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第七話




 朝七時。ジュリウスは、寒さで目覚ましより早く目が覚めた。

 半分開いた目蓋のまま上半身を起こし、掛け布団に被せたカーディガンを羽織って、暖房を付ける。ほんのり室内が暖まってきた頃に目覚ましのアラームが鳴り、止めた。

 顔を洗うと、二階のダイニングキッチンで朝食を摂る。メニューは大体決まっていて、今朝はロールパンとサラダと温かいカボチャのスープだ。

 食べ終わって歯磨きをしたあとに仕事用のシャツとズボンに着替えて、十時半からの開店に向けての準備を始める。

 食材の調達と下ごしらえのあと、清掃に取り掛かる。先に店内を掃除して、外の掃き掃除をしようと一歩外に出た途端、吐き出した息が白くなる。

 階段とデッキには雪が薄らと積もり、朝日で少し溶け始めていた。珍しく、平地にも降ったらしい。今朝の寒さも納得だ。でもこの分なら、あと一時間もすればただの水になりそうなので、ほうきで掃く程度にした。

 掃除が終わるとショーケースの中の消毒をし、コーヒー豆の補充をする。専用の冷蔵庫から豆が入った密閉袋を出し、今日使う分の焙煎されたコーヒー豆をキャニスターに移す。豆はまだ挽かない。美味しいコーヒーを提供する為に、オーダーが入ってからミルで挽くのがルールだ。その方が酸化を防げ、香りも味わいも断然違う。

 ここまでやると、大体十時くらいになる。開店準備が落ち着き、カフェエプロンを付けて身だしなみを整える。

 そして、何時もこの時間になると、客よりも前に来る人物がいる。


「ちわーっす。さみー」


 ドアベルを鳴らして入って来たのは、深緑色のダウンジャケットを着たジュリウスと同年代の男性。板で蓋がされたクリーム色のコンテナを抱えている。


「恭雪サン。オハヨウゴザイマス」


 ジュリウスはカウンターから出て来て挨拶し、昨日預かった同じ色のコンテナをレジカウンターに置いた。


「これ。今日のな」


 それと引き換えに、彼は持って来たコンテナを空のコンテナの横に置く。蓋を開けると、五種類の美味しそうなケーキたちが行儀良く並んでいる。

 もさっとした黒髪で目付きが悪そうに見える彼は、この町のケーキ屋「パティスリー・ヤス」のオーナー兼パティシエの有間恭雪。パエゼ・ナティーオに毎日ケーキを持って来ている。カフェでケーキを出したかったジュリウスが交渉し、提供をしてもらっているのだ。


「今週のケーキは、オレンジピール入りガトーショコラと、みかんとグレープフルーツのタルトだ」

「アリガトウゴザイマス」

「なぁ、ジュリウス」


 恭雪はレジカウンターに片手を突き、自分との間にジュリウスを挟み込んだ。二つの身体は密着は回避するが、結構近い距離まで顔が迫り、ジュリウスは控えめに身体を反らす。


「今晩の予定空いてるか?メシ食いに行こうぜ」

「……スミマセン。今晩は予定がありマス」


 厭い困惑するような表情で、ジュリウスは顔を背ける。


「じゃあ、明日は?」

「スミマセン。明日もチョット……」

「明後日は?」

「……スミマセン」


 ジュリウスに誘いを断られた恭雪は、僅かにムスッとする。しかし怒りはしない。怒らない代わりに、今度は束ねられたカッペリ・ダンジェロのような金色の髪を遊ぶように触る。途端に、ジュリウスの身体が強張った。


「いっつも『スミマセン』じゃん。お前は何時になったら、俺に付き合ってくれんの。我慢できなくなったら俺、お前を拐っちゃうかもよ?」


 髪を触っていた手が、意図的に顎に触れると、


「やめて下サイッ」


 ジュリウスは手を払って拒絶した。それでも恭雪は逆上も憤った面も見せず、余裕綽々でスカしている。


「相変わらずつれないなぁ。ま、それがお前なんだけどな」


 しつこく誘うこともなく、恭雪はジュリウスから身体を退けた。

 かと思うと、恭雪はすぐに右腕を伸ばしてきた。ジュリウスはまた何かされるのかと構え、一瞬ビクッとする。だが、さっき出された空のコンテナを取っただけだった。移動するコンテナを横目で確認すると、ジュリウスは小さくホッとした。

 配達の仕事を終え、軽くなったコンテナと共に自分の店に帰るかと思いきや、恭雪は出入り口付近の席に座った。迷惑な客でも見るように、ジュリウスは少々困った顔で一瞥する。


「ジュリウスさぁ。最近、何か良いことでもあったか?」

「……どうしてデスか?」

「顔色が良く見える。話し方も少し変わった。陰気臭い感じも薄れたよな」

「別に、何もありマセンが」


 嫌味を言われたのも気にせず、届けられたケーキをショーケースの中に入れながら、ジュリウスは淡々と答える。恭雪は頬杖を突き、いぶかる眼差しを向けながら「ふぅ~ん」と唸った。


「俺の他に、良い遊び相手でも見つけたか?」

「遊び相手って、子供じゃないんデスが」

「返しも上手くなってんじゃん。やっぱ、俺の他にも話し相手ができたんだな」

「帰ってくれマセンか。お店の準備があるノデ」

「いいだろ。開店しても、すぐには客も来ないんだし。お前との会話が楽しみで、俺も毎日来てるんだ。たまには延長してくれてもいいだろ」

「ダメデス」


 開店前にケーキを冷蔵したいジュリウスは、作業の片手間に相手をする。ショーケースの向こうからの頑なな返しに、鼻から息を漏らす恭雪は不貞腐れ顔だ。


「ジュリウス。俺は厚意で、この店にケーキを提供してやってんだぞ。俺のケーキのおかげで客が取れてると言ってもいいのに、いい加減その無愛想やめてくれねぇかな」

「……恭雪サンには、感謝してイマス。けれど、ビジネスパートナー以上の関わりを持つつもりは、私はありマセン。できれば、スキンシップもやめて頂きたいデス」


 少々、高圧的な姿勢で物を言う恭雪にも、準備を続けるジュリウスの態度は変わらない。

 確かに、恭雪が作るケーキは評判が良い。東京の人気パティスリーで培った腕は、言うまでもなく保証されており、甘過ぎないところが近所の主婦を中心に人気だ。最近は、隣町から来る客も増えている。


「……融通が効かない頑固だな。お前は」


 圧力を掛けても一切怯まないジュリウスに、恭雪は無駄な気力を使う気はなかった。彼がどういう人間なのかは、大体知っている。こんな掛け合いも、これまで幾度となく繰り返してきた。だから、何が無駄で何が有効なのかも承知している。

 相も変わらず忖度なしの取引先に再び嘆息した恭雪は、コンテナを持って立ち上がる。


「お前は今はそれでいいと思ってるだろうが、後々、後悔することになっても知らねぇぞ。お前みたいな奴にスキンシップしてやるの、俺以外にはいないんだからな」


 恭雪に、現在の身の振り方で招きかねない未来を示唆される。心当たりが脳裏を掠めても、作業するジュリウスは聞こえていないふりをした。


「ま。そいつに見放されたら、俺がいるから安心しろよ。俺は、何時でも誘いに乗るぜ?」


 ショーケースに近付いた恭雪は横から乗り出した身を屈めて、ジュリウスの耳元で囁いた。


「ッ!?」


 驚いたジュリウスは、反射で身体を仰け反らせる。危うくケーキを落としそうになった。


「恭雪サン!」


 ジュリウスの愉快な反応に、恭雪は「あははっ」と笑った。


「そんじゃ、毎度ありがとうございました。また明日な」


 ジュリウスとのコミュニケーションを楽しんだ恭雪は、空のコンテナを肩に背負って帰って行った。ジュリウスは立ち上がり、大きく息を吐いてカウンターに寄り掛かる。

 彼に絡まれたあとは、何時もストレスで一時的に顔色が悪くなる。毎回やめてほしいと言っているのに、恭雪はジュリウスが嫌がるのをわかっていながら、しょっちゅう今日のようなことをしてくる。いい加減にしてほしいと訴えているのに聞き入れてくれず、以前からジュリウスの悩みの種だった。




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