから……。
でも平民は貴族とは違い女であろうとも、自分自身でお金を稼がなくてはいけない。
この学園を卒業したとの経歴が残ればこの先きっと有利に働くだろう、そう考えて入学を決めたのよね。
正直目立つことなく大人しくしていれば、貴族が平民なんかに、何かしてくる可能性も少ないしね。
そうして無事に試験をクリアし、学園へ入学した初日。
整った顔立ちに、蒼い髪にエメラルドの瞳をした堅物そうな少年が、私の前に現れたのが全ての始まりだった。
初めてみる少年に戸惑う中、私は失礼にならぬよう無理矢理に笑みを浮かべていると……彼は突然こういったの。
「俺の婚約者になってくれ」
あまりに唐突すぎて唖然とすると、開いた口がふさがらなかったわ。
目立ちたくないのに、こんな見目麗しい貴族が話しかけてくるなんて想定外。
貴族たちがひしめき合う教室内がザワザワと騒がしくなる中、私はようやく我に返ると、頬がピクピクと痙攣していた。
「……申し訳ございません、私は平民ですし、貴族様の婚約者になど成れるはずもありませんわ」
そう体よくあしらったつもりだった。
ビックリしたけれどちゃんと失礼にならぬよう断った事だし、少し目立ってしまったけれど……これで終わると思っていたのに……。
しかし翌日から、彼は毎日私の教室へ来るようになった。
どんなに断っても、断っても、断っても、まったく効果はない。
最初は笑顔で応対していたが、あまりにしつこい彼にとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「あぁもう、しつこい!!!失礼になるだろうけれど、はっきり言わせてもらうわ!私はね、貴族にはなりたくないのよ!だからあなたと婚約もしたくないの!だ・か・ら・さっさとあきらめて!」
平民ごときが貴族に対して使う言葉ではない、そうわかっていたが……止められなかった。
私は勢いそのままに鋭く彼を睨みつける中、言ってしまった言葉に後悔の念が押し寄せてくる。
平民ごときが貴族に逆らったらどうなるのか……過去の自分が一番よくわかっている。
言ってしまった言葉が頭の中で反芻すると、胃がキリキリと痛み始めた。
しかしそんな私の思いとは裏腹に、彼は怒った様子もなく真っすぐに私を見つめ返すと、なぜか清々しい笑みを浮かべて見せる。
「やっと俺を見てくれたな。君の気持ちはわかった、だがそれでも俺は君を婚約者にしたいんだ。君以外考えられない」
はぁぁぁぁ!!!!
予想だにしていなかった答えに私は目を大きく見開いたままに固まっていると、嬉しそうに笑って見せる。
あれだけ失礼な言葉を口にしたのに、怒らないとかどうなっているの?
何なのこの男は……どうしてそこまで私に執着するのよ……。
頭にいくつもの疑問符が浮かぶ中、彼はこれからも宜しくと言わんばかりに手を差し出した。
その姿に私は顔を引きつらせると、彼の手を取ることなく、反射的にその場から逃げ出したのだった。
そんなやり取りがあった翌日でも、彼は毎日私の教室へと足を運び続ける。
あれだけはっきり言葉にしたのに、何も伝わってはいないようだ。
むしろ執着がひどくなったような気さえする。
それからも何度も何度も断り続けるが、彼があきらめる気配はない。
どれだけ冷たい態度を見せようが、どれだけ突き放そうとすればするほど、執着が加速していった。
そんな毎日が続く中、平民の私に見目麗しく将来有望な彼が執着する姿に、他の貴族女性の生徒からくだらない嫌がらせや、呼び出しを受けるようになった。
貴族社会で育った私には、小娘の攻撃など痛くもかゆくもないく軽くあしらっていたが……。
ある日私はそれを利用して彼を引きはなそうと思いついたの。
「あなたが私を振り回すから……ノートも教科書ボロボロになったわ。カバンだってなくなってしまった……うぅ、ひぃっく」
こんな小さなイタズラで傷つく心は持ち合わせてはいないが、泣きまねを交えながらに、そう彼へ訴えかけてみると、彼は傷ついた表情見せる。
その顔にようやく彼から解放されると、思ったのだけれどもね……。
事はそううまく運ばなかった。
私が虐められている事実を知るや否や、彼は私が苛められないよう四六時中側にいると、私を守ると……そう言い放った。
はぁ……まさかそんな結論に至るとは全く予想外だったわ……。
それから地位を利用したのだろうか……私と同じクラスになるように手を回し、学園へ一緒に登校するために家に迎えに来たり、下校時も一緒に帰るのだと言い始めるようになってしまった。
そんな彼に耐え兼ねると、私は彼に捕まる前に、逃げ出すようになった。
言葉で伝わらないのなら、態度で示そうそう思って。
それから彼に追いかけられる生活が始まったのよね。
この追いかけっこは毎日繰り広げられ、今では学園内で有名人になってしまった。
目立たず大人しく学園生活を送るはずだったのに……はぁ……頭が痛いわ。
そして今日も……私は四苦八苦しながらもようやく彼を巻いて、この部屋に逃げ込んだのだった。
あぁ、こうやって改めて思い返すと、本当にしつこいわよね。
なぜ平民の私なのか……あれだけの容姿も、権力もあれば女なんてよりどりみどりのはずなんだけど。
全く理解できないわ。
どうしてなのかそう問いただしたいけれど……聞けば彼の事を気にしているみたいじゃない。
まぁ……気にはしているが……そう思われるのはなんだか癪なのよね。
そんな事を考えながらに、私はまた大きく息を吐き出すと、ガラガラガラとまた扉の開く音が耳に届く。
その音に恐る恐るに振り返ってみると、会いたくなかった彼の姿がそこにあった。
「ここにいたのか、さぁ帰るぞ」
「帰るじゃないわよ、私は一人で帰るのよ、もう放っておいて!!」
「よし行くぞ」
「ちょっと人の話を聞きなさいよ!!!」
どれだけ必死に叫ぼとも、彼は軽々と私の腕を捕らえると、そのまま廊下へ引きずっていく。
空いた手には、私が教室に置いていたカバンが握りしめられ、帰る準備は万全のようだ。
そう……これがいつものパターン。
私がどんなに逃げても、隠れても彼は私を見つけてくる。
過去の私は誰にも探されることも、こうやって本気で気にかけてくれる事もなかった。
だからこそ何度も何度も必ず見つけ出してくれる彼に、嬉しく思う自分もいる。
そして私を見つけた時の彼は、いつもとても嬉しそうに笑うのよね。
その顔は嫌いじゃない……。
それでも私は貴族にはなりたくないの。
またあのドロドロの世界へ入りたくない気持ちもあるが……一番怖いのは過去のような自分に戻ってしまう事。
戻ってしまえば……彼はきっと私から離れていくだろう。
そう思うと……彼に惹かれていく気持ちへ蓋をして、今日も彼に連れられながらに校庭を歩いていく。
出会った時よりも肩幅も広くなり、背も高くなった彼の後ろ姿を見つめる中、胸の奥が小さく高鳴った。
いつか彼にも婚約者が出来るだろう。
貴族での役割は子をなしてつなげていくこと。
そうなれば、彼が私を見つける事も、探すこともなくなる。
それを望んでいたはずなのに、改めてそう思うと胸がズキリと痛んだ。
こうやって並んで歩く光景もなくなるのだろうけれど、それまでは……。
沈む夕日を前に私は真っすぐに歩く彼を見つめると、その姿を目に焼き付けた。